2018年09月17日

母の願い・・・被災地を巡る旅

◆あの小学校で手を合わせたい・・・

8月21日。

母の願い・・・被災地を巡る旅

昨夜のイベントから一夜明け、この日は、両親と妻、子供たち総勢8人で、朝早くから宮城県を目指しました。目的は、家族の夏休み旅行として、大島の民宿に、美味しい海鮮料理を食べに行こう!と計画していたのですが、私の母が、海沿いを行けるなら、あの東日本大震災で、多くの児童が亡くなられた「石巻市立大川小学校」へ立ち寄って、手を合わせたいと、以前から相談されていました。

その相談を受け、そういえば、知り合いが今、石巻市に住んでることを思い出しました。その方の名前は、加藤友英さんです。加藤さんとの出逢いは、愛知県で開催された「アースデーいわき2014 in モリコロパーク」です。このイベントから、多くの愛知県民の方と出逢うことができました。

加藤さんは、震災後、東北の地を何度も何度も訪れ、ボランティア活動を精力的にされていました。その想いは、訪れるだけでは留まらず、少しでも東北の復興のために身を捧げたいと、愛知県からご縁を結び、宮城県石巻市に仕事として移住されたのです。

母の想いを加藤さんにお伝えすると、お時間を頂けるなら、石巻市内から南三陸までご案内しますよと、快く引き受けて下さいました。

石巻駅で加藤さんと再会し、そのまま日和山神社の階段下へ。加藤さんは、そこで車を止め、この階段を登って来て下さいとだけ告げて、先に車で神社まで移動されました。

2011年3月11日。

母の願い・・・被災地を巡る旅

この日和山神社は、大津波から多くの命を救った場所。この階段を登れた人、登れなかった人。生と死の分かれ目だったと、加藤さんから話を聞きました。神社からの景色は、あのニュースで見た大津波の映像が蘇りました。その恐怖に、心が震えました。

ここからは、携帯電話で写真を撮るのではなく、自分の目に焼き付けて、心に残そうと決めました。今、立っているこの地で亡くなられた方がいるかもしれない。そう思うと、携帯電話は、自然とポケットの中から、出そうとはしなかったのです。

日和山神社を後にし、次に向かったのが「がんばろう!石巻」の大きな看板。写真は撮らなかったのですが、色んな想いを感じました。この看板は、震災1カ月となる2011年4月11日に、津波に負けたくない、地域の方を励ましたいとの思いを、流されてきた震災木材などで作成されたそうです。

その後、母が 訪れたかった「石巻市立大川小学校」へ。

ここでは、津波で多くの命が失われた石巻市立大川小と、その周辺地区の被災前後の記憶を後世に伝えていこうと、児童遺族や地区住民の有志でつくる「大川伝承の会」さんが、被災校舎前で語り部ガイドをして下さいました。

そのガイドさんは、津波で、お父様、奥様、そして、大川小学校で娘さんを亡くされたお父さんでした。しかし、奇跡的に同じ小学校に通っていた息子さんは、助かったそうなんです。

ニュースでは知っていた「大川小学校の悲劇」

実際に、遺族の方から話を聞き、そのやり場のない想い、悲しみ、言葉にするのは難しいのですが、とにかく、その一言一句が胸に響きました。裁判だって、したくてしているわけではないんだ。初めて遺族の方の言葉にふれ、涙をこらえながら話を…聞きました。

ニュースだけではわからない現実が、ここにはありました。

遺族の方は、今でもこの地で…この地で子供達と向き合っていらっしゃいます。

決して他人事じゃない。いつ自分たちが住んでいる土地でも、予期せぬ災害が起こるかもしれません。

その時、どう子供たちを守れるのか?


遺族の只野さんからのメッセージです。

最後に、この地で亡くなられた方々に、私たちは手を合わせさせて頂きました。

大川小学校を後にして、海沿いを車を走らせて、「南三陸さんさん商店街」を目指します。

途中、至る所で、津波の被害にあった地域で、大規模な工事をしていました、大型ダンプが行きかい、新たな街づくりへの工事です。南三陸も、土壌を高くし、昔の面影はありません。色んな意見があるかもしれませんが、この地域の方々が、南三陸はこのやり方で進もうと決められたのですね。

昼食後、この商店街の中にある「さりょうスタジオ」さんへ立ち寄ることができました。震災以来「写真の力を信じて」「伝えてゆく」とのテーマを掲げて、その当時の記憶を写真に収めています。その貴重な写真から、当時の大変さが伝わりました。女将と二人で涙が止まりませんでした。

震災から7年。
もう7年?まだ7年?

もし、このブログを読んで、少しでも何か感じて頂けたなら、ぜひご自身の眼で、今の東北に触れてみてください。ブログに載せることは戸惑いましたが、一人でも多くの方に、興味を持ってもらいたいと、思って書いています。

母の願い・・・被災地を巡る旅

加藤さん!お忙しい中、ご案内いただき、ありがとうございました!また木鶏でお待ちしております!

◆海の恵みに感謝!

この日の最終目的地、南三陸さんさん商店街から気仙沼まで車を走らせます。車で約1時間で気仙沼港フェリーターミナルへ。

母の願い・・・被災地を巡る旅

フェリーに乗り込み、大島へと向かいます。海は、私たちを温かく迎えてくれました。

母の願い・・・被災地を巡る旅



大島につくと、民宿のご主人が港まで迎えに来てくれました。その車中、震災後の苦労話や、色んな方に支えて頂いたと、感謝の言葉をお聞きすることができました。少し部屋で休んで、この日感じたことを、自分の中で整理していました。

子供たちは、近くの海水浴場で、裸になって遊んできた様子です。一日大人に付き合ってくれたのだから、きっと疲れているかと思ったら、海ではしゃげたことが、とても楽しかったと喜んでいました。

そして楽しみにしていた夕食!一日の疲れを、この食事が癒してくれました!

母の願い・・・被災地を巡る旅


これでもかという、海の幸!まんぼうも初めて食べました!ウニも殻つきのままです!この日は、塙家だけだったので、宴会場で子供たちが歌を歌ってくれたり、踊ったりの大はしゃぎ!両親もその様子に喜んでいました!

家族で過ごせる時間。
一緒にいられる喜び。


この日ほど、ありがたいと、思えた日はないかもしれません。

次の日は、木鶏の冬の特選素材として、昨年からお取引のある、東松島産の「牡蠣」の養殖場へ見学です!いつも素早い対応、そして最高の牡蠣を送って下さる「和がき」さんに、どうしてもお逢いしたくて、この旅のプログラムに入れたかったのです!

ちょうどお昼前についたのですが、さっそく見学に行きましょう!と、なんと船を出して頂き、牡蠣の養殖場へ案内して頂きました!

母の願い・・・被災地を巡る旅
母の願い・・・被災地を巡る旅
母の願い・・・被災地を巡る旅


牡蠣がどうやって養殖されているのか。代表の阿部さんが、詳しく説明して下さいました。実は、東松島で育った牡蠣の卵は、全国に出荷されて、各地の海に適した養殖方法で育てられているいうのです!約一時間、養殖場を見学した後は、採れたての生牡蠣の試食!!!

母の願い・・・被災地を巡る旅


母も、大好物なので、この美味しさに感動モノでした!!!!

阿部さん!松木さん!ご案内いただきありがとうございます!今年の冬も、木鶏の特選素材として、少しでもお客様に感動を与えられるように頑張ります!!!

母の願い・・・被災地を巡る旅

こうして、塙家の夏休みが終わりました。私は、東北出身福島生まれです。各地で起こる自然災害、大地震のニュースを見るたび、本当に胸が苦しくなります。

そんな時、絶対に必要になるのが、人と人の繋がりだと信じています。SNSの発展など、とても便利な世の中です。このコミュニティーのおかげで、沢山の方との出逢いもありました。でもやっぱり、最後には、リアルな人間関係が大切だよなっていつも教えてもらっています。

これは、私個人の考え方です。この旅で、また人と人の繋がりの大切さを学ばせて頂きました。本当にありがとうございました!

母の願い・・・被災地を巡る旅


【そば処 木鶏】

住所:長野県東筑摩郡山形村5511-7
電話:0263-98-2099
昼の部:火~日  
11:30~14:30(L.O 14:00)
夜の部:木・金・土 
18:00~21:00(L.O 20:30)
定休日:月曜日(祝日の場合は翌日)
HP:「ここをクリック」





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Posted by カズキ at 05:00│Comments(0)地域のこと家族
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