2011年05月22日
震災後の支援として~パート6
4月24日 炊出し最終日
いわき市勿来体育館・・・
今日が炊出しの最終日・・・。
今朝、津波に遭ったあの場所を見てきて、やや気分が沈んだが、
昨夜、お寿司屋さんで約束した通り、
まず、自分たちが元気でいこうと決めた。
体育館に到着!
空は昨日とはガラリと変わり、真っ青な快晴である。
早速準備に入る。
今日も体育館の中で蕎麦を打つ。
『忘れられないおじいさん』
私が元気よく蕎麦を打っていると、すぐに人だかりが出来た。
こちらの活気が伝わったのか、今日は皆さん楽しそうに見てくれている。
その中で、一人白髪のおじいさんが気にかかった。
そのおじいさんは、黙って私を見ている。
何も言わず、無表情でずっと私を見ている。
おじいさんの目は、どこか遠くを見ているようで、
とても悲しい顔をしていた・・・。
3回目の蕎麦打ちとなると、人だかりが消える。
話を聞くと、天気のいい日は、自宅の片付けや、シャトルバスで皆でお風呂に行くのだそうだ。
白髪のおじいさんだけが、だまって私を見てくれている
私は勇気を出して声をかけた。
私 「こんにちは!皆さんいらっしゃらないけど、どこか行かれるのですかね?」
おじいさん 「片付けか、風呂だろ。」
ようやく話してくれた。
私 「おじさんは、お風呂とか行かないんですか?天気もいいから気持ちいいでしょう!」
何を話していいかわからず、私はたわいもない会話となっている。
おじいさん 「このそば打ちが面白くてねー。私はここにいるよ。」
なぜか嬉しかった・・・。
しかし、表情は暗い。その表情からは、喪失感をとても感じた。
私はせっかくだと思い、マッサージをやったらどうかと提案した。
私 「今日ね、接骨院の先生が来てるから、マッサージしてもらえますよ!
どこか痛いところはないですか?」
おじいさん「どこも痛いところなんてないよ・・・・私は、心が痛い・・・。」
・・・私は、思わず泣いてしまった。堪えられなかった。
今日は元気に過ごそうと決めていたにもかかわらず。
その言葉の意味が、何を意味しているのか分からなかったが、
深い悲しみがあったことは間違いない。
私 「そうですか・・・今日はせめて美味しいそばを食べて下さい。自分それしか出来ないから。」
私は泣きながら黙々と、おじいさんの見守る中、そばを打ち続けた。
『福島市の両親との再会』
しばらくすると、ある人達が合流した。
そう!福島市に住む私の両親だ!
私がいわき市に来ることを知り、わざわざ駆け付けてくれたのだ。
当然ながら、震災以来の対面だ。
「おう!カズキ!」
そう言って、父と母と再会。言葉はいらなかった。
蕎麦打ちをしていたので、ゆっくり会話をしている時間がなかったので、目であいさつした。
元気そうでよかった・・・。
二人の姿から伝わった。
さらに、北茨城市に住んでいるワーゲン乗り家族が駆け付けてくれた。
ご自身もまだ、周りが落ち着かない状況なのに・・・ありがたい。
「お久しぶりです!」
佐藤さん家族とは、「八ヶ岳トレッフェン」のイベント以来である。
準備も万端!
今日は大勢での炊出しである!
そんな時トラブルは起きた・・・。
「蛇口から砂が出るぞ!」
なんと水道水に少しだけ、砂が混じっているではないか・・・。
そばを茹でるには、水は命。
どうするか悩んでいた時、
Sさんが、キッチンペーパーで濾して、大きな寸胴に水をため、
そこで洗うように考案してくれた。
「さすがです!」
そして今度こそ炊出しが始まった!
皆の雰囲気も良く元気いっぱい!
約80食を何とか出し終えた。
皆が協力してくれたこともあり、片付けもすぐに終わった。
避難所の方も手伝ってくれた。
ありがたいものである。
『広げよう!ワーゲンの輪』
片付けも終え、皆で写真を撮る事となった。
もちろん佐藤さんのバスの前で。
『ありがとう!本当に!みなさんありがとう!』
『では、はいポーズ!』
(左から、佐藤青葉くん・佐藤愛さん・厚さん・高羽院長・須藤さん・私・川上院長・高羽院長の父上)
・・・ワーゲンの繋がりって、人の繋がりって本当に凄いと思う。
私は今回の炊出しで、本当に心から感じた。
そして、自然と涙があふれてきた。
「皆さん!本当に手伝って頂き、ありがとうございました!」
「須藤さん、ありがとうございました。
須藤さんがいてくれなければ、パニクッてばかりでした。」
そして輪になり、手を重ねて私たちは大声で誓った。
『頑張っぺ!東北!!!!』
皆の力が重なり合えば、きっと復興も早まるはず!
今後も、連携をとって、協力し合いたい!
そして、私達は解散した。
次回予告
『震災後の支援として・・・あとがき』
炊出しを終えて、感じたこと。
支援してくれた家族、仲間を一同に紹介。
・・・感謝。
いわき市勿来体育館・・・
今日が炊出しの最終日・・・。
今朝、津波に遭ったあの場所を見てきて、やや気分が沈んだが、
昨夜、お寿司屋さんで約束した通り、
まず、自分たちが元気でいこうと決めた。
体育館に到着!
空は昨日とはガラリと変わり、真っ青な快晴である。
早速準備に入る。
今日も体育館の中で蕎麦を打つ。
『忘れられないおじいさん』
私が元気よく蕎麦を打っていると、すぐに人だかりが出来た。
こちらの活気が伝わったのか、今日は皆さん楽しそうに見てくれている。
その中で、一人白髪のおじいさんが気にかかった。
そのおじいさんは、黙って私を見ている。
何も言わず、無表情でずっと私を見ている。
おじいさんの目は、どこか遠くを見ているようで、
とても悲しい顔をしていた・・・。
3回目の蕎麦打ちとなると、人だかりが消える。
話を聞くと、天気のいい日は、自宅の片付けや、シャトルバスで皆でお風呂に行くのだそうだ。
白髪のおじいさんだけが、だまって私を見てくれている
私は勇気を出して声をかけた。
私 「こんにちは!皆さんいらっしゃらないけど、どこか行かれるのですかね?」
おじいさん 「片付けか、風呂だろ。」
ようやく話してくれた。
私 「おじさんは、お風呂とか行かないんですか?天気もいいから気持ちいいでしょう!」
何を話していいかわからず、私はたわいもない会話となっている。
おじいさん 「このそば打ちが面白くてねー。私はここにいるよ。」
なぜか嬉しかった・・・。
しかし、表情は暗い。その表情からは、喪失感をとても感じた。
私はせっかくだと思い、マッサージをやったらどうかと提案した。
私 「今日ね、接骨院の先生が来てるから、マッサージしてもらえますよ!
どこか痛いところはないですか?」
おじいさん「どこも痛いところなんてないよ・・・・私は、心が痛い・・・。」
・・・私は、思わず泣いてしまった。堪えられなかった。
今日は元気に過ごそうと決めていたにもかかわらず。
その言葉の意味が、何を意味しているのか分からなかったが、
深い悲しみがあったことは間違いない。
私 「そうですか・・・今日はせめて美味しいそばを食べて下さい。自分それしか出来ないから。」
私は泣きながら黙々と、おじいさんの見守る中、そばを打ち続けた。
『福島市の両親との再会』
しばらくすると、ある人達が合流した。
そう!福島市に住む私の両親だ!
私がいわき市に来ることを知り、わざわざ駆け付けてくれたのだ。
当然ながら、震災以来の対面だ。
「おう!カズキ!」
そう言って、父と母と再会。言葉はいらなかった。
蕎麦打ちをしていたので、ゆっくり会話をしている時間がなかったので、目であいさつした。
元気そうでよかった・・・。
二人の姿から伝わった。
さらに、北茨城市に住んでいるワーゲン乗り家族が駆け付けてくれた。
ご自身もまだ、周りが落ち着かない状況なのに・・・ありがたい。
「お久しぶりです!」
佐藤さん家族とは、「八ヶ岳トレッフェン」のイベント以来である。
準備も万端!
今日は大勢での炊出しである!
そんな時トラブルは起きた・・・。
「蛇口から砂が出るぞ!」
なんと水道水に少しだけ、砂が混じっているではないか・・・。
そばを茹でるには、水は命。
どうするか悩んでいた時、
Sさんが、キッチンペーパーで濾して、大きな寸胴に水をため、
そこで洗うように考案してくれた。
「さすがです!」
そして今度こそ炊出しが始まった!
皆の雰囲気も良く元気いっぱい!
約80食を何とか出し終えた。
皆が協力してくれたこともあり、片付けもすぐに終わった。
避難所の方も手伝ってくれた。
ありがたいものである。
『広げよう!ワーゲンの輪』
片付けも終え、皆で写真を撮る事となった。
もちろん佐藤さんのバスの前で。
『ありがとう!本当に!みなさんありがとう!』
『では、はいポーズ!』
(左から、佐藤青葉くん・佐藤愛さん・厚さん・高羽院長・須藤さん・私・川上院長・高羽院長の父上)
・・・ワーゲンの繋がりって、人の繋がりって本当に凄いと思う。
私は今回の炊出しで、本当に心から感じた。
そして、自然と涙があふれてきた。
「皆さん!本当に手伝って頂き、ありがとうございました!」
「須藤さん、ありがとうございました。
須藤さんがいてくれなければ、パニクッてばかりでした。」
そして輪になり、手を重ねて私たちは大声で誓った。
『頑張っぺ!東北!!!!』
皆の力が重なり合えば、きっと復興も早まるはず!
今後も、連携をとって、協力し合いたい!
そして、私達は解散した。
次回予告
『震災後の支援として・・・あとがき』
炊出しを終えて、感じたこと。
支援してくれた家族、仲間を一同に紹介。
・・・感謝。
Posted by カズキ at 06:33│Comments(0)
│東北支援~炊き出し編~