2011年10月31日

想いを「額」に納めたい!

「親方から受け継いだお店の暖簾」



今は亡き、蕎麦屋の親方から受け継いだ暖簾。

親方が生きていらっしゃった時に、
お店の名前と共に、私に譲ってくれた一枚の暖簾です。

私は、自分の蕎麦屋が出来たら、入口に掛けようと思っていました。

「受け継ぐ」「受け継がれる」

こうやって繋がっていければいいのだと・・・。

しかし、私は考えました。

全て親方から頂いたものを、そのまま使うのは違う!

親方は生前、私にこうおっしゃって下さいました。

「カズキはカズキの木鶏の道を進みなさい!」

この言葉の意味の解釈は、人それぞれですが、
私は、自分の道を進むべく、自分のお店のデザインを作ろうとしています。

想いはしっかり受け継ぎました。
全て親方に甘えるような道は、進みたくありません。
だからあえて自分の暖簾を作ろうと決めました。

しかし、この暖簾を活かしたい!と思って、私は悩みました。

その時、ふと閃いたのです!

「そうだ!お店の中に飾ろう!!!」

そして、私はある場所を訪ねました。

「額縁屋 タクラマカン」



今年の春先の事です。
長野県の伊那谷に位置する中川村で「アトリエ開放展」というイベントがありました。

色んなアーティストが住んでいるこの村は、
とてもユニークな方々が沢山います。
そんな方々と触れ合うことが出来ました。

その中の一つが「額縁屋 タクラマカン」だったのです。

店主「松島拓良(まつしまたくら)」さん

先日、工房を訪ね、お話が出来ました。
その時に、拓良さんの経歴が聞けたのでまとめました。

まず学生時代に、東京の額縁店でアルバイトをしながら、音楽活動に没頭。
しかし、長続きはせず、夢をあきらめ長野に帰郷。

その後、木曽の技術専門校で、木材工芸を習ぶ。
さらには、表装も学び、結婚を機に額縁工房を開業。

「タクラマカン」の店名は、ご自身の名前から取ったそうです。
理学博士だったお父さんが、中国北西部にある広大な「タクラマカン砂漠」から名前を付けられたみたい。

「いつも自分の原点でありたい」

その想いが詰まっている店名です。素敵ですね!

開業されて11年目。
今では、長野県だけではなく、
全国より依頼を受け、独特な額縁を制作しています。

依頼は、絵や写真ばかりではないようです。
形見の髪飾り、使い慣れた小道具、真空管なども大切に額に納めます。

また、その活躍の場は、ファッションショーにも及んだことも・・・。
東京のファッションデザイナーさんに頼まれ、
なんとモデルさんを額に納めちゃったとか(笑)!

さらには、あるお寺の住職さんには、
「無縁仏の骨を何とか額に納めたいのですが・・・」
と依頼があったそうです。(依頼も凄いが、それを納めちゃうのがまた凄い!)

店内は、個性的な額が沢山展示してあります。
基本的には、廃材を活かして、額を作り上げるそうです。







この工房も、廃校になった学校の廃材を活かして、建設されたみたいです(笑)!
(よく見ると、昔の学校の窓や、下駄箱のすのこなども・・・)


「額縁の存在価値」

額縁って、今までそんなに重要視して見てきませんでした。
しかし、拓良さんと出逢ってから、考えが変わりました。

人それぞれに、いろんな想いがあって、その「大切なもの」を額に納める。

それが、芸術品に変わることもあるし、一つの心の整理になることにも繋がる。
私にとっては、親方の想いを受け継ぐ気持ちを、大切に出来ることになります。

拓良さんは、今まで色んなものを「額」に納めてきたことでしょう。

その話を聞いて、改めて親方から受け継いだ暖簾を、
額に納めて頂きたいと思いました。

どんな作品が出来るか、今から楽しみです!!!




追伸:

世の中には、いろんな世界があり、
どんな世界にもその道のプロがいます。

私も蕎麦のプロでありたい。


「額縁屋 タクラマカン」
詳細⇒http://www.takuramakan.net/

皆さんも、大切な想いを額に納めてみてはいかがですか?
  


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2011年10月30日

看板の完成まであとわずか!

今日は、以前からお店の看板デザインをお願いしていた高坂さんより、
電話が入り、彫りがある程度形になったということで、見てきました!

【過去ブログ参照⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e824583.html

かなり良い感じでしたよ(笑)

残念ながらまだお見せ出来ません・・・。

完成まであとわずか!!!

私もとても楽しみです!!



追伸:

一つ一つを確実にこなすこと。
すると自然に自分の気持ちも固まってきます。
こうやって、周りの方が固めて下さることに、
改めて感謝ですね!

  


Posted by カズキ at 12:50Comments(1)開業準備

2011年10月28日

命の輝き



「塙 巌士郎の誕生」

2011年10月27日・・・

今日は、私の息子「巌士郎(がんじろう)」の三歳の誕生日です。

思い返せば三年前も、今日みたいな素敵な秋晴れでした。

初めてのお産・・・。
私と妻は、とても緊張していました。
福島の実家から両親達も駆け付け、一大事です。

太陽が沈まりかけた夕刻・・その命は産まれました。

みけんにしわを寄せ、まさに「巌士郎」に相応しい顔立ちでした。




あれから3年・・・。

子供は1日1日進化します!

生後



        

現在  
     





私は進化しましたか・・・?



      




追伸:

子供から学ぶ事はたくさんあります。

「今日より明日!何事も怖がらず一歩を踏み出す!」

未熟な子供は、怖がる前にチャレンジしています。

「チャレンジ精神」

父として、家族のために、そしてお客様の為に頑張ります!



「巌士郎!生まれてきてくれてありがとう!」  
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2011年10月27日

メニュー開発~醤油の仕入れ編

美味しいかけそばを作ろう!

まずは、かけそばのベースとなるつゆ(通称:甘汁)を考えます。

「蕎麦はざるそばだろう!」

という声も聞こえてきそうですが、
もちろんざるそば(冷たいそば)は大事です。
私も、とても大事にしています。

しかし、かけそばも大事にします。

「うちは冷たい蕎麦しかないよ!」

そんなこだわりのそば屋さんもあります。
それはそれで素敵です。

でも大事なのは、お客さんが何を求めているか?
ということもすごく大事ですよね。

だって、真冬の寒い時に、冷たいそばだけ食べられますか?
もちろん「そば通」の方なら良いでしょう。

だったら私は、「そば通」もうならせる「かけそば」を作ります。

意外と馬鹿にされがちですが、
温かいそばも、奥が深いんですよ!(笑)

という訳で、まずは醤油探しです。
と言っても、使いたい醤油があります。

<知る人ぞ知る大久保醸造店>

長野県松本市里山辺にある醸造蔵です。
創業明治38年(1905年)から醤油を作り始めたそうです。

現在3代目の大久保専務さんとの出逢いは、
私が勤めている会社で、手打ちそばの通信販売を始める時でした。

そば屋に勤めていた私は、もちろん大久保醸造さんのことは知ってはいましたが、
取引はありませんでした。

企画が上がったとき、私は一番に大久保さんへ連絡をし、
お会いすることができました。

「うちは売らないよ!」

初めて蔵に訪れて、早速大久保さんとお話が出来ました。
そこで一番に言われたこと。

「うちは見ての通り、小さな蔵だ。全て人の手で造っている。
 大量生産、大量販売って考えじゃ、うちは売らないよ!」

「まずは、あなたの考えを聞かせてくれ!」

私は率直に素直な気持ちを伝えました。

・以前はそば屋に勤めており、大久保さんの醤油を一度使ってみたかったこと
・通信販売の企画のコンセプトは、自宅にいながら、
 そば屋に負けない蕎麦をお届けしようということすること
・安さではなく、お客様に感動して頂けるものをつくりたいこと

そうすると、大久保さんは黙って蔵へと案内してくれました。

まずは原料置場です。
生産地と等級が、しっかりと記載された大豆・小麦・食塩・米が保管されていました。
それも一等のものばかりです。塩沖縄のシママースを使用していました。

そしてもう一つ驚いたことは、
蔵がとても綺麗なんです!

勝手なイメージですが、こういう職場って、結構汚いイメージがあったのですが、
大久保醸造さんは、きちっと整理されていました。



「お客様には、本物の醤油を食べてもらいたい。だから妥協は一切しない!」

私は、この言葉に感銘を受け、
大久保さんの醤油で、ざるそばのつゆを作ったのです。

「こんなにも違うものか?」

醤油を変えただけで、こんなにも変わると思っていませんでした。
美味しいものは、後味がいいのです。

大久保さんの醤油で作ったそばつゆは、
口にしたあと、スーッと消えていきます。
雑味がないのです。

この時から、大久保さんとのお付き合いが始ましました。
何か困った時があれば、親身になって相談に乗ってくれます。

「これなら、温かいそばのつゆも、大久保さんの醤油で作りたい!」

私は、ずっと心に想っていました。

そんな大久保さんと、先日久しぶりにお逢いしてきました。

温かいつゆ用のかえしを試作するためです。

今回も、親身になって相談に乗って下さりました。
味醂は何を使っているのか?
どんな仕上がりのつゆにしたいのか?
などなど・・・(笑)

果たして、どんなかけつゆが出来るのでしょうか!
私も今から楽しみです!

こうご期待!!!



出来ることからコツコツと・・・まずは美味いものを作るべし!!!!

追伸:

大久保さんは、とても醤油造りを大切にしています。
それだけではなく、日本の食生活も大切にしています。

こういった姿勢が、多くのそば屋さんとのお付き合いに繋がっているのでしょう。   
身近に大久保さんがいて下さる事に感謝し、
納得いくものを、作っていきたいと思います。

  


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2011年10月26日

お笑い芸人を目指していた料理長!!

<ある休日の過ごし方~パート2>

お昼のそば屋でのアルバイトを終えた私が向かった先は、
駒ヶ根市にある旅館です。
また約1時間かけて移動します。

<夜の部 和みの湯宿なかやま>



自宅から車で10分、駒ヶ根市の名寺「光前寺」のすぐそばです。

もうすぐ勤めて丸3年になります。
社長をはじめ、スタッフの皆さんに、とても良くして頂いています。

『お笑い芸人を目指していた料理長』



料理長が、ある日ボソッと言いました。

「俺・・・昔・・お笑い芸人になりたかったんや・・・。」

岐阜県出身の料理長は、真剣に話をしてくれました。

どうして料理の世界に入ったかは省略させてもらうとして、
要するに「人を喜ばせるのが好き」というのが、根本にあるそうです。

これは、どんな世界でも同じことですよね!
その表現方法が、料理かの違いです。
料理長はまさに、両方を兼ねそろえた方かもしれません。

とても勉強熱心で、常に頭は次の献立のことばかりです。
新メニューをどんどん試作し、一品一品丁寧に仕事をしていきます。

蕎麦屋と違って、お客様一人に出す料理の数が全然違います。
その分だけ仕込みも多くなります。(当然ですが・・・)
それを効率よくこなしていく・・・まさに段取りの鬼ですね!

また、私がアルバイトを始めた当初から、とても親切で、聞けばなんでも教えて頂けました。
もちろん厳しい一面もありますが、とても頼り甲斐のある料理長です。

例えば、
個人的にホームパーティーで料理を作る時、
料理のアドバイスや、仕入れまで面倒を見て頂きました。

開業準備につまずいた時は、
夜な夜なファミレスで話を聞いてくれます。

料理長とは、公私ともに、深いお付き合いをさせて頂いてます。

そんな料理長も、とても熱い方で、現在目標に向かって突き進んでいます!
【詳しくはブログで→http://washokuitiban.naganoblog.jp/

『ウソをつけない板前さん』



板場には、もう一人の板前さんがいます。
年齢は私の一つ上です。

とても真面目で、どんなに大変な仕事でも、難なくこなしていきます。
ウソを付けないというのは、まっすぐ過ぎて、すぐに顔に出てしまうところです。
それもまた素敵なところなんですけどね!(笑)

たまに、料理長も含めて3人で飲みに行きます。
とても勉強になったお話があります。

「働く意味・・・」

これは、料理長のお祖母さんが言っていたそうです。
「働くとは」
「はた(他の人)を楽にしなさい」
ということ。

そうすれば、人との信頼も築けるし、必ず人が付いてくる。
まずは自分が見本となるようにと教えてくれたそうです。

料理長は、過去の経験からも、学びを私達に伝えてくれます。
そしていつも「繋がりの大切さ」を語ってくれます。

本当にその通りですね。
岐阜県出身の料理長と、福島県出身の私が、
長野県で知り合って、一緒に働いていること。

「出会いは偶然ではなく必然である!」

私もそう思います!
今後とも宜しくお願いいたします!



あとがき・・・

旅館で働けた事によって、
料理の勉強はもちろん、大人数のこなし方や、
様々な盛り付け方などなど、沢山の学びがあります。

活かすも殺すも自分次第ですね!

そして、旅館の仕事の楽しみは・・・やっぱりこれです!

ババンバ!バン!バン!バン!



温泉に入って、疲れもリフレッシュ!!!

これが私の休日の過ごし方です(笑)
  


Posted by カズキ at 12:00Comments(2)開業準備

2011年10月25日

個人を活かしてチームを作る!

<ある休日の過ごし方~パート1>

私は現在、会社員ですが、週末はアルバイトをしています。
開業資金を貯めるためと、やはり「現場の感覚」  を鈍らせないためでもあります!

この日は、二軒のはしごです。

愛車のワーゲンバスを走らせ、颯爽と向かいます!




一時間をかけてようやく到着 ↓↓↓




<お昼の部 そばきり吉成>


このお店は、現在私が勤めている会社の取引先です。

今から約3年前に営業に行ってからのお付合いで、
ご主人とは、会ったその日から意気投合し、
お互いに蕎麦を通じて距離が近くなりました。

それからは・・・

新しい蕎麦の試作を一緒に考えたり、
評判の蕎麦屋へ食べに出かけたり、
蕎麦の優良生産者を探したり、
さらには、吉田さんが二店舗目を立ち上げる際に、
毎週のようにヘルプに行って、基礎作りのお手伝いもしました。

まさに、公私ともに深いお付き合いをさせて頂いてます。

そんな中、さらに絆を深める出来事がありました。

『炊出しに支援するよ!!!』

【3.11】の大震災を受け、私は故郷福島県へ炊出しに行くことを決めました。

道具やら材料やら準備を始めていた時、
吉田さんがその事を知り、温かいそば用の汁と、そば粉を提供して下さいました。

「俺にはこれしか出来ない。一緒に行ってあげたいんだけれど、ごめんね!」

そう言って、準備して下さったのです。
本当に有難かったです。

【過去ブログ参照→http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e739620.html

これ以降、私はさらに吉田さんのお店が忙しい時は、
出来るだけ手伝いに行きました。

ゴールデンウィーク、お盆休み、連休など、
とにかく吉田さんのお役に立てるならと、
休みを返上して、お店のヘルプに行きました。

良いこともあります!



厨房を任せて頂けるので、
現場の感覚が鈍らずに感覚を養えることと、
経営(マネジメント)の勉強です!

吉田さんは、蕎麦店を二店舗経営され、どちらとも「繁盛店」と言われる位置を築きました。

数字もとても得意で、経営に関わる数字を教えて頂くことが出来ます。
従業員も、素敵な方達ばかりです!

『個人を活かしてチームを作る!』

このお店の特徴は、みんなが協力し合って、一つのお店を作っているところです。

例えば、スタッフの中で、とてもお料理が得意な人がいます。
主に、デザートを作るのが得意で、
お店の「おすすめデザート」を作ってきてくれます。
(これがまた絶品!!!)

また、従業員を探してくれる方もいます。
顔が広く、人脈もあるので、良いスタッフを集めてきてくれるのです。
スポット的に忙しい時など、本当に助かりますよね!

その他のスタッフも、自分の能力が活かされて、
とても楽しそうに仕事をしています。(なあなあにもなっていません)

ホールが得意な人、厨房が得意な人、盛りつけが得意な人など、
しっかり把握して、ポジションを与えています。

蕎麦ももちろん美味しいのですが、こういった隠れたところが活かされて、
お店の雰囲気も良いので、きっと評判になるのでしょう。

個人を活かして、チームを上手に作っているいい例だと思います。
いつも行くたびに勉強になります。

「同じそば屋だけど、一緒に盛り上げていこう!!!」

私と吉田さんとの約束です!



これからもよろしくお願いします!!!

【系列店:そばの郷も人気です!→http://r.tabelog.com/nagano/A2004/A200403/20000642/  


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2011年10月21日

メイド姿の「かつお節屋さん」

<Noodle World 2011 in パシフィコ横浜>



10月20日

会社の仕事の関係で、パシフィコ横浜で開催された展示会
『Noodle World 2011』 に行ってきました。

この展示会は、そばやうどんを含め、ラーメン、パスタなどの、
いわゆる 『麺』 の合同展示会です。

いつもは、出展する側ですが、今回は視察ということで来させて頂きました。

今回の目的は、会社の内部事情により公表はでいませんが、
一つでも盗んでいこうと「テーマ」を決め、同僚と二人で会場を回ります。


これって本当に重要ですよ!!!

今までの私は、展示会に行ってもただ見るだけで終わっていました。
何となく・・・「あー良いね」「あー美味しいね」
とだけで、何の身にもなりまでした。

当り前ですが、多くの出展社がいます。色々アピールもしてきます。
しかし、全ての声に耳を傾けてしまったら、
時間も集中力も無くなります。

だから「テーマ」を絞って周る事が大事だなと感じました。
そして「遠慮なくズカズカ聞く!!」

せっかく東京まで出てきて、お金と時間を使っているんだから、
遠慮は必要ないと思っています。

積極的に伺うと、相手も本気で応えてくれますしね。
見ているだけでは、絶対わかりません(笑)。
こうして集中的に、目的のブースを訪れ、無事に目的は果たせました。

「感じたこと」

まず感じたことは、「ラーメン」関係ブースがとても多く、会場の6割を占めるほどで、
「そば・うどん」ブースが、とても減っていました。

これは、外食産業の勢力図が、明らかに「蕎麦屋」よりも「ラーメン屋」の方が強いというのが分かります。

新規開業者に至っては、やはり「ラーメン屋」の方が多いのでしょうか。
(そば屋の楽しさは、私の中で圧倒的なのですが・・・)

そんな中、おなじみの方にお逢いすることが出来ました!

『メイド姿のかつお節屋さん』



マネキンさんってご存知ですか?
簡単に言うと、客引きのお姉さん的な仕事です。

私が取引のある、かつお節屋さんのマネキンさんは、
なんと「メイド姿」だったのです。(恥ずかしくてなかなか見れません・・・)


でも、素敵です!

このかつお節屋さんとは、私が松本市の蕎麦屋に勤めていた時からのお付き合いです。
ここの社長さんは、私がつゆの味に悩んでいた時、わざわざ東京から、
松本まで来て下さって、私の作ったつゆを見てもらった事があります。

大手のかつお節メーカーさんの社長さんがですよ!
それ以来、ここのかつお節屋一本でやってきました。
こういうことって、本当に大事ですよね!

逆に私が、東京の会社に訪れたこともありました。
その時も、大変良くして頂いたのです。

久しぶりにお逢い出来て嬉しかったです。
社長が一言・・・

「塙くんと会うと、元気が出るよ!!開業準備頑張ってな!応援してるよ!!」

と温かいお声を掛けて頂けました。
嬉しいですね!!

「かつお節はマルサヤ」
【HPはこちら→http://www.katuobusi.com/

社長!これからも宜しくお願いします!!!



会社のお金で、こうやって勉強させて頂けるのは、本当にありがたいです。
だから私は、しっかり会社にも恩を返したいと思っています。
出来ることは限られますが、小さなことでも頑張ります。

「会社の仕事」と「開業準備」を抱えるのは、とても大変ですが、
出来ないではなく、やる!と決めたのでやります!

もちろん開業してからも、良き関係を気付くためにも大事なことですね!


余談・・・

展示会を後にした私達は、六本木のとある
「高級創作洋菓子店」 に営業に行きました。
何の営業かは、あえて触れないで下さい(笑)

その後、近くに「六本木ヒルズ」があったので、お茶しに行きました!

そこはまさに富裕層の集まりです。
宮田村ではお目にかかれない派手なおばさんや、
優雅なお姉さんなどなど・・・。

たまには刺激を与えるのも良いですね♪♪♪

会社の先輩は、初めて来たみたいで、興奮気味に写真を取っています。


目の前には、テレ朝があり、お土産コーナーで先輩が見つけてしまったもの、
「アメトーーーーク」の「筋肉マン芸人」のDVDだそうです。
ここで買うと、筋肉マンの特典がもらえる!!!

筋肉マン世代の俺には、これがどうしても欲しいんだーーー!!!  
でも、嫁に怒られるぅぅぅぅ!!!!!・・・・



しかし、この5分後にしっかりこのDVDを買っていました(笑)。

都会もたまには良いもんだ!



スーツ姿も素敵でしょ(笑)?  


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2011年10月20日

お金は好きですか・・・?

開業準備の一つとして、
お金の勉強もしなければなりませんね。

お金のこととなると、なかなか勉強するにも、
苦手という方も多いのじゃないでしょうか?

私もずっと現場だったので、自慢じゃないですが苦手です・・・。

しかし、

美味しい蕎麦が打てても、商売は出来ません!

という訳で、知り合いの税理士さんに、
お金の勉強会を開催して頂きました!(大げさですね・・・)

初めてなので、簡単に二つに絞って教えて頂きました。

1.お金の流れが、どう動いているか把握をすること

難しく考えず、今から出納帳を使って、
シミュレーションすると良いとのことで、早速買ってきました。
お恥づかしながら、このようなものがあることは知っていましたが、
どういったものかは見たことがありませんでした。

でも、 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」 です。
実際に仮金庫を設けて、お金のやりくりをしてみたいと思います。


2.開業前に使ったお金は、領収書として取っておくこと

例えば私の場合、福島の親方のお店から、一式購入した道具やら備品の数々。
それを取りに行った際の、レンタカー代、交通費なども、
後々経費となるそうです。
ここでポイントとなるのは、
ただし!

全ては丸投げにしません。
最低限の知識だけは頭に入れておかなきゃですね。

まだまだ未熟者ですが、勉強していきますよーーー!


追伸:

色々開業までには問題があるけれど、何が問題かを把握して、
一つ一つ解決していくしかないですね!
それらをクリアしてこそ「成長」出来るのかもしれません。

『行動だけが現実を変える!』

まさしくその通りです!

頑張っぺ!!

  

Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年10月18日

ディズニーランドの教え

10月15日~16日と東京ディズニーリゾートに行きました。
初日にディズニーシー、二日目はディズニーランドです。

今回の目的は、妻の母の還暦祝いです。
私の家族と義姉家族と妻の母の計9名で行ってきました。

いざ出発!

久しぶりのディズニーリゾート、心踊る興奮を抑えて、土曜日の朝方に出発しました。
行きは、小雨が降っていましたが、そこはミスター晴男!!
着いた頃には、何とか雨も止み、初日がスタートしました。

<一日目 ディズニーシー>



初めて訪れたディズニーシーです。
天気の影響か、人も少なく、とてもスムーズに園内に入場できました。
また、義姉が全て予定を組んでくれていたので、時間通りに楽しめます。
ある意味、義姉コーディネーターとなっていました(笑)

『ガイドツアー』

ディズニーリゾートのサービスの一つとして、ガイドツアーというものがあります。

ガイドさんが一人付いてくれて、ディズニーの誕生秘話や、アトラクションの説明、
園内に隠れているミッキーのマークの隠れ場所なども教えてくれます。

また、人気のアトラクションも、並んでいる脇をすり抜け、
すんなりと乗れるシステムもあります。

いたる所でショーがあったり、美味しいお料理も沢山あったりと、
乗り物以外でも楽しめるのが、ディズニーリゾートの醍醐味です。

また、ガイドツアーの特権で、
あの 「ミッキーマウス」 と並ばずして写真を撮ることもできます。



これもサービスの一つですよね!

初日のスケジュールを堪能した私達は、
夕食を取るために、ホテルのレストランへ移動しました。

「サービス力の高さ」

ホテル内にある「シェフミッキー」というレストランに入ります。
ここでは、食事の合間にミッキーをはじめ、
ディズニーキャラクターが各テーブルに来て、一緒に写真を取ることができます。

私もついついミニーちゃんとツーショットを撮ってしまいました(笑)



お料理はもちろんのこと、スタッフの目配り気配りは流石です。
嫌な思い一つせず、とても満足のいく夕食となりました。

一日中歩き回った私達は、明日のために早めに体を休めました。



(疲れ果てた我が息子・・・)


<二日目 ディズニーランド>



二日目はディズニーランドです。
朝方目を覚ますと、やや雨降りでしたが、やはりここでもやっぱりミスター晴男!!
入場する頃には快晴で、半袖でもいいくらいの陽気です。

この日もガイドツアーをお願いします。
園内は、この陽気でとても賑わっています。

それでもやはりガイドツアーの力!優先的にアトラクションに乗らせていただけます。
乗り物に乗れるだけではなく、様々な事を教えていただけるので、何倍も楽しませて頂けます。

この日のガイドさんは、なんと、義姉家族が以前お願いした方と一緒でした。
きっとご縁があったのでしょうね!

これぞパレード!!!

午後になると、ディズニーランドの一番の楽しみである「パレード」が始まります。
テーマは10月ということで「ハロウィン」です。



次々とキャラクターや、パフォーマーがやってきます!
歌に合わせてお客さんも踊り、会場が一体感となっていました。

衣装が凄いこともありますが、私が注目したのは、パフォーマーの凄さです。
一人一人の動きは、誰もが舞台の主役を飾れるほどのパフォーマンスです。
(当然ですが・・・)
きっと、とてつもない激しい競争から勝ち残らないと、
このステージには立てないのでしょうね。

だからこそ、人々を感動させることが出来るのでしょう。
そんな目線で見ていたら、ちょっと泣けてしまいました(笑)。

「サービスのプロ!ディズニーリゾート!」

今回の二日間で、私はとても多くの学びがありました。

簡単に言ってしまうと、サービス力の高さです。
小さなことも、一つ一つとても大切にしていました。

掃除一つにしても、スタッフが生き活きと楽しそうにしている。
木を一つとっても、そこには「物語」があり、それを大事に育てている人がいる。
お店一つをとっても、やはりそこには「物語」があり、看板やメニューに反映され、
それをスタッフが大事にしている。


一つ一つに「意味」があり「物語」があったのです。
そしてそれらが重なり合って「感動」を作っているのですね。

当たり前ですが、そこに「感動」があるから、お客さんは来るのです。

ディズニーには「イマジニア」という人達がいます。

「イマジネーション」+「エンジニア」 の掛け合わせた造語です。
これは、ディズニーの生みの親「ウォルト・ディズニー」が作り上げた言葉です。

常識にとらわれず、常に「驚き」「感動」を創り上げていく「イマジニア」の人たち・・・。
本当に凄いっすね!!!

私も改めて 「感動」 できるお店づくりをしようと教えられました。

最後は、義兄とスプラッシュマウンテン!
一番先頭で大はしゃぎし、水をしっかり被ったことは言うまでもない・・・。

こうして、全ての予定を終了させ、大満足の還暦ツアーとなりました。

「意思があれば、石からでも学べる!」

頑張っペ!!!カズキ!!!!!



あとがき・・・

帰りの道中、助手席の妻は、睡魔に襲われ、
あっちの世界とこっちの世界をさまよっていました。

音楽を変えようと、人差し指をディスプレイに指差したまま寝る妻・・・
目は、半目・・・ディスプレイの青い光に照らされた顔・・・
私の妻が一番怖い、ハロウィンの主役となっていました・・・。



本気で楽しかったです!  


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2011年10月16日

避難所が閉鎖しました

開業準備とは異なる話なのですが、
以前ブログでもご紹介した、
「NPOいいだこどもゆめクラブ」
代表の矩(かね)くんより、被災地のレポートが届きましたので、
この場をお借りしてご報告させて頂きます。

【参照ブログ→http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e837088.html

以下、矩くんのレポートです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<震災から7ヶ月 宮城県石巻市渡波小学校避難所閉鎖に伴うご報告>

和貴さんのご厚意により、私が支援を続けてきた、
渡波(わたのは)小学校の避難所での子ども支援の様子や、
現地の状況を報告させて頂いてきましたが、
今回7ヶ月目にしてようやく、閉鎖の運びとなりましたので、ご報告します。

去る、2011年3月11日から7ヶ月間運営されてきた、
宮城県石巻市渡波小学校の避難所は、先日、10月11日をもち、閉鎖致しました。

当初、最大で2000名を越える避難民がいた渡波小学校の避難所も、
最終日には数世帯、ごく少人数までに減少し、
ついに、最後の家族を見送り、避難所だった校舎が空になり、
真っ暗になった体育館を始めて確認することが出来ました。

行政始め、テレビだけの情報で被災地を見る人は、
これで、一区切りと思われるでしょう。

しかし、現実問題として、全員が仮設住宅等へ入居できたわけでなく、
一部報道にもありましたように、『避難所』から『待機所』へ移った人もおり、
仮設が決まるまで、事実上、今までと変わらない日々を送らざるを得ない住民の方が、
石巻市全体だけでまだ数十人いらっしゃるのが現実です。

そんな中、渡波地区の町も、大手のコンビニが2件、
地元のお店や企業が数件ほど再建されて、営業を再開し始めました。

コンビニに入れば、私たちの暮らしの中と同じ品物が正規の値段で売られている反面、
最終日まで、食料の外部配給が行われ、それにぎりぎりまで頼って、
命をつないでいる人や、仕事も住むところも不安定な人がいるのも現実の話です。

しかし、変化も確かにあります。
子ども達の支援のため、5月中旬に渡波小学校に通い始めてから、
半年間で11回往復し、日にちで数えてみると、17日間ほどですが、
子ども達の表情・言動に変化が見られ、
本物に近い笑顔と落ち着いた言葉で話が出来るようになりました。
(当初は暴言・暴力・無視が日常にあふれ、普通の事だった)

今回は10月11日を含めて、3日間の滞在での支援でしたが、
仮設へ移るなどして、なかなか会えなかった子ども達にも、
奇跡的な再会を幾つか経験し、元気いっぱいに話して、沢山遊ぶ事が出来ました。

子ども達のこうした変化の裏には沢山の大人が関わりあっての結果ですが、
逆に、子ども達の変化には、我々大人が励まされています。

でも、本当の子どもの姿を取り戻すには、まだまだ、『これから』なのです。

緊急時的支援は終了したとは言え、仮設住宅に入った子ども達への支援が、
これからも継続的に必要です。

まず、前提として、あの津波に飲み込まれるかも知れないという恐怖を味わっている。
そして、仮設に入っているという事は、ほぼ確実に家を流されているという事です。

加えて、震災で家族を失い親戚のばあちゃんを亡くし、
クラスメートを亡くし、支えとなってきた色んな思い出まで海にさらわれた。

そんな経験をした子ども達です。

子ども達の世界にも家が流されたか、流されていないかで、大きな壁ができていています。
当初から格差が出来ていましたが、その壁はなかなかお互いに低くはならないようで、
その壁を取り除くような時間の必要な支援がここから始まります。

というのは、渡波第二仮設団地の自治会長・副会長さんと、
ゆっくり時間を取って話が出来た中にありました。

自治会として、防犯、防災、婦人会に関しては準備が整いつつあるものの、
子ども達の方は気になっていても、どう対処すればいいか解らず、困っていたとのことでした。

すでに、中に引きこもっている子どももいて、
未来を担う子ども達を何とかしたい!と熱心に話して下さいました。

そして、今度は仮設で、月に、一度でも二度でも、
子ども達と遊んで、元気を取り戻させて欲しいと、強く要望・要請がありました。

それを受けて引き続き、私は渡波での子ども支援を継続する事を決めました。

しかし、今回の単独での往復で、やはり自家用車での現地入りは危険過ぎると判断し、
今後は、名古屋から仙台へ直通の高速バスに乗り、仙台在住の音楽療法士の男性の協力の元、
共同で出来る限り継続して、支援を続けていければと準備中です。

早ければ、10月末の日曜日に再び渡波へ戻り、
現地の地域住民達と協議の上、さらなる準備に入る計画です。

これまで、影で応援をして下さった皆様、本当にありがとうございました。
個人として、また渡波に住む全ての人々に代わり、御礼申し上げます。
そして、これからも、応援をお願い致します。

また、今後の活動のご報告も継続したいと思いますので、宜しくお願いします。

長い文面にお付き合い下さった事にも、合わせて感謝致します。

NPOいいだこどもゆめクラブ 代表 矩 宏彰(かね ひろあき)

連絡先:
090-9354-6537
gakudou-nizi-@ezweb.ne.jp

  
(空っぽになった体育館・・・)                                  


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回私がブログにアップしたことで、
彼のもとに応援の電話やメールが、多数寄せられたそうです。

それが彼の励みになり、今回無事に行けたことにも繋がったことでしょう。

私からも、心からお礼を申し上げます。
皆さんありがとうございました。

引き続き、私も彼の支援を陰ながら応援していきたいと思います。
皆さんも、ご協力をお願い致します。


追伸:

この度の大震災では、本当に様々なことが起りました。
見えない部分も沢山あります。
私の実家でも、やはり影響が無いとは言えません。
   
どんな形であれ、皆の協力があって、
復興に繋がっていく。
  
私は何ができるのか・・・?
大きなことは出来ません。

まずはそば屋の開店です。  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)東北支援

2011年10月15日

食べるの5分・・見るのが20分

私の理想のそばザルを求めて・・・。

私は、先日知り合った竹細工職人「瑞波先生」と一緒に、
岡谷市にあるとあるそば屋を訪れました。
(何度も言いますが、決してデートがしたくて来たのではありませんので・・・)

このそば屋で使用しているザルが、
私の好きなザルに似ているため、
イメージを作ってもらおうというのが狙いだ。

道中、瑞波さんの竹細工についての想いが聞けたので、
簡単にご紹介します。

「瑞波先生のプロフィール」



長野県の大鹿村生まれ、
18歳の時に、京都伝統工芸専門学校に入学し、竹工芸科を専攻。
卒業後、京都の竹を扱う会社に入社し、6年間勤務。

その後、駒ヶ根市にある「海外青年協力隊」の一員として、
日本の伝統工芸を伝えるため、2年間南米ベネズエラで竹工芸の教室を開催。



帰国後は、一般企業に就職したが、
どうしても竹工芸の道を諦められず、
独立を決意!現在、上伊那を中心に活動中。


瑞波さんの言葉・・・

現在日本中で、竹林が荒れてしまっている問題があります。
長野県内も例外ではありません。

その原因は、やはり竹の用途が減ったことです。
それにより、竹林を整備する人が居なくなってしまったのです。
他にも様々な原因があると思います。

今は、ほとんど加工した竹を仕入れて作品を作っていますが、
ゆくゆくは、地元の竹を自分で加工し、作品を作っていきたいです。

最近ですが、荒れた竹やぶをどうにかしたいと、
竹の会が出来ました。

一人で出来ないことも、皆で協力すれば解決する!
竹の用途を新たに見出し、竹がやっかい者にならないように頑張ります。

最後に、私がやっている仕事は、竹工芸、物作りですが、
今後も色々な繋がりを大切にして、協力していけたらと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

素敵ですね。
是非頑張って頂きたいです。

そんな素敵なお話を聞かせていただきながら、お店に着きました。

食べるの5分・・見るの20分
お店に着き、早速注文します。

私達は、出てきたそばをペロっと5分で食べ、
ザルの大きさ、形、作りを見ます。

瑞波さんの目付きが変わります。
写真を色んな角度から撮り、寸法を計り、
周りから見れば何をしているのかという感じです(笑)

店員さんも怪しんでいます。
絶対不審に思っています。

それを尻目に、まだまだ観察は続きました。
その時間20分です。

「よし!良いでしょう!」

冷や汗タラタラでしたが、無事視察を終えました。

「まずは試作を作ってみます!」

とだけ告げ、瑞波さんとお別れをしました。
(決してデートではありませんので、あしからず)

あれから一ヵ月・・・

瑞波さんから電話が入り、ザルの試作が完成したそうです。
早速見せて頂きました。

作品はこちら↓↓↓



どうですか!素敵でしょ!!!

やっぱり間違いはなかった・・・。

瑞波さんありがとうございます!!!

こうして
「私のそばザル」
は生まれたのです!

追伸:

お店を始めるにあたっては、仕入れを安く抑える部分と、
こだわる部分のバランスを考えなければなりません。
全てをこだわってしまうと、経営的に厳しくなります。

しかし、こだわる部分は、私はできる限り、
私の周りにいる人でお店を作りたいと考えています。

なぜなら、その繋がりこそが、見えない力を持っているからです。
それが私の大事な部分である 「人脈」 だからです。

次は、どんな物語が生まれるのでしょうか(笑)

  


Posted by カズキ at 12:00Comments(4)開業準備

2011年10月14日

竹細工職人 瑞波先生

私と哲平さんは、この日「ホンムネくん」という場所で行われる、
「竹細工教室」へと向かいました。

「ホンムネ君」とは・・・?



信州中川村、天竜川のほとりにある築160年の古民家。
大きな屋根でドーンと構える“本棟造り”の家は、
ここ伊那谷の風土に合った、長野県の中南信地方にしかない建築みたいです。

そこの住人である「米山永子」さんが、
近年本棟造りの家々の取り壊しが進む中、

「生まれ育ったこの家を残したい!」

という個人の願いから始まった古民家再生プロジェクトで、
この家と風景が大好きな仲間たちと、少しずつ手を加えながら、
保存活用していこうと頑張っています。

【詳しくはホンムネくんブログで→http://honmunekun.exblog.jp/
(永子さんありがとうございます)

その一環として、その場所を貸出し、一部を保存改装費用としているみたいです。
(誰でも貸し出す訳ではないです)

この日も、「竹細工教室」が行われていました。

えっ!女性ですか?

早速ホンムネくんの中に入らせていただくと、
まさに昔のおばあちゃん家そのものです。

柱の一本一本、梁の太さ、土間の玄関など、
どれをとっても懐かしい空間なんですよー!

そんなさなか、一人の女性が挨拶をしてくれました。

「はじめまして!瑞波(みなみ)です!」

私と哲平さんは驚きました。
そこにいたのは、若い女性の方だった。

「まさかこの女性が竹細工職人?」

そのまさかです。
私は、年季の入った作務衣を来た、オジイサンを想像してましたから(笑)

そこへ生徒さんが数人表れ、早速教室が始まりました。
私と哲平さんは、その様子を見学させていただきます。

竹細工はいたってシンプル。

1.竹を筒の状態から割る

2.割る

3.ひたすた割る
  ・
  ・
  ・
30.そして、編んでいく。
(色々細かな処理などはありますが、また勉強してきます)

見ているととても簡単そうです。
しかし、実際に私もチャレンジしましたが、
上手くいくはずもないですね(笑)。

その作業の繊細なこと。
作品の写真も幾つか見せて頂いたけど、
どれもとてもセンスが良いんです。

「この方なら、きっと素敵なザルを作ってくれるかもしれない・・・。」

教室が一段落したところで、
今回の趣旨である

「私のそばザルを作って欲しい!」

とお願いしてみました。

私がイメージしているそばザルの写真を見せたところ、
見てみないとわからないと言うことで、
以前食べに行った、岡谷市にあるそば屋さんに、
似たようなザルがあったので、今度食べに行こう!となりました。
(ナンパではありませんので、あしからず・・・。)


果たして、そばザルは完成するのだろうか・・・?

続く・・・。


≪次回予告≫

食べるの5分・・見るのが20分!!

この女性・・・本物です(笑)



哲平さん!ご紹介ありがとうございます!!!  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年10月13日

一目惚れしたあのそばザルを探せ!

蕎麦屋をやる時に、私はどうしても拘りがあります。

それは、そばを盛り付けるザルです。

仕事で東京に行った時、ある蕎麦屋さんへ行きました。
閑静な住宅街にあったその蕎麦屋さんは、
都会の中にありながら、そこはまさに異空間・・・。

心地よい音楽とともに、そば以外の料理も充実しています。

私は、ここで頂いたときに盛られていたザルに一目惚れしました。
お店をやるときは、こんなザルに私のそばを盛り付けたい!

その時は、漠然と思っていたのです。

月日は流れ、実際に開業に向けて動き始めた時、
あそこで出逢った素敵なザルを探し始めました。

業者さん、インターネット、蕎麦屋の同業者さん達など・・・。
しかし、なかなか見当たらない・・・。

結局、ザルと言うのは、農家さんが、冬場の農作業が休みの間に作り、
販売しているというのがとても多く、大量生産品だと、
形もすぐに崩れてしまい、毎日使うのには、やや不向きなものなんです。

「どうしよう・・・あのザルに蕎麦を盛りたいなぁ・・・。誰か作ってくれる人いないかな・・・」
と・・・想いに更けていました。

だけどそんなに都合の良い人がいるわけ・・・。

そこへ一本の電話・・・



それは、ある男の人から電話でした。

その男性の名前は、哲平さんといって、
現在私が勤めている会社のイベントで知り合った方です。

哲平さんは、木工を業としていて、
オリジナル家具の製作なども手掛けています。

イベントのときは、数種類の木材から選んで、自分の「箸」を削りだして作ろう!
と集まった人達に教えていました。

私は、なんとなく哲平さんの空気感が好きで、声をかけて挨拶を交わし、
連絡先をお互い交換していたのです。

それから約半年後、その哲平さんから電話が入りました。

「久しぶりだね!元気にしてたかい?」

相変わらず、とてもゆったりとした空気が、電話越しに伝わります。

「開業するって聞いてたけど、前にザルが欲しいって言ってたよね。実は知り合いに、竹細工をやっている人がいるんだけど、今度教室をやるみたいだから、一度話をしてみたらどうかな?」


待っていました!さすがは伊那谷!

私は、二つ返事でその竹細工教室に行くことにしました。

場所は・・・中川村にあるホンムネくん・・・?

どこだろう・・・?

続く・・・。

≪次回予告≫

久しぶりに会った哲平さんと私は、
中川村にある『ホンムネくん』という場所へ向かいます。


  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年10月12日

もう一つのそば祭・・・

第8回「信州・松本そば祭り」
の裏話・・・

そばを打つ楽しみもありますが、
やはりそこは松本・・・。

折角だからと、お世話になった飲食店へと顔を出しました。(飲みに行きました)

付き合ってくれるのは、いつも世話になっている親友のヒロ!



そば祭の前夜祭ということにして、松本の夜を楽しみます。

1軒目
食い飲み屋BUN



ここのお店は、私が松本市に住んで、初めて飲みに来たお店です。
何しろ美味い!&楽しい!!!

ここの店主は通称「ボス」と呼ばれ、
常連さんや、スタッフからも、熱い支持を受けています。
もちろん私も大好きです。

築120年の土蔵を改装して、お店にしているのですが、
店内に流れる音楽は、その雰囲気からは想像できません。
「矢沢永吉」をはじめ、ロックな音楽がかかっています。

スタッフも個性派揃いです。
むしろ個性派しか雇わないんじゃないかと思います(笑)

リーゼント決まってるスタッフもカッコいいんです!!!
そのギャップが良いんです。

「常識に捉われないオリジナル」

分かっていても、なかなか出来るものではありません。
しかし、それを乗り越えて確立されている
『食い飲み屋BUN』
のポジションは、
来るお客さんを、飽きさせることのない空間と変わっているのです。

もちろんですが、料理、お酒にも妥協を許しません。
だからこそ、お客さんが集まるのですね。

松本に来る時は、寄らせて頂いています。
本当に勉強になるお店です。

【BUNのぐるなびページはこちらから⇒http://r.gnavi.co.jp/n025000/

2軒目
満腹厨房だぶる


このお店は、私が松本に勤めていたそば屋のすぐ横です。
仕事帰りによく一杯飲んで帰っていました。

お店のネーミング・・・
「だぶる」は、
バーテンダー兼社長と料理長が同じ名前と言うところから決めたそうです。

お二人の色が、丁度バランスよく混ざり合って、
料理に、お酒に楽しめるお店です。

私の結婚式の2次会でも、利用させて頂きました。

もう一つ、この「だぶる」には、思い入れがあります。

実は、このお店で知り合った二人のおかげで、
多くの仲間達と知り合いました。

以前のブログでもご紹介した
「信頼できる酒屋さん」と「親友のヒロ」です。

「だぶる」さんがきっかけで、知り合う事が出来たのです。

カウンターに三人が並び飲み始めると、

「久しぶりのスリーショットだな!!!」

と店長が笑いながら話し出しました。

なんか良いですよね!こういうのって!!
何時行っても変わらない空間です。

「カウンターの使い方」

ここでも勉強になります。

お客さんとの間の取り方、
飽きさせないトーク、
時には自身の考えを語り・・・。

なんせ面白いんですよ!

【満腹厨房だぶるのぐるなびはこちら⇒http://r.gnavi.co.jp/n942200/

私は、また来ることを約束し、お店を後にしました。


追記:私を含めた3人は、次の日のそば祭を忘れかけるくらい、
   夜な夜な飲み続けてしまったのは言うまでもない・・・。



ご馳走様でした!!!松本最高です!!!!!  


Posted by カズキ at 12:00Comments(2)そば祭

2011年10月11日

「信州・松本そば祭り」で打つべし!!!

今年も行ってまいりました!

松本市が誇る、食欲の秋の一大イベント

第8回「信州・松本そば祭り」
・・・10月8日~10日

このイベントも今年で8回目です。
国宝松本城の周りで、長野県をはじめ、県外からも出店しています。
なんと遠くは、北海道からも来ているのです!

そば屋さんもありますが、そば打ち同好会の皆さんも出店している、
長野県内最大規模の新そば祭なのです。
3日間でなんと15万人も方がご来場されるんですよぉ!!!

私はというと、松本を拠点としている「美蕎楽(みそら)の会」さんの
手伝いということで、毎年参加しています。

きっかけは、この会の代表と、私が松本市のそば屋に勤めていた時に知り合ったことです。
当然その時は、お店で働いていたので、手伝いには行けませんでしたが、
そば屋を辞めてからサラリーマンになって、3年間は蕎麦を打ちに行きました。

なぜって?

この会の方達の温かさと、繋がりの強さですかね!

私も急に仕事で、打ち手が必要になった時、手伝いに来て頂いたり、
年に一度しか会わないのに、「塙くん!塙くん!」と皆さん声を掛けて下さるのです。
(嬉しいじゃないっすか・・・)

そんな訳で今年も打ってきました!
そばを打つ場所はこちら↓↓↓

お城から徒歩5分の公民館で、皆で打ちます!

私はと言うと、ブース前で客寄せです(笑)
打つべし!打つべし!しゃべるべし!
とにかくお客さんを呼び込みます!(松本城が目の前です!)


時には、そばも茹でちゃいます!
「へい!いらっしゃい!!!」

なんせ気合と勢いが肝心です!
皆さんの士気を高めるのに、声だけは張りました(笑)

仲間達や先輩も、私が来てると話を聞きつけ、
たくさん駆けつけてくれました!(感謝・・・)

結婚した友人、新しく子供が生まれた先輩、車仲間、飲食店の先輩・・・などなど。
つくづくありがたいっすね!!!

隣のブースには、福島県のお店も参加していました。


そば祭の常連です。お元気そうで嬉しかったな・・・!
「会津山都そば 蕎邑(きょうむら)HP⇒http://www.kyomura.jp/

3日間のうち、私は仕事の都合もあり、
2日間のみの参加でした。

初日は「650食」でしたが、2日目は巻き返して「1016食」と目標を達成しました。
その時のみんなの喜びは、どんな疲れをも吹き飛ばし、自然と笑顔がこぼれます。

私もとても嬉しかったです!
この溢れる感動は、精一杯力を出し切ったこと、
そして皆で協力し合ったからこそ味わえるものです。

とても楽しい2日間を過ごさせて頂きました!



あとがき・・・

こうやって、皆さんに声を掛けて頂けること、
そして皆さんが口を揃えて、

「お店が出来たら、絶対行くからね!!!教えてよ!!!」
「頑張ってね!応援してるから!!!」

と応援して下さること。
本当に嬉しいです。

私は本当に恵まれています。
人と人の繋がりこそ、
私の「財産」です。

皆さんの素敵な笑顔に感謝いたします!


最後に皆さんと記念写真を撮りました。

では、行きますよーーー!!!

「みそらの




お疲れ様でした!!!(笑)


≪次回予告≫
もう一つのそば祭・・・

こうご期待!!!
  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)そば祭

2011年10月07日

覆面捜査員をうならせた鶏肉!!

はじめまして!
私は生まれも育ちも、長野県の伊那谷です。
中央アルプスと南アルプスの山間にある、大自然の中です。

私のご主人は、私が生まれた時から、大人になるまで、
男手一つで育ててくれました。

だから私は都会に行っても寂しくはありません。
だって、こんなにも愛情をたっぷりと注いでくれたのだから・・・。


こんな会話が、本当に聞こえてくるのじゃないかと思うくらい、
この方は、愛情に溢れていました。

(有)林種鶏場 代表取締役 林 正博さん



私は、そば屋で使う食材として、
長野県の地鶏にスポットを当てました。

そば屋で使う肉といえば、一般的に「鴨」ですが、
私は地鶏を使いたいと考えています。

「鴨」を仕入れるのは簡単です。
業者に言えば、冷凍ですぐに持ってきてくれます。
しかし、冷凍の鴨は、独特の臭みがあり、私はあまり得意ではありません。

また、福島で修業をしていたそば屋「木鶏」では、
しゃも肉を使用していたということもあり、
出来れば軍鶏を使いたいと考えました。

「ぎたろう軍鶏との出逢い」

私が故郷の福島県に帰った時、私の親友が営んでいる焼き鳥屋でその存在を知りました。
彼は、ベースに使っている鶏の他に、全国の地鶏を取り寄せては、
お勧めメニューとして、出しているようです。

そして、以前に長野県の「ぎたろう軍鶏」を取り寄せてみたけど、
とても美味しかったと聞きました。

ずっと頭の中に、その「ぎたろう軍鶏」が離れられず、私は今回アポをとって、
まずどんな方が、どんな飼育をしているのかを見に行きました。

「中には入れませんからね!」

10月1日の土曜日です。
私はお約束通り10時に鶏舎へと向かいました。
すると、丁度そこに、一人の男性がいました。

その方こそが、この道20年の大ベテラン、林社長だったのです。
柔らかい表情の中に、時折みせる厳しい顔からは、
職人魂を感じさせられました。

早速鶏舎の中を見学させて頂こうと思ったら、

「本当は中には入れられないよ!でもこうやって、
わざわざ来てくれたから、特別だからね!」


と言って頂きました。

そして、軍鶏の飼育についてお聞きしました。

林種鶏場では、

1.卵から孵化させ、ヒナから飼育する
     ↓
2.厳選されたエサで、じっくりと育てる
     ↓
3.約120日かけて、大きく育てる(ブロイラーの約3倍)
     ↓
4.自社工場で軍鶏を処理する
     ↓
5.販売先へ出荷する


なんと、一社で全てを行っているのです。

ポイントは生育期間です。
約120日を目安に、じっくりと育てることを大事にしています。

一般的なブロイラーのように、無理に太らせて、
45日で大きくすることはしません。

同じ鶏舎の中でも、いくつか区切りをつけてあり、15日ごとに鶏を移動させるそうです。
鶏舎の中には、小さなヒナから大きな鶏までたくさんいました。



また、エサに関しても興味深い話をお聞きできました。

林さん自身、とても研究熱心で、エサの配合を季節によって変えたり、
試験的に与えてみたりと試行錯誤を繰り返し、今のエサにたどり着いたそうです。

ある時、これはいいエサだということで、
鶏のエサを扱っている会社に提案したところ、 
他の養鶏場から絶賛され、何と商品化してしまった経歴も持っています。
エサは、トウモロコシが主で、その他は穀物を絶妙な配合でブレンドしています。

温度管理にも気を配ります。
寒くなるこれからは、ストーブは欠かせません。



ミシュランガイドに載りました!

こんなにも大事に育てられた「ぎたろう軍鶏」ですが、
実はこの鶏を扱っている焼き鳥屋が、あのミシュランに認められ、
なんとミシュランガイドに掲載されたそうです。

林さんは、とても嬉しそうに話をしてくれました。



最後に、林さんへお聞きしました。

「林さんにとって、軍鶏を育てていく中で、
一番大切にしていることは何ですか?」


林さんは一言

「それは、安心安全です!」

最近聞きなれてきた「食の安心安全」のPR。

林種鶏場では、卵から孵化させ、大事に育てて処理をする。
そして最後にお客様に出荷する。

一連の流れを、自社で出来るからこそ「安心安全」に自信が持てるのでしょう!!

林さんの目が全てを物語っていました。


リサーチの重要性!

主となる材料は、最低自分の目で見て、
肌で感じなければなりません。

と言うわけで・・・・



「ぎたろう軍鶏を食す!!!」

10月5日は妻の誕生日でした。

この日に合わせて、この日に処理をしたばかりの軍鶏を捌いて、
水炊き鍋にしました!
(本当なら、2日間位寝かせた方が旨みが出るそうです)

私からの誕生日プレゼントと言うことで、
料理でおもてなしをしました。

これが「ぎたろう軍鶏」の丸鶏です!これで約2kgあります!


捌いてなべ用にします!



鶏がらでスープを取り、水炊きにしました。

「おお!!!!これは美味い!!!!」
「プリプリだね!!!」
「日本酒に合うぅぅ!!!(笑)」


子供達もペロリです♪ 

もちろん最後は雑炊で・・・これまた美味かった・・・。
(あまりの美味しさに写真を取り忘れました)

ぎたろう軍鶏・・・いいね!是非そば屋で使わせて頂きます!!!

これからも林さんには、もっと軍鶏について勉強させて頂こうと思います。
宜しくお願い致します!!!




追伸:

妻の誕生日会、今年も温かく過ごせることが出来ました。
家族に囲まれ、妻も笑顔が一杯です。

大好きな人と食べる料理は、
美味しさが何倍にもなりますね!

家族のたくさんの笑顔が見れた一日でした。
ありがとう!

そして・・・

おめでとう!操ちゃん!




あっ!!!「ぎたろう軍鶏」の「ぎたろう」とは、
林さんのお父様のお名前だそうです!
  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年10月06日

福島のお酒を応援しよう!

「カズキ!松本で福島の酒を飲まないか?」

「山田商店」さんの呼びかけに、私はすぐに二つ返事をしました。

10月2日

「城下町ほろ酔い散歩2011」開催

このイベントは、松本の飲食店が、
福島を応援しようと開催したイベントです。

以下
実行委員会からの言葉・・・

-----------------------------
信州松本から、福島の為に何が出来るか。
日本酒を愛する私達4人がやれる事。
「福島のうまい酒を、松本の人たちに知ってもらいたい。」

福島県は日本一の酒処です。
ぜひ、蔵人と語り合い、美味い肴を食べながら
これからの日本酒の未来の可能性を飲み明かしましょう!!

-----------------------------

という熱い想いがきっかけで、
このイベントの開催が決まったようです。

私も福島県の地酒を仕入れたいと思っていたので、
情報収集と、久しぶりにみんなと飲むために参加をしてきました。

イベント内容は以下の通りです。

・参加する飲食店は4店舗
・参加する福島の蔵元は8社
・会費3,000円
・飲める量は日本酒8杯
・時間は一店舗につき約1時間
・料理は各店選りすぐりの特別プレート

というルールでした。

一軒目のお店で、早速スタート。

会が始まる前に、福島県の蔵元さんから挨拶がありました。



「今回はこのようなイベントを組んで頂きありがとうございます。
 福島県は今、原発の影響から、とても苦しんでいます。
 しかし、このような機会を与えてもらえたことに、本当に感謝しています。
 今日はどうぞゆっくりと福島県のお酒を楽しんでいって下さい。」


福島弁の訛りから、一生懸命言い出したこの言葉に、
私は早くも涙しそうになりました。

ありがたいよな・・・。

そして、今日はとことん楽しもうと決めました。

私達は、各店で全種類のお酒とお勧めのお料理を頼み、
利き酒感覚で飲み比べをしました。

純米酒、純米吟醸酒、原酒、無ろ過などなど、
同じ蔵元でも、色んなパターンが楽しめました。

これが好き!これはこういう料理に合うんじゃないか?
独特だね!

など各々感想を言い合いながら、試飲をしていきます。

一軒、二軒、三軒目となると、もう酔い酔いです(笑)

そんな中、山田商店店主「山田明生」さんの利き酒は、
的確に各お酒の特徴を割り出し、
こんな料理に合うんじゃないかとか、
このお酒の悪いところを探るのにはこうした方が良いなど、
とても勉強になります。

もちろん私も日本酒は好きなのですが、
私は明生さんを、良き日本酒のアドバイザーとして、
そば屋に置くお酒を、一緒に吟味してもらいたいと考えています。

なぜって?

「その道のプロ」

だからです。

色んな意見があると思います。

でも、お店をやっていくに辺り、
その道のプロの人達と、意見を出し合いながら進めた方が、
私は良いお店になると考えています。

もちろん自身の勉強は怠りません。

この日、改めてそう感じた一日になりました。

『信頼できる仲間がいる』

それで良いと思うんです。

最後まで陽気に笑い、しっかりと話が出来て、
とても充実した一日となりました。

このイベントを開催して下さった皆様に感謝をしたいと思います。

放射能の測定について

皆さんが一番気になる所だと思います。
私も実際に食を提供する側として、
一番聞きたいところでした。

結論から言うと、各醸造メーカーともに、
放射線検査は必ず行っていくとのこと。

気になるのは、
どういった体制でやるのか?
と言うことです。

まず、今回来ていた醸造メーカーは、
ほとんどが会津地方でした。

自社で会津産の酒米を契約栽培しているメーカーは、
田植え前の土壌の検査、籾での検査、精米してからの検査、
そして仕込み水の検査、醸造されて方の検査と、
非常に細かく検査をしていくような体制を作っていました。

その他のメーカーも、同じです。

福島県も力を入れているそうです。

全農を通して、土壌から、酒米の検査を行い、
出荷していくことを宣言しているそうです。

私としては、もし取引きが始まったら、
そこへ証明書(検査結果)を出してもらいたいと思っています。

安全だ!安心だ!といくら言っても、
数字が一番証明してくれるからです。

そこも対応してくれると言ったメーカーもいました。

こういった生の情報も聞けたことは、
本当に良かったです。

最後に、今回のイベントを考えて下さったお店を、
ご紹介させていただきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

厨十兵衛 
 松本が誇る日本酒居酒屋。ごつい店主が作る繊細な料理。
 日本酒を飲まない方はお断り!「神様のカルテ」のモデルにもなったそうです。
  
 松本市大手4丁目8-21 ℡0263-37-9100
 食べログより⇒http://r.tabelog.com/nagano/A2002/A200201/20000077/

風林火山
 松本駅前の大衆酒場。信州の地酒屋。新聞の連載や、日本酒のイベントなど、
 精力的に日本酒普及活動をしています。
 
 松本市中央1丁目3-1 ℡0263-35-7872
 食べログより⇒http://r.tabelog.com/nagano/A2002/A200201/20002796/

アガレヤ
 日本酒をワイングラスで。地鶏との融合が絶品。ジャズが流れる大人の雰囲気。
 奥様が美人です(笑)

 松本市中央2丁目3-5 ℡0263-34-0430
 食べログより⇒http://r.tabelog.com/nagano/A2002/A200201/20010260/

NOMDOS(ノンド) 
 フランス料理と日本酒。新境地を開くために試飲会などに飛び回る若手注目株のご主人。
 今回のイベントの初代実行委員長を務めた。

 松本市中央1丁目27-15 ℡0263-36-7739
 食べログより⇒http://r.tabelog.com/nagano/A2002/A200201/20009312/

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そして、長野に来た福島の蔵元をご紹介

・曙酒造
 創業明治37年 会津坂下町
 http://akebono-syuzou.com/

・喜多の華酒造
 創業大正8年 喜多方市
 http://www.sake-fukushima.jp/ss/kitanohana.html

・合資会社会津錦
 創業明治初年 耶麻郡高郷村
 http://www.aizunishiki.jp/index.shtml 
  
・松崎酒造店
 創業明治25年 岩瀬郡天栄村
 http://www.kennan-syuhan.co.jp/brewery/012.html

・合資会社辰泉酒造
 創業明治10年 会津若松市
 http://tatsuizumi.co.jp/

・大和川酒造
 創業寛政2年 喜多方市
 http://www.yauemon.co.jp/

・鶴乃江酒造
 創業寛政6年 会津若松市
 http://www.d3.dion.ne.jp/~seibo/

・山口合名会社
 創業寛永20年 会津若松市
 http://www.sake-fukushima.jp/ss/kaisyuichi.html

以上、飲食店4店舗と蔵元8社のご紹介でした。

福島県出身の私として、
こういったことで、福島のPRをして頂けることに、
心から感謝をさせて頂きたいです。

これからも福島県を宜しくお願いします!




がんばっぺ!!!福島!!!! 
  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)東北支援

2011年10月05日

明るく生きる男のエピソード・・・

私が信頼を寄せている松本市の酒屋

「山田商店」

その店主の知られざるエピソード・・・

明生さんは、松本市寿台にある酒屋「山田商店」の長男として生まれました。

将来は、後を継ぐことが決まっていて、
何となくやろうとは、考えていたそうです。

今でこそ、日本酒はとても詳しいのですが、
若かりし頃は、日本酒なんて二日酔いになるし、
親父臭いしと、毛嫌いをしていたそうです。

そんなある日、予期せぬ出来事が起こったのです。

「お父さんの死・・・」

まだ明生さんが中学2年生の時、
一家の大黒柱だったお父さんが、急に亡くなられたそうです。
あまりにも突然の出来事に、明生さんはショックを隠せませんでした。

しかし、山田家の長男として、

「俺が何とかしなくては!」

と、「山田商店」の跡を継ごうと明確に決めたのです。

しかし、まだ若かりし時代。
そんなにお酒に対して、熱もありません。
日々の仕事を、何となくこなしていただけだったのです。

あの人生のターニングポイントが来るまでは・・・。




「人生を変えた一杯の酒・・・」

それは、今から約20年前。
大阪で行われた、日本酒の聞き酒会でのこと。

あまり長野県外のお酒は飲んだことがなかったらしく、
そこで試飲した日本酒の美味さに、明生さんはとても感銘を受けたのです。

「日本酒ってこんなに美味いんだ・・・」

この時から、日本酒の美味さを知り、
もっともっと勉強したいと決めたそうです。

大阪、神奈川、静岡の小売店で下積みをし、試飲会など積極的に参加をしては、
自分の舌に、日本酒の味を記憶させていきました。

「月給5万円の時もあったんだぜ(笑)」

そう笑いながら、下積み時代のことを話してくれました。

そして21歳の時、「山田商店」の跡を継ぎました。

始めは周りから心配されたり、お客さんとトラブルがあったりと、
なれない仕事に戸惑いや不満も出たそうですが、
今となれば、松本市内で信頼できる酒屋さんとして、その地位を確立されました。

私が想像できないような苦労などもあったと思います。

しかし、それを少しも見せない力強さや明るさが、明生さんにはあります。
常に回りに気を使い、笑いを作り、場を盛り上げる。

それが名前の通り
「明るく生きる男」
の生き方なのかもしれません。

私もいつもパワーをもらいます。

そして、開業を決意した時、

「日本酒の仕入れは、山田商店にお願いしよう!」

と決めたのです。

私は、お店に置くお酒は決めていました。

長野県の地酒と、私の故郷福島県の地酒です。

長野県の地酒は、容易に取引きが出来ると思いますが、
福島県の地酒を長野県に引っ張るのは、簡単なことではありません。

しかし、「山田商店」のネットワークなら、
それが可能になります。

それは、長年明生さんが築き上げてきた、
人脈があってこそなのです。

ありがたいものです・・・。

「山田商店」のポリシー

明生さんに聞いたことがあります。

「酒屋をやっていて、一番大事にしていることは何ですか」

と言う質問に、

「俺は、人としてきっちりお付き合いが出来る酒蔵としか付き合わない!
どんなに有名でも、それが出来なければ意味がない!」


そう力強く答えてくれました。

私もその通りです。

どんな良い食材でも、それを扱う人がでたらめなら使わない。
当たり前なんですが、それってとても大事なことだと思います。

酒は「山田商店」

お世辞は無しに、良い酒屋です。



これからも宜しくお願いします。

続く・・・。

≪次回予告≫

福島のお酒を応援しよう!

こんなチャンスを与えてくれるのも「山田商店」さんなんです。

・山田商店
 〒399-0025
 長野県松本市寿台6丁目13−17
℡0263-58-4118

「美味しい日本酒を紹介して下さい!」
と電話してみて下さい。

あなたのご希望に添える日本酒に出逢えるかも・・・(笑)


  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年10月04日

信頼できる酒屋さんとの出逢い

松本にとっても面白い酒屋さんがあります。

「明るく生きるという名の酒屋さん」



その人の名は、『山田明生』と言います。

明生さんは、松本市に生まれ、松本市で育ち、松本市の飲食店を熟知し、
一緒に街を歩けば、色んな場所で声を掛けられてしまいます。

「向かいの酒屋さん」からの始まり

私が松本市のそば屋で修業していた頃、
まだ、右も左も分からぬまま、
友人もいないちょっと寂しい生活をしていました。

そんな時、そば屋の隣にあるダイニングバーに
いつも元気に配達に来ていたのが、明生さんその人です。

坊主頭のジーンズ姿で配達をしていた明生さんは、
いつも明るく声を掛けて下さったのです。

『松本ぼんぼん』

そんな日常を繰り返していた時、
あることがきっかけで、一緒飲む機会がありました。

松本市の夏祭り、「松本ぼんぼん」がその時でした。

私は、そば屋の仕事を終え、隣のダイニングバーで、
そば屋の店長と飲みに行きました。

その時に、向かいの酒屋さんこと、明生さんが仲間達といたのです。

「おう!そば屋の若いの!一緒に飲むか?」

きっかけは定かではないが、
こうして初めて、しっかりと話をすることが出来たのです。

明生さんは、後輩の面倒見が良く、
いつも回りに人がたくさんいました。

私も、この日をきっかけに、
松本の街や、お店を紹介してもらったのです。

松本市内を配達していれば、
色んな情報は入ってくるし、
流行っているお店も分かる。

連れて行ってもらえるお店は、
いつも素敵なお店ばかりで、
とても勉強になりました。

また、食べることも大好きなので、
美味しいものをたくさん知っています。

私が、松本を離れてからも、
松本に行けば、一緒に朝まで飲んだりもします。

『お酒のプロの一面』

飲んでばかりのイメージとは裏腹に、
日本酒の話になると、顔つきが変わります。

それは、明生さんが置かれた状況が、
そうさせたのかも知れません。

続く・・・。

≪次回予告≫

『明るく生きる男のエピソード・・・』

人生を変えた一杯の酒・・・

その道のプロとして・・・


追伸:

人にはそれぞれ望んではいない道があると思います。
しかし、生きていくためには、逆境を跳ね返す力が必要です。
その力を、明生さんから学びました。  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備