2011年06月03日

そば屋の修業~そば打ちとの出会い~パート2

『川俣シャモ料理と手打ちそば・木鶏(もっけい)』


酒造メーカーを辞めた私は、ひとまずお金になることを考えた。
そこで、父の紹介で工場勤務が決まった。
この工場は3交代制で
朝8時からと夕方5時からと、
夜勤は夜中の1時からである。

始めはよく寝坊をした。
夜勤は最悪である。
なんせ眠い・・zzZZ。

家から近ければ何とかなるが、
バイクで1時間もかかるのだ。


『辞めたい』

それでもと思い働き続けたが、
1年で断念。。。
自分でも情けないほど、根性が無い奴だった。

「こんな単純作業は俺には向かない!やっぱり手に職だ!」

とは言ったものの、考えがまとまらない。

そんな時、高校の同級生と、行きつけの小料理屋で飲む機会があった。
この友達は、建築会社の長男で、将来は社長を約束されている。

カウンターで飲んでいた私達は、お酒も入りとても気持ちが良かった。

「そうだ!ひとまず友人に頭を下げて、使ってもらおう!」

実に安易である・・・。

そして私は、
「俺を雇ってくれないか?」
とお願いしたのである。


『男は25歳までに・・・』

今まで黙っていたこの店のマスターが、私の話を聞いて、重い口を開いた。

「塙君いいの?同級生に頭を下げてまで仕事したいの?どんなに頑張っても一生この人の下だぜ?」
「塙君はそんな男じゃないよ!」

『男は25歳までに自分の芯を作り、30歳までにその道で生きていかなきゃだめだよ!』・・

私はハッとした。
まさにその通りである。
このまま中途半端な気持ちで勤めていても、この友人に迷惑をかけていた事だろう。
このマスターの一言に私は救われたのである。


『自分探し・・・』

私は本当に考えた。
自分が何が好きなのか?
どう生きて行きたいのか?

毎晩毎晩考えた。

そんな時、ふと私の頭をよぎったのが、
『日本蕎麦』
だった。

実をいうと、私は高校時代からアルバイトで稼いだお金で、
そばの食べ歩きをしていた。
なぜって?

ただなんとなく「好きだったから」・・・

私は、この時
『蕎麦を打ってみたい!』

と強く思ったのである。

そしてまず取った行動が、修業先探し。
どこか勉強させてくれるお店はないだろうか?

私はすぐに思いついた店がある。
それが「川俣シャモ料理と手打ちそば・木鶏(もっけい)」だ。

このお店は、父の親しい先輩が経営しているお店で、とても美味しかった記憶がある。

私は、父に内緒でアポをとり、連絡をし、会うことができた。


『想いを伝える』

あれは忘れもしない、夏の夕刻。
古民家風のお店の庭からは、
心地よい風が吹いていた。

お店の片付けも落ち着いた頃に、親方とお逢いした。

私は今までの経緯と想いを伝えたのである。

『自分はそばが好きです。このそばを自分で打ってみたいと思い、今回お邪魔しました。
私にそば打ちを教えて下さい!』

・・・

親方は私に
『この世界は楽しくもあり、厳しくもある。それでもついて来れるか?』
『やるからには厳しいぞ!』

私は二つ返事で答えた。

私はこの事を父に伝えた。
父はすでに、親方から聞いていたようだ。

父は、最初は不安そうだったが、
「まぁ、まずはやってみろ!」
と応援してくれた。

条件は2年間。
お給料は10万。
頂けるだけでありがたい。


こうして私のそば打ちへの道が開けたのである。

続く・・・。



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Posted by カズキ at 17:25│Comments(0)自己紹介
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