2011年05月31日
そば屋の修業~そば打ちとの出会い~パート1
~プロローグ~
あれは私が21歳の時だった。
・・・・それまでの私は、福島市内の工業高校を№2で卒業し(下から数えて)、
何を考えていたのか
『日本酒を造りたい!』
と言うことで、県内の酒造メーカーに就職した。
私の父は、建築関係の自営業をやっていた。
そして、長男もまた、建築業の職人だった。(兄弟構成→兄・姉・私)
『手に職をつける!』
そんな後姿を見ていた私は、自然と職人の世界に憧れていた。
そして、進路を決めるときに、父は私に
『手に職をつけなさい!手に職があれば、どこでもやっていけるから!』
と話をしてくれたのである。
そうして私は日本酒を造ることに興味を持った。
『酒を造る』
入社1年目・・・
右も左も分からない世界。
先輩方の教えを黙って?聞き、毎日必死に作業に終われた。
冬場は忙しい。
とにかく休みはない。
でも、相手は生き物だから仕方がない。
しかしめったのできない経験だ。
だから必死で耐えた。
そして徐々に楽しくなってきたのである。
『これが自分が関わった日本酒か・・・』
そして、初めて絞った酒が振る舞われた。
ピリピリとして、すごく度数も強かったが、あの時の酒の味は忘れられない。
喜びを覚えた私は、もっと、もっと勉強したくて必死に学んだ。
泊まりで麹の管理もやらせてもらった。
今まで見たことのない世界に、私はワクワクしたのだった。
しかし・・・
『子供だった・・・』
酒造りも2年目を終え、「自分はなかなかできるじゃないか」と、
己を過大評価していた。
そしてその時のお給料に不満を持つようになったのである。
今思えば、なんとも恥ずかしい考えだ。
社長に直訴し、お給料を上げてくれとお願いしたのだ。
二十歳そこそこの子供が・・・。
こうして納得が行かず、私はこの酒造メーカーをあとにした・・・。
今でも反省・・・。
続く・・・。
あれは私が21歳の時だった。
・・・・それまでの私は、福島市内の工業高校を№2で卒業し(下から数えて)、
何を考えていたのか
『日本酒を造りたい!』
と言うことで、県内の酒造メーカーに就職した。
私の父は、建築関係の自営業をやっていた。
そして、長男もまた、建築業の職人だった。(兄弟構成→兄・姉・私)
『手に職をつける!』
そんな後姿を見ていた私は、自然と職人の世界に憧れていた。
そして、進路を決めるときに、父は私に
『手に職をつけなさい!手に職があれば、どこでもやっていけるから!』
と話をしてくれたのである。
そうして私は日本酒を造ることに興味を持った。
『酒を造る』
入社1年目・・・
右も左も分からない世界。
先輩方の教えを黙って?聞き、毎日必死に作業に終われた。
冬場は忙しい。
とにかく休みはない。
でも、相手は生き物だから仕方がない。
しかしめったのできない経験だ。
だから必死で耐えた。
そして徐々に楽しくなってきたのである。
『これが自分が関わった日本酒か・・・』
そして、初めて絞った酒が振る舞われた。
ピリピリとして、すごく度数も強かったが、あの時の酒の味は忘れられない。
喜びを覚えた私は、もっと、もっと勉強したくて必死に学んだ。
泊まりで麹の管理もやらせてもらった。
今まで見たことのない世界に、私はワクワクしたのだった。
しかし・・・
『子供だった・・・』
酒造りも2年目を終え、「自分はなかなかできるじゃないか」と、
己を過大評価していた。
そしてその時のお給料に不満を持つようになったのである。
今思えば、なんとも恥ずかしい考えだ。
社長に直訴し、お給料を上げてくれとお願いしたのだ。
二十歳そこそこの子供が・・・。
こうして納得が行かず、私はこの酒造メーカーをあとにした・・・。
今でも反省・・・。
続く・・・。
2011年05月30日
広げよう!駒ヶ根の輪!
『知る人ぞ知る秘密のそば会』
5月19日
駒ヶ根市の某小料理屋でひそかに開かれている
月一恒例のそば会。
今回で何と8回目になる。
『きっかけは上司の一言』
それは去年の桜の時期、花見を終え、もう一軒飲みに行くかとなった。
「駒ヶ根駅前でいいお店があるから一緒にどうだ?」
私は、上司に誘われて、二つ返事で答えた。
そこは大通りから少し離れた裏路地にあった。
「いらっしゃい!」
優しげな声が玄関に届く。
そして、初めて女将さんと出逢った。
着物をきちっと着付け、柔らかい笑顔がとても素敵な方だった。
気持ちの良い店内。
特にカウンターは心地よかった。
出されるお料理は、素材を生かした物ばかり。
とても気持ちが良かった。
私の自己紹介も終え、興味を示して下さった女将さんが、
「そうだ!ここでそば会をやりませんか?きっと良いPRになるわよ!」
そう提案して下さったのだ。
『そして繋がり始める駒ヶ根の輪』
こうやってこのそば会は結成された。
ここのお店には、本当に良いお客様ばかりだ。
どこぞこの会社社長、駒ヶ根市議会議員などなど・・・。
そんな方たちが、第1回から集まって頂いた。
皆さん、初対面の私をとても可愛がってくれた。
上伊那、駒ヶ根の方達は本当に優しかった。
私はそれをしみじみと感じたのである。
『月日は流れ・・・』
第1回目のそば会から、約一年。
今回で8回目となる。
皆さん、毎回楽しみにして下さるそうだ。
酒を飲み、肴をつまみ、笑顔がでる。
そして、〆に蕎麦を食らう!
なんとも大人な飲みだ。
その一部を紹介させて頂くことにする。
(※写真のアップは、ご本人の許可を得ています)
生わさびを必死ですりおろす先輩方・・・皆さん必死!

中にはそのまま食べようとする方も・・・

私も必至!

〆の蕎麦は絶品?

・・・そして私の尊敬する女将さん

この女将さんの気配り、目配りが凄い!
とても勉強になる。
こうやって、皆様のおかげで、輪が広がって行くのである。
私は思う。
人の出逢いは偶然ではなく必然で、その出逢いが大切なものになるかは自分次第。
その時、その一瞬でその人との関わりが決まる。
私は、嬉しいことに多くの方に出逢う機会がある。
その出逢いを大切に、自分に驕らず、これからも一つの出逢いを大切にしていきたい。
一期一会に感謝・・・。
5月19日
駒ヶ根市の某小料理屋でひそかに開かれている
月一恒例のそば会。
今回で何と8回目になる。
『きっかけは上司の一言』
それは去年の桜の時期、花見を終え、もう一軒飲みに行くかとなった。
「駒ヶ根駅前でいいお店があるから一緒にどうだ?」
私は、上司に誘われて、二つ返事で答えた。
そこは大通りから少し離れた裏路地にあった。
「いらっしゃい!」
優しげな声が玄関に届く。
そして、初めて女将さんと出逢った。
着物をきちっと着付け、柔らかい笑顔がとても素敵な方だった。
気持ちの良い店内。
特にカウンターは心地よかった。
出されるお料理は、素材を生かした物ばかり。
とても気持ちが良かった。
私の自己紹介も終え、興味を示して下さった女将さんが、
「そうだ!ここでそば会をやりませんか?きっと良いPRになるわよ!」
そう提案して下さったのだ。
『そして繋がり始める駒ヶ根の輪』
こうやってこのそば会は結成された。
ここのお店には、本当に良いお客様ばかりだ。
どこぞこの会社社長、駒ヶ根市議会議員などなど・・・。
そんな方たちが、第1回から集まって頂いた。
皆さん、初対面の私をとても可愛がってくれた。
上伊那、駒ヶ根の方達は本当に優しかった。
私はそれをしみじみと感じたのである。
『月日は流れ・・・』
第1回目のそば会から、約一年。
今回で8回目となる。
皆さん、毎回楽しみにして下さるそうだ。
酒を飲み、肴をつまみ、笑顔がでる。
そして、〆に蕎麦を食らう!
なんとも大人な飲みだ。
その一部を紹介させて頂くことにする。
(※写真のアップは、ご本人の許可を得ています)
生わさびを必死ですりおろす先輩方・・・皆さん必死!

中にはそのまま食べようとする方も・・・

私も必至!

〆の蕎麦は絶品?

・・・そして私の尊敬する女将さん

この女将さんの気配り、目配りが凄い!
とても勉強になる。
こうやって、皆様のおかげで、輪が広がって行くのである。
私は思う。
人の出逢いは偶然ではなく必然で、その出逢いが大切なものになるかは自分次第。
その時、その一瞬でその人との関わりが決まる。
私は、嬉しいことに多くの方に出逢う機会がある。
その出逢いを大切に、自分に驕らず、これからも一つの出逢いを大切にしていきたい。
一期一会に感謝・・・。
2011年05月27日
経営者は一人じゃない!
久しぶりにブログを書きます。
突然ですが、皆さんには『同志』はいますか?
同志と言うのは、ライバルでもあり、仲間でもあり、
お互いが切磋琢磨できる人です。
スポーツでも、学校でも、音楽をやっていても、
この存在がいるのといないのと大違いです。
もちろん仕事の中でもそうです。
『同志との出逢い』
私は、約1年前に、あるきっかけでセミナーと言うものに始めて参加しました。
そのときの感想は、
1、積極的に発言する人。
2、なんとなくメモだけ取っている人。
3、ふんぞり返って聞いているだけの人。
私はその中の
2、なんとなくメモだけ取っている人
でした。
この違いに気付いたとき、
始めから
1、積極的に発言する人
になっていれば良かったと思います。
私は、師事している先生のセミナーに、何度も足を運びました。
そして、徐々に顔見知りの方達が増え、名前と顔を覚えてもらえるようになりました。
ここからが重要です。
私は、ある共通点に気付いたのです。
それは、毎回来ている方は、最前列で積極的に発言し、
自分のものにして、学んだことをすぐに実践する。
そうして、少しずつ成功を掴んでいる。
確かに、最前列に座ると
「指名されるのではないか」
「変な発言をしたら周りに笑われるのではないか」
と不安になります。
でも、それを乗り越えられた人が、成功していたんです。
私もなるべく前に座り、発言をするようにしました。
すると、自然と注目を浴び、名刺交換をして、連絡を取り合える中になりました。
2泊3日の過酷なセミナーも、一緒に乗り越えてきました。
すると、一緒に取組んで、達成したとたん、
変な感情が生まれたんです。
『この人達が好き』
『この人達に出逢えて良かった』
なかなか的確な言葉が見つからず、変な表現になってしまいましたが・・・
(誤解しないでくださいね・・・。)
そうして、心を開き合えたのです。
今となっては、その方々が開業に向けて、アドバイスをして下さいます。
こんなことはそう無いと思います。
開業前から、ライバルである人に、自分が店を立ち上げた時の苦悩や出来事、
物件選びのポイント、はたまた自店の売上まで・・・
教えてくれるわけがないのです。
しかし、それが
『同志』
なのです。
同じ目標に向かっている人達だからこそ、そういう関係が築けるのです。
まだ私は、開業をしているわけでもありません。
今のうちに、多くのことを学んで、
これから来て下さるお客様を、とことん喜んでもらえるよう、
学びを続けたいと思います。
そして、自分を応援して下さる人達に感謝をしながら、
『言いお店だね』と言ってもらえるように頑張ります。
追伸:そんな同志に、先日セミナーで会ってきました!
とても面倒を見て頂いている 岡田直明先生

繁盛店のラーメン屋さん 中島さん

行動力のある居酒屋店主 山見さん

クールだかかなり熱いイタリアンレストラン店主 阿部さん

家族想いで涙もろい中華料理店 店主 中野さん

そして・・・スカイツリー!

大きかったっす!!!
その他、ここにご紹介出来なかった全国の経営者さんがいらっしゃいます。
最後にこのご縁を作って下さった
『山岸二郎先生』
に本当に感謝しております!
人の繋がりって、本当にすごいと思います。
これからも出逢いを大切に頑張ります。
一期一会に感謝・・・。
突然ですが、皆さんには『同志』はいますか?
同志と言うのは、ライバルでもあり、仲間でもあり、
お互いが切磋琢磨できる人です。
スポーツでも、学校でも、音楽をやっていても、
この存在がいるのといないのと大違いです。
もちろん仕事の中でもそうです。
『同志との出逢い』
私は、約1年前に、あるきっかけでセミナーと言うものに始めて参加しました。
そのときの感想は、
1、積極的に発言する人。
2、なんとなくメモだけ取っている人。
3、ふんぞり返って聞いているだけの人。
私はその中の
2、なんとなくメモだけ取っている人
でした。
この違いに気付いたとき、
始めから
1、積極的に発言する人
になっていれば良かったと思います。
私は、師事している先生のセミナーに、何度も足を運びました。
そして、徐々に顔見知りの方達が増え、名前と顔を覚えてもらえるようになりました。
ここからが重要です。
私は、ある共通点に気付いたのです。
それは、毎回来ている方は、最前列で積極的に発言し、
自分のものにして、学んだことをすぐに実践する。
そうして、少しずつ成功を掴んでいる。
確かに、最前列に座ると
「指名されるのではないか」
「変な発言をしたら周りに笑われるのではないか」
と不安になります。
でも、それを乗り越えられた人が、成功していたんです。
私もなるべく前に座り、発言をするようにしました。
すると、自然と注目を浴び、名刺交換をして、連絡を取り合える中になりました。
2泊3日の過酷なセミナーも、一緒に乗り越えてきました。
すると、一緒に取組んで、達成したとたん、
変な感情が生まれたんです。
『この人達が好き』
『この人達に出逢えて良かった』
なかなか的確な言葉が見つからず、変な表現になってしまいましたが・・・
(誤解しないでくださいね・・・。)
そうして、心を開き合えたのです。
今となっては、その方々が開業に向けて、アドバイスをして下さいます。
こんなことはそう無いと思います。
開業前から、ライバルである人に、自分が店を立ち上げた時の苦悩や出来事、
物件選びのポイント、はたまた自店の売上まで・・・
教えてくれるわけがないのです。
しかし、それが
『同志』
なのです。
同じ目標に向かっている人達だからこそ、そういう関係が築けるのです。
まだ私は、開業をしているわけでもありません。
今のうちに、多くのことを学んで、
これから来て下さるお客様を、とことん喜んでもらえるよう、
学びを続けたいと思います。
そして、自分を応援して下さる人達に感謝をしながら、
『言いお店だね』と言ってもらえるように頑張ります。
追伸:そんな同志に、先日セミナーで会ってきました!
とても面倒を見て頂いている 岡田直明先生

繁盛店のラーメン屋さん 中島さん

行動力のある居酒屋店主 山見さん

クールだかかなり熱いイタリアンレストラン店主 阿部さん

家族想いで涙もろい中華料理店 店主 中野さん

そして・・・スカイツリー!

大きかったっす!!!
その他、ここにご紹介出来なかった全国の経営者さんがいらっしゃいます。
最後にこのご縁を作って下さった
『山岸二郎先生』
に本当に感謝しております!
人の繋がりって、本当にすごいと思います。
これからも出逢いを大切に頑張ります。
一期一会に感謝・・・。
2011年05月22日
震災後の支援として~あとがき
『今回の炊出し編を終えて・・・。』
手伝って頂いたみんなと挨拶をし、解散した。
そして我々も・・
『さぁ長野へ帰ろう!』
と、その前に、私は最後のあいさつに体育館に戻る。

「今回の炊出しは、本当に小さなことです。私は、生まれ故郷の福島県のために何かしたくて、
自分が出来る「蕎麦打ち」というもので、炊出しを実行しました。何か役に立ったとは思いません。
でも、少しでも美味しかったと思って頂ければ・・・。」
そうすると、皆さんが拍手で、
「美味しかったぞ!ありがとう!」
と、口々に声をかけてくれた。
また、涙が出た。
どっちが支援されているのか、分からない。
逆にエネルギーをもらってしまった。
「また来ます!」
そして、一人一人と握手をし、挨拶をして回った。
『忘れられないおじいさん』
そして最後に、あの白髪のおじいさんと握手を交わす。
凄く力強く、そして私の目をジッと見つめてくれた。
最後に、
『ありがとな・・・』
と、一言。
私は、あのおじいさんを忘れない。
『いざ長野へ~』
義兄、川上院長と家族の待つ長野へ帰る。
車の中では、今回の炊出しで感じたことなどを話し合っていた。
私は、何度も思ったが、
「人の繋がりの強さ・ありがたさ」
「想いが重なった時の人間の底力」
「ニュースでは分からない現場の現状」
そして
「人の本質」
かな。
究極になった時、人はどう行動するんだろう。
私は逆に、長野が震災に遭った時、自分はどう動くんだろう・・・。
冷静に、自分だけではなく、相手のことを考え、行動できるのだろうか?
長野県も、いつかは大地震が来る。必ず来る。
その時、自分がしっかり動けるよう、
今年から入団した
「消防団」
の教えを学びたい。
地域は、地域の人に支えられ、成り立っている。
決して、自分中心に世の中は回っていない。
自分もそうだけれど、そういう意識を少しでも持って生きていくのと
いないのでは、大きな差が出ると思う。
福島原発は誰のため?
東京に電気を送っているのは事実。
そのために多くの人が働かせてもらったり、
優遇措置があるのも事実。
これは、私個人の意見である。
関東の方が、
「今回の地震で、原発から放射能が漏れだし、福島の人が可哀想だ。」と
「しかし、保証しろ!だ。何とかしろ!と騒ぎすぎだ!」
「だから、もう募金はしない!」
という意見が私の耳に入った。私は、
「この電気は誰のため?」と聞いた。
その人は、
「私、ちゃんとお金払っていますから!」・・・と一言。
お金を払っていれば、なんでも良いのかな?
お金があれば、なんでも手に入るのかな?
豊かになっていけばいくほど、人の心は貧しくなっている。
私自身も、もう一度考えを改めなければならないな。
休みもなく、野菜を一生懸命作ってくれている人がいる。
嵐の中、魚を命がけで捕ってくれる人がいる。
手塩にかけ、愛情を注ぎ、豚や牛や鳥を飼っている人がいる。
そういう人達に、
『ありがとうございます!』
と、感謝をこめてお金を払う。
『食だけではない』
車を作る人がいる。
タイヤを作る人がいる。
バネを作る人がいる。
その工場を建てる人がいる。
そして・・・。
電気を作る人がいる。
こうしてこの社会が回っている。
みんなの一生懸命が社会を作っているのである。
だから、私はなるべく、
「感謝」
の気持ちは忘れたくない。
ではお聞きします。
福島原発は誰のため?
私は、決して誰かのためではなく、
みんなのためだと思う。
今は一刻も早く、終息してくれるのを願うばかりだ。
・・・以上
★今回の炊出しに協力してくれた方々をご紹介★【Special Thanks】
・須藤さん
焼き鳥伍徳 食べログより:http://r.tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13061294/
・高羽さん夫妻
たかば接骨院 yahooより:http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/01622e6df397b16fc78233f1c8efdb97/
・佐藤さん家族
北原自動車工場 マピリオンより:http://www.mapion.co.jp/phonebook/M08008/08215/0293420141-002/
・吉田 道成さん
蕎麦の郷 食べログより:http://r.tabelog.com/nagano/A2004/A200403/20000642/
・川上さん
インザライフ:http://www.in-the-life.jp/
・中村頼子さん(駒ヶ根の母)
薩摩おごじょ yahooより:http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/75c2242f30b0f7e4354ae9d148ee1826/
・ル・プレジール(こだわりのパン) マスター
エキテンより:http://www.ekiten.jp/cat_sweets/nagano/komaganeshi/
・川上伸也さん・弥生さん
ふれあい接骨院 なび長野より:http://navinagano.com/0265-82-3770/
・タ〇ノ株式会社 下平さん 飯塚くん
・大澤さん夫妻
・稲垣さん なかやま旅館料理長
・カトー株式会社様 http://www.kato-co.co.jp/
・荒崎さん(ボス)
BUN ぐるなびより:http://r.gnavi.co.jp/n025000/
・八ヶ岳トレッフェン事務局:代表 吉田さん ワーゲン乗りのみんな!
http://vw-nagano.jp/
・ガレージchacha ヒロ
http://garagechacha.com/
・ミドリヤオート ダイチャン
http://midoriyaauto.naganoblog.jp/
・岳志さん 長生社
http://sinanoturu.blog77.fc2.com/
・手作りの鶴を折ってくれた上伊那の皆さん
・眞由美お母さん
・福島市の同級生達
・サブニュマ(ママサブ)のみんな
・そして最後に、行くことに反対もせず、一番心配をかけた私の家族・・・
本当に多くの方々のご支援を頂き、福島に行って来れました。
『故郷福島に行きたい!』
私のわがままに付き合って頂きありがとうございました。
本当に本当に感謝しております・・・。
私に出来ること・・・。
それは・・・
『人と人をつなぐ蕎麦屋』
自分がしていただいたことを、今度は恩返ししたい。
私は、日本一元気なそば屋を作ることをここに宣言します!

「一期一会に感謝・・・」
蕎麦打ち 塙和貴
手伝って頂いたみんなと挨拶をし、解散した。
そして我々も・・
『さぁ長野へ帰ろう!』
と、その前に、私は最後のあいさつに体育館に戻る。

「今回の炊出しは、本当に小さなことです。私は、生まれ故郷の福島県のために何かしたくて、
自分が出来る「蕎麦打ち」というもので、炊出しを実行しました。何か役に立ったとは思いません。
でも、少しでも美味しかったと思って頂ければ・・・。」
そうすると、皆さんが拍手で、
「美味しかったぞ!ありがとう!」
と、口々に声をかけてくれた。
また、涙が出た。
どっちが支援されているのか、分からない。
逆にエネルギーをもらってしまった。
「また来ます!」
そして、一人一人と握手をし、挨拶をして回った。
『忘れられないおじいさん』
そして最後に、あの白髪のおじいさんと握手を交わす。
凄く力強く、そして私の目をジッと見つめてくれた。
最後に、
『ありがとな・・・』
と、一言。
私は、あのおじいさんを忘れない。
『いざ長野へ~』
義兄、川上院長と家族の待つ長野へ帰る。
車の中では、今回の炊出しで感じたことなどを話し合っていた。
私は、何度も思ったが、
「人の繋がりの強さ・ありがたさ」
「想いが重なった時の人間の底力」
「ニュースでは分からない現場の現状」
そして
「人の本質」
かな。
究極になった時、人はどう行動するんだろう。
私は逆に、長野が震災に遭った時、自分はどう動くんだろう・・・。
冷静に、自分だけではなく、相手のことを考え、行動できるのだろうか?
長野県も、いつかは大地震が来る。必ず来る。
その時、自分がしっかり動けるよう、
今年から入団した
「消防団」
の教えを学びたい。
地域は、地域の人に支えられ、成り立っている。
決して、自分中心に世の中は回っていない。
自分もそうだけれど、そういう意識を少しでも持って生きていくのと
いないのでは、大きな差が出ると思う。
福島原発は誰のため?
東京に電気を送っているのは事実。
そのために多くの人が働かせてもらったり、
優遇措置があるのも事実。
これは、私個人の意見である。
関東の方が、
「今回の地震で、原発から放射能が漏れだし、福島の人が可哀想だ。」と
「しかし、保証しろ!だ。何とかしろ!と騒ぎすぎだ!」
「だから、もう募金はしない!」
という意見が私の耳に入った。私は、
「この電気は誰のため?」と聞いた。
その人は、
「私、ちゃんとお金払っていますから!」・・・と一言。
お金を払っていれば、なんでも良いのかな?
お金があれば、なんでも手に入るのかな?
豊かになっていけばいくほど、人の心は貧しくなっている。
私自身も、もう一度考えを改めなければならないな。
休みもなく、野菜を一生懸命作ってくれている人がいる。
嵐の中、魚を命がけで捕ってくれる人がいる。
手塩にかけ、愛情を注ぎ、豚や牛や鳥を飼っている人がいる。
そういう人達に、
『ありがとうございます!』
と、感謝をこめてお金を払う。
『食だけではない』
車を作る人がいる。
タイヤを作る人がいる。
バネを作る人がいる。
その工場を建てる人がいる。
そして・・・。
電気を作る人がいる。
こうしてこの社会が回っている。
みんなの一生懸命が社会を作っているのである。
だから、私はなるべく、
「感謝」
の気持ちは忘れたくない。
ではお聞きします。
福島原発は誰のため?
私は、決して誰かのためではなく、
みんなのためだと思う。
今は一刻も早く、終息してくれるのを願うばかりだ。
・・・以上
★今回の炊出しに協力してくれた方々をご紹介★【Special Thanks】
・須藤さん
焼き鳥伍徳 食べログより:http://r.tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13061294/
・高羽さん夫妻
たかば接骨院 yahooより:http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/01622e6df397b16fc78233f1c8efdb97/
・佐藤さん家族
北原自動車工場 マピリオンより:http://www.mapion.co.jp/phonebook/M08008/08215/0293420141-002/
・吉田 道成さん
蕎麦の郷 食べログより:http://r.tabelog.com/nagano/A2004/A200403/20000642/
・川上さん
インザライフ:http://www.in-the-life.jp/
・中村頼子さん(駒ヶ根の母)
薩摩おごじょ yahooより:http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/75c2242f30b0f7e4354ae9d148ee1826/
・ル・プレジール(こだわりのパン) マスター
エキテンより:http://www.ekiten.jp/cat_sweets/nagano/komaganeshi/
・川上伸也さん・弥生さん
ふれあい接骨院 なび長野より:http://navinagano.com/0265-82-3770/
・タ〇ノ株式会社 下平さん 飯塚くん
・大澤さん夫妻
・稲垣さん なかやま旅館料理長
・カトー株式会社様 http://www.kato-co.co.jp/
・荒崎さん(ボス)
BUN ぐるなびより:http://r.gnavi.co.jp/n025000/
・八ヶ岳トレッフェン事務局:代表 吉田さん ワーゲン乗りのみんな!
http://vw-nagano.jp/
・ガレージchacha ヒロ
http://garagechacha.com/
・ミドリヤオート ダイチャン
http://midoriyaauto.naganoblog.jp/
・岳志さん 長生社
http://sinanoturu.blog77.fc2.com/
・手作りの鶴を折ってくれた上伊那の皆さん
・眞由美お母さん
・福島市の同級生達
・サブニュマ(ママサブ)のみんな
・そして最後に、行くことに反対もせず、一番心配をかけた私の家族・・・
本当に多くの方々のご支援を頂き、福島に行って来れました。
『故郷福島に行きたい!』
私のわがままに付き合って頂きありがとうございました。
本当に本当に感謝しております・・・。
私に出来ること・・・。
それは・・・
『人と人をつなぐ蕎麦屋』
自分がしていただいたことを、今度は恩返ししたい。
私は、日本一元気なそば屋を作ることをここに宣言します!

「一期一会に感謝・・・」
蕎麦打ち 塙和貴
2011年05月22日
震災後の支援として~パート6
4月24日 炊出し最終日
いわき市勿来体育館・・・
今日が炊出しの最終日・・・。
今朝、津波に遭ったあの場所を見てきて、やや気分が沈んだが、
昨夜、お寿司屋さんで約束した通り、
まず、自分たちが元気でいこうと決めた。
体育館に到着!
空は昨日とはガラリと変わり、真っ青な快晴である。
早速準備に入る。
今日も体育館の中で蕎麦を打つ。

『忘れられないおじいさん』
私が元気よく蕎麦を打っていると、すぐに人だかりが出来た。
こちらの活気が伝わったのか、今日は皆さん楽しそうに見てくれている。

その中で、一人白髪のおじいさんが気にかかった。
そのおじいさんは、黙って私を見ている。
何も言わず、無表情でずっと私を見ている。
おじいさんの目は、どこか遠くを見ているようで、
とても悲しい顔をしていた・・・。
3回目の蕎麦打ちとなると、人だかりが消える。
話を聞くと、天気のいい日は、自宅の片付けや、シャトルバスで皆でお風呂に行くのだそうだ。
白髪のおじいさんだけが、だまって私を見てくれている
私は勇気を出して声をかけた。
私 「こんにちは!皆さんいらっしゃらないけど、どこか行かれるのですかね?」
おじいさん 「片付けか、風呂だろ。」
ようやく話してくれた。
私 「おじさんは、お風呂とか行かないんですか?天気もいいから気持ちいいでしょう!」
何を話していいかわからず、私はたわいもない会話となっている。
おじいさん 「このそば打ちが面白くてねー。私はここにいるよ。」
なぜか嬉しかった・・・。
しかし、表情は暗い。その表情からは、喪失感をとても感じた。
私はせっかくだと思い、マッサージをやったらどうかと提案した。
私 「今日ね、接骨院の先生が来てるから、マッサージしてもらえますよ!
どこか痛いところはないですか?」
おじいさん「どこも痛いところなんてないよ・・・・私は、心が痛い・・・。」
・・・私は、思わず泣いてしまった。堪えられなかった。
今日は元気に過ごそうと決めていたにもかかわらず。
その言葉の意味が、何を意味しているのか分からなかったが、
深い悲しみがあったことは間違いない。
私 「そうですか・・・今日はせめて美味しいそばを食べて下さい。自分それしか出来ないから。」
私は泣きながら黙々と、おじいさんの見守る中、そばを打ち続けた。
『福島市の両親との再会』
しばらくすると、ある人達が合流した。
そう!福島市に住む私の両親だ!
私がいわき市に来ることを知り、わざわざ駆け付けてくれたのだ。
当然ながら、震災以来の対面だ。
「おう!カズキ!」
そう言って、父と母と再会。言葉はいらなかった。
蕎麦打ちをしていたので、ゆっくり会話をしている時間がなかったので、目であいさつした。
元気そうでよかった・・・。
二人の姿から伝わった。
さらに、北茨城市に住んでいるワーゲン乗り家族が駆け付けてくれた。
ご自身もまだ、周りが落ち着かない状況なのに・・・ありがたい。
「お久しぶりです!」
佐藤さん家族とは、「八ヶ岳トレッフェン」のイベント以来である。

準備も万端!
今日は大勢での炊出しである!
そんな時トラブルは起きた・・・。
「蛇口から砂が出るぞ!」
なんと水道水に少しだけ、砂が混じっているではないか・・・。
そばを茹でるには、水は命。
どうするか悩んでいた時、
Sさんが、キッチンペーパーで濾して、大きな寸胴に水をため、
そこで洗うように考案してくれた。
「さすがです!」
そして今度こそ炊出しが始まった!


皆の雰囲気も良く元気いっぱい!
約80食を何とか出し終えた。
皆が協力してくれたこともあり、片付けもすぐに終わった。
避難所の方も手伝ってくれた。
ありがたいものである。
『広げよう!ワーゲンの輪』
片付けも終え、皆で写真を撮る事となった。
もちろん佐藤さんのバスの前で。
『ありがとう!本当に!みなさんありがとう!』

『では、はいポーズ!』

(左から、佐藤青葉くん・佐藤愛さん・厚さん・高羽院長・須藤さん・私・川上院長・高羽院長の父上)
・・・ワーゲンの繋がりって、人の繋がりって本当に凄いと思う。
私は今回の炊出しで、本当に心から感じた。
そして、自然と涙があふれてきた。
「皆さん!本当に手伝って頂き、ありがとうございました!」
「須藤さん、ありがとうございました。
須藤さんがいてくれなければ、パニクッてばかりでした。」

そして輪になり、手を重ねて私たちは大声で誓った。
『頑張っぺ!東北!!!!』
皆の力が重なり合えば、きっと復興も早まるはず!
今後も、連携をとって、協力し合いたい!
そして、私達は解散した。
次回予告
『震災後の支援として・・・あとがき』
炊出しを終えて、感じたこと。
支援してくれた家族、仲間を一同に紹介。
・・・感謝。
いわき市勿来体育館・・・
今日が炊出しの最終日・・・。
今朝、津波に遭ったあの場所を見てきて、やや気分が沈んだが、
昨夜、お寿司屋さんで約束した通り、
まず、自分たちが元気でいこうと決めた。
体育館に到着!
空は昨日とはガラリと変わり、真っ青な快晴である。
早速準備に入る。
今日も体育館の中で蕎麦を打つ。

『忘れられないおじいさん』
私が元気よく蕎麦を打っていると、すぐに人だかりが出来た。
こちらの活気が伝わったのか、今日は皆さん楽しそうに見てくれている。

その中で、一人白髪のおじいさんが気にかかった。
そのおじいさんは、黙って私を見ている。
何も言わず、無表情でずっと私を見ている。
おじいさんの目は、どこか遠くを見ているようで、
とても悲しい顔をしていた・・・。
3回目の蕎麦打ちとなると、人だかりが消える。
話を聞くと、天気のいい日は、自宅の片付けや、シャトルバスで皆でお風呂に行くのだそうだ。
白髪のおじいさんだけが、だまって私を見てくれている
私は勇気を出して声をかけた。
私 「こんにちは!皆さんいらっしゃらないけど、どこか行かれるのですかね?」
おじいさん 「片付けか、風呂だろ。」
ようやく話してくれた。
私 「おじさんは、お風呂とか行かないんですか?天気もいいから気持ちいいでしょう!」
何を話していいかわからず、私はたわいもない会話となっている。
おじいさん 「このそば打ちが面白くてねー。私はここにいるよ。」
なぜか嬉しかった・・・。
しかし、表情は暗い。その表情からは、喪失感をとても感じた。
私はせっかくだと思い、マッサージをやったらどうかと提案した。
私 「今日ね、接骨院の先生が来てるから、マッサージしてもらえますよ!
どこか痛いところはないですか?」
おじいさん「どこも痛いところなんてないよ・・・・私は、心が痛い・・・。」
・・・私は、思わず泣いてしまった。堪えられなかった。
今日は元気に過ごそうと決めていたにもかかわらず。
その言葉の意味が、何を意味しているのか分からなかったが、
深い悲しみがあったことは間違いない。
私 「そうですか・・・今日はせめて美味しいそばを食べて下さい。自分それしか出来ないから。」
私は泣きながら黙々と、おじいさんの見守る中、そばを打ち続けた。
『福島市の両親との再会』
しばらくすると、ある人達が合流した。
そう!福島市に住む私の両親だ!
私がいわき市に来ることを知り、わざわざ駆け付けてくれたのだ。
当然ながら、震災以来の対面だ。
「おう!カズキ!」
そう言って、父と母と再会。言葉はいらなかった。
蕎麦打ちをしていたので、ゆっくり会話をしている時間がなかったので、目であいさつした。
元気そうでよかった・・・。
二人の姿から伝わった。
さらに、北茨城市に住んでいるワーゲン乗り家族が駆け付けてくれた。
ご自身もまだ、周りが落ち着かない状況なのに・・・ありがたい。
「お久しぶりです!」
佐藤さん家族とは、「八ヶ岳トレッフェン」のイベント以来である。

準備も万端!
今日は大勢での炊出しである!
そんな時トラブルは起きた・・・。
「蛇口から砂が出るぞ!」
なんと水道水に少しだけ、砂が混じっているではないか・・・。
そばを茹でるには、水は命。
どうするか悩んでいた時、
Sさんが、キッチンペーパーで濾して、大きな寸胴に水をため、
そこで洗うように考案してくれた。
「さすがです!」
そして今度こそ炊出しが始まった!


皆の雰囲気も良く元気いっぱい!
約80食を何とか出し終えた。
皆が協力してくれたこともあり、片付けもすぐに終わった。
避難所の方も手伝ってくれた。
ありがたいものである。
『広げよう!ワーゲンの輪』
片付けも終え、皆で写真を撮る事となった。
もちろん佐藤さんのバスの前で。
『ありがとう!本当に!みなさんありがとう!』

『では、はいポーズ!』

(左から、佐藤青葉くん・佐藤愛さん・厚さん・高羽院長・須藤さん・私・川上院長・高羽院長の父上)
・・・ワーゲンの繋がりって、人の繋がりって本当に凄いと思う。
私は今回の炊出しで、本当に心から感じた。
そして、自然と涙があふれてきた。
「皆さん!本当に手伝って頂き、ありがとうございました!」
「須藤さん、ありがとうございました。
須藤さんがいてくれなければ、パニクッてばかりでした。」

そして輪になり、手を重ねて私たちは大声で誓った。
『頑張っぺ!東北!!!!』
皆の力が重なり合えば、きっと復興も早まるはず!
今後も、連携をとって、協力し合いたい!
そして、私達は解散した。
次回予告
『震災後の支援として・・・あとがき』
炊出しを終えて、感じたこと。
支援してくれた家族、仲間を一同に紹介。
・・・感謝。
2011年05月20日
震災後の支援として~パート5
『見ておきたいものがある』
4月24日
AM5:30起床・・・
目が覚めたら、接骨院のベットで電気のスポンジを
背中に付けたまま目が覚めた。寒い・・・。
今日は炊出し最終日である。
場所は、勿来体育館約80名・・。
その前に見ておきたいものがある。
いや、
『見なければならないものがある』
私は、Tさんにお願いをして、
今回被害のあった海沿いを案内してもらえないかとお願いをした。
そこにはいろんな想いがある。
毎年夏になると、私は友人とよくいわきを訪れていた。
海水浴、バーベキュー、サーフィン(私は飲んでただけ)
いろんな思い出がたくさんある。
見たくはない・・・。しかし、現実を見なくてはならない。
長野の皆に伝えなくてはならない。
そう胸に言い聞かせ、海沿いを目指した。
『言葉にならない・・・』
まず向かったのは漁港である。

胸がつかえた。
確かにこの前まで、漁港だった雰囲気はある。
しかし、建物がポツンとあるだけで、そこは・・・。
『止まった時間・・』

この漁港の先に、小さな部落があった。
そこに合った時計・・・。【3:31】津波が到着した時刻。
時間が止まっていた。今まで変わらなく過ごしていた時間が止まってしまったんだ。
どれだけ恐ろしかったことか。想像などできない・・・。
『つぶれたポンプ車・・・』

町の一角に、目立つ赤い車。
地域を守るためのポンプ車だろう。
Tさんがそっと教えてくれた。
「この地域は、地震の直後、警報機が故障したらしい。
そこで、ポンプ車で街を周って津波を知らせていた・・。」
「津波が来るぞ!避難するんだ!」
きっと、そう言っていたのだろうか。
地域のために、走っていたのだろう。
こんなに大きな津波など、予想をせずに。
『消えた街・・・』
見渡す限り、がれきの山。
私はカメラのシャッターを押すのに抵抗があった。
しかし、伝えなければならない。
私のその一心で、カメラを向けた。
そして、この街を撮り続けたのである。
『次なる避難所へ移動』
私達は海沿いを離れ、主要道路へ。
しかし、海辺から1km離れた場所でも、
津波の爪痕を感じる。
悲しさをぐっとこらえ、私達は、避難所へと移動したのだ。


次回最終回
『最終日・・勿来体育館』
『忘れられないおじいさん』
『福島市の両親との再会』
『広げよう!ワーゲンの輪!』
4月24日
AM5:30起床・・・
目が覚めたら、接骨院のベットで電気のスポンジを
背中に付けたまま目が覚めた。寒い・・・。
今日は炊出し最終日である。
場所は、勿来体育館約80名・・。
その前に見ておきたいものがある。
いや、
『見なければならないものがある』
私は、Tさんにお願いをして、
今回被害のあった海沿いを案内してもらえないかとお願いをした。
そこにはいろんな想いがある。
毎年夏になると、私は友人とよくいわきを訪れていた。
海水浴、バーベキュー、サーフィン(私は飲んでただけ)
いろんな思い出がたくさんある。
見たくはない・・・。しかし、現実を見なくてはならない。
長野の皆に伝えなくてはならない。
そう胸に言い聞かせ、海沿いを目指した。
『言葉にならない・・・』
まず向かったのは漁港である。

胸がつかえた。
確かにこの前まで、漁港だった雰囲気はある。
しかし、建物がポツンとあるだけで、そこは・・・。
『止まった時間・・』

この漁港の先に、小さな部落があった。
そこに合った時計・・・。【3:31】津波が到着した時刻。
時間が止まっていた。今まで変わらなく過ごしていた時間が止まってしまったんだ。
どれだけ恐ろしかったことか。想像などできない・・・。
『つぶれたポンプ車・・・』

町の一角に、目立つ赤い車。
地域を守るためのポンプ車だろう。
Tさんがそっと教えてくれた。
「この地域は、地震の直後、警報機が故障したらしい。
そこで、ポンプ車で街を周って津波を知らせていた・・。」
「津波が来るぞ!避難するんだ!」
きっと、そう言っていたのだろうか。
地域のために、走っていたのだろう。
こんなに大きな津波など、予想をせずに。
『消えた街・・・』

見渡す限り、がれきの山。
私はカメラのシャッターを押すのに抵抗があった。
しかし、伝えなければならない。
私のその一心で、カメラを向けた。
そして、この街を撮り続けたのである。

『次なる避難所へ移動』
私達は海沿いを離れ、主要道路へ。
しかし、海辺から1km離れた場所でも、
津波の爪痕を感じる。
悲しさをぐっとこらえ、私達は、避難所へと移動したのだ。


次回最終回
『最終日・・勿来体育館』
『忘れられないおじいさん』
『福島市の両親との再会』
『広げよう!ワーゲンの輪!』
2011年05月18日
震災後の支援として~パート4
4月23日
いわき市街地・・・
私達は初日の炊出しを終え、反省会を行うこととした。
今回の宿泊場所として、義兄の同志Tさんの接骨院を提供してくれた。
いわき市駅前にあり、本当にお陰様である。
準備をすませ、私達を駅前のとある寿司屋さんへ案内してくれた。
『とある寿司屋~すし田村~』
『へい!いらっしゃい!』
威勢のよい声が店内に響き渡る。
お寿司屋さんならではの出迎えに、
疲れていた私達は、自然と笑顔がほころんだ。
店内はワイワイと込み合っている。
正直、地震の後ということもあり、
いわき市の飲食店などは、人はいないはず。
・・・と決めつけていた。
しかし、この活気に、私は少し嬉しかった。
早速、生ビールと鮮魚達のお刺身と頼んだ。
(疲れていたため、写真を全く撮っていない・・・すみません)
『現実はリアルだった』
それが私の感想である。
避難所を2ヶ所回らせてもらって、色んな
「人間模様」
を見た。
同じ避難所にいるからと言って、皆が協力し合っているわけではなく、
いがみ合ったり、やっかみを言ったり・・・。
そこには人間社会が発生してしまう。
これも現実、仕方がないことなのか。
『家が流され・・・
仕事もなくなり・・・
そして原発の問題・・・』
この状況で正常な判断が出来るかということは、あまりにも難しいのかもしれない。
そんな会話をしていたら、お寿司屋の大将を始め、
カウンターに座っていたお客さんが、私達に興味を示した。
「お兄さん達、どこから来たの?」
「長野県から、蕎麦の炊出しに来ました。」
その言葉のやり取りを聞いていた、カウンターのお客さんが、
私達に、お酒を持ってきた。
「それはそれは、ありがとう!ご苦労様でした。」と言って頂けた。
何度も何度も「ありがとう!」と・・・
そして、また別の方が、お酒を注いで下さり、また・・・また・・・。
私は嬉しかった。
お酒を頂いたこともだが、何よりここに来ていたお客さんが
『元気』
であることが・・・。
『大将の逸話』
実は、なぜここのお寿司屋さんが活気があるのか聞けた。
なんと、あの地震が発生した次の日から、営業しているという話である。
『ここは地元の人に支えられている。確かに地震後すぐに営業することは抵抗があった。
しかし、お客様のためにも、店の灯りは点けておかなければならない!
町全体が暗くては、気持ちも沈む。それでは復興できないんですよ!』
私は・・・あの時何をしていた?
地震から3日間は、仕事も手に付かず、気持ちは沈みっぱなし。
『みなさんも、とても平常心ではいられなかったはずではないだろうか?』
そんな中、このお店はすぐに営業していた。
この事がどんなにすごいことか、分かると思う。
私もすごく力を頂いた。
お世話になった大将、お客様に、
『避難所の方に元気になってもらえるように、蕎麦を打ちます!』
と約束し、お店を後にした。
明日は最終日!
持てる力をすべて出し切るつもりで挑む!
次回予告~見ておきたいものがある
『津波にさらわれた町』
『つぶれたポンプ車』
『止まった時間』
追記:寿司屋さんを出で、Tさんの接骨院へ着いた私と義兄。
ついでだからと、私は背中に電気を・・・。
義兄は、ウォーターマッサージベット?で体のメンテナンス。
あまりの気持ちよさに、そのまま朝まで寝てしまったことは
言うまでもない(笑)
いわき市街地・・・
私達は初日の炊出しを終え、反省会を行うこととした。
今回の宿泊場所として、義兄の同志Tさんの接骨院を提供してくれた。
いわき市駅前にあり、本当にお陰様である。
準備をすませ、私達を駅前のとある寿司屋さんへ案内してくれた。
『とある寿司屋~すし田村~』
『へい!いらっしゃい!』
威勢のよい声が店内に響き渡る。
お寿司屋さんならではの出迎えに、
疲れていた私達は、自然と笑顔がほころんだ。
店内はワイワイと込み合っている。
正直、地震の後ということもあり、
いわき市の飲食店などは、人はいないはず。
・・・と決めつけていた。
しかし、この活気に、私は少し嬉しかった。
早速、生ビールと鮮魚達のお刺身と頼んだ。
(疲れていたため、写真を全く撮っていない・・・すみません)
『現実はリアルだった』
それが私の感想である。
避難所を2ヶ所回らせてもらって、色んな
「人間模様」
を見た。
同じ避難所にいるからと言って、皆が協力し合っているわけではなく、
いがみ合ったり、やっかみを言ったり・・・。
そこには人間社会が発生してしまう。
これも現実、仕方がないことなのか。
『家が流され・・・
仕事もなくなり・・・
そして原発の問題・・・』
この状況で正常な判断が出来るかということは、あまりにも難しいのかもしれない。
そんな会話をしていたら、お寿司屋の大将を始め、
カウンターに座っていたお客さんが、私達に興味を示した。
「お兄さん達、どこから来たの?」
「長野県から、蕎麦の炊出しに来ました。」
その言葉のやり取りを聞いていた、カウンターのお客さんが、
私達に、お酒を持ってきた。
「それはそれは、ありがとう!ご苦労様でした。」と言って頂けた。
何度も何度も「ありがとう!」と・・・
そして、また別の方が、お酒を注いで下さり、また・・・また・・・。
私は嬉しかった。
お酒を頂いたこともだが、何よりここに来ていたお客さんが
『元気』
であることが・・・。
『大将の逸話』
実は、なぜここのお寿司屋さんが活気があるのか聞けた。
なんと、あの地震が発生した次の日から、営業しているという話である。
『ここは地元の人に支えられている。確かに地震後すぐに営業することは抵抗があった。
しかし、お客様のためにも、店の灯りは点けておかなければならない!
町全体が暗くては、気持ちも沈む。それでは復興できないんですよ!』
私は・・・あの時何をしていた?
地震から3日間は、仕事も手に付かず、気持ちは沈みっぱなし。
『みなさんも、とても平常心ではいられなかったはずではないだろうか?』
そんな中、このお店はすぐに営業していた。
この事がどんなにすごいことか、分かると思う。
私もすごく力を頂いた。
お世話になった大将、お客様に、
『避難所の方に元気になってもらえるように、蕎麦を打ちます!』
と約束し、お店を後にした。
明日は最終日!
持てる力をすべて出し切るつもりで挑む!
次回予告~見ておきたいものがある
『津波にさらわれた町』
『つぶれたポンプ車』
『止まった時間』
追記:寿司屋さんを出で、Tさんの接骨院へ着いた私と義兄。
ついでだからと、私は背中に電気を・・・。
義兄は、ウォーターマッサージベット?で体のメンテナンス。
あまりの気持ちよさに、そのまま朝まで寝てしまったことは
言うまでもない(笑)
2011年05月16日
震災後の支援として~パート3
避難所2・・・汐見ヶ丘小学校
勿来第二中学校を後にした私達は、
次なる炊出し場所「汐見ヶ丘小学校」へ向かった。
雨足が徐々に強くなる。
市街地を走っていると、時より車が大きくはずむ。
その原因は、マンホールと橋である。
地震の影響で、地盤が下がり、マンホールや橋との間に大きな段差が生まれ、
そこだけ盛り上がっているのだった。
いちようアスファルトで補修はされていた。
汐見ヶ丘小学校 到着
ここでの人数も約60名。早速、そばを打つ場所と、
火を焚く場所を聞く。
しかし学校は締まっていた。
水を使える場所は・・・。
やはり正門の正面玄関。雨と風が強くなり、非常に厳しかったが、仕方がなく設置。
そばを打つ場所は、避難所の体育館の中。
皆さんに了解を得て、いざそば打ちを開始する。

その間、Sさんは炊出し場所の設置を、
義兄は、接骨院院長の技術を生かし、避難されている方々にマッサージを行った。
「楽になった!ありがとう!」と笑顔が自然と出ていた。
私は、黙々とそばを打った。
そのうち、ちらほら打ち台の前に人が集まった。
「初めて生でそば打ちを見たよ!」
「お兄ちゃんありがとよ!」
福島弁が心地いい。
少しだけ、嬉しかった。
炊出しの準備もでき、皆さんに声をかける。
避難所をまとめている市職員の方に、マイクを渡される。

そんなつもりではなかったのだが、
自分たちは長野から来たこと、
私の出身が福島であること、
今回、多くの仲間達が支援をしてくれ、炊出しが実現できたこと。
そして、皆この東北を思っている事を伝えた。
そしてドシャ降りの中、炊出しが始まる。
途中から、義兄の同志(いわき市で接骨院を営んでいるTさん)が駆け付け、
手伝ってくれた。 ・・・感謝
そして元気のいい主婦の方々が、外で茹でたものを体育館まで運んでくれた。
とても協力的で、本当に助かった。
どれだけ条件の悪いところで準備をしていたかは、写真に収める暇がなかった。
計60食のかけそばと、炊き込みごはんを何とか出すことができた。
片付けも終わり、改めて体育館へ挨拶に行った。
そしたら、みなさんが大きな拍手で迎えてくれた。
「ありがとう!」
「美味しかったよ!」
皆さんが口々にそう声をかけてくれた。
あふれ出る涙が止まらなかった。
私は思う。
たった一食分を食べてもらったに過ぎない。
むしろ、乾麺の方が保存はきくし、避難所にとっては良いのである。
いろんな意見もあるだろう。
「蕎麦は非効率だ」
「保存が利かない」
「水をよく使う」
しかし、私の勝手だが、
手打ちそばや、人が作った物には、
既製品にない、見えない想いが伝わる気がする。
「また来よう!」
私達は、そう想い、初日の炊出しを終了した。
続く・・・。
次回予告
『いわき市の夜』
『ある一軒の寿司屋』
『そこで出会った地元の人達』
『その人達の想いを聞き、
私達に出来ることは何か?』
勿来第二中学校を後にした私達は、
次なる炊出し場所「汐見ヶ丘小学校」へ向かった。
雨足が徐々に強くなる。
市街地を走っていると、時より車が大きくはずむ。
その原因は、マンホールと橋である。
地震の影響で、地盤が下がり、マンホールや橋との間に大きな段差が生まれ、
そこだけ盛り上がっているのだった。
いちようアスファルトで補修はされていた。
汐見ヶ丘小学校 到着
ここでの人数も約60名。早速、そばを打つ場所と、
火を焚く場所を聞く。
しかし学校は締まっていた。
水を使える場所は・・・。
やはり正門の正面玄関。雨と風が強くなり、非常に厳しかったが、仕方がなく設置。
そばを打つ場所は、避難所の体育館の中。
皆さんに了解を得て、いざそば打ちを開始する。

その間、Sさんは炊出し場所の設置を、
義兄は、接骨院院長の技術を生かし、避難されている方々にマッサージを行った。
「楽になった!ありがとう!」と笑顔が自然と出ていた。
私は、黙々とそばを打った。
そのうち、ちらほら打ち台の前に人が集まった。
「初めて生でそば打ちを見たよ!」
「お兄ちゃんありがとよ!」
福島弁が心地いい。
少しだけ、嬉しかった。
炊出しの準備もでき、皆さんに声をかける。
避難所をまとめている市職員の方に、マイクを渡される。

そんなつもりではなかったのだが、
自分たちは長野から来たこと、
私の出身が福島であること、
今回、多くの仲間達が支援をしてくれ、炊出しが実現できたこと。
そして、皆この東北を思っている事を伝えた。
そしてドシャ降りの中、炊出しが始まる。
途中から、義兄の同志(いわき市で接骨院を営んでいるTさん)が駆け付け、
手伝ってくれた。 ・・・感謝
そして元気のいい主婦の方々が、外で茹でたものを体育館まで運んでくれた。
とても協力的で、本当に助かった。
どれだけ条件の悪いところで準備をしていたかは、写真に収める暇がなかった。
計60食のかけそばと、炊き込みごはんを何とか出すことができた。
片付けも終わり、改めて体育館へ挨拶に行った。
そしたら、みなさんが大きな拍手で迎えてくれた。
「ありがとう!」
「美味しかったよ!」
皆さんが口々にそう声をかけてくれた。
あふれ出る涙が止まらなかった。
私は思う。
たった一食分を食べてもらったに過ぎない。
むしろ、乾麺の方が保存はきくし、避難所にとっては良いのである。
いろんな意見もあるだろう。
「蕎麦は非効率だ」
「保存が利かない」
「水をよく使う」
しかし、私の勝手だが、
手打ちそばや、人が作った物には、
既製品にない、見えない想いが伝わる気がする。
「また来よう!」
私達は、そう想い、初日の炊出しを終了した。
続く・・・。
次回予告
『いわき市の夜』
『ある一軒の寿司屋』
『そこで出会った地元の人達』
『その人達の想いを聞き、
私達に出来ることは何か?』
2011年05月15日
震災後の支援として~パート2
4月23日・・・炊出し初日
出発
朝4時起床
外はまだ薄暗い。
雨が降る中、僕たちは川口からいわき市を目指した。
気合いとモチベーションは十分。
徐々にいわき市へ近づくにつれ、気持ちが高ぶる。
常磐道は、地震の影響か、道路が波を打ってやや車がはねた。
走ること3時間・・・ようやく目的地のいわき市勿来地区へ到着。
今回は、手打ちそばのかけそばと、Sさんの提案で炊き込みご飯を提供する。
避難所1・・・勿来第二中学校
ナビを頼りに、本日最初の避難所へ。
7時過ぎに学校へ到着し、辺りを見渡す。
「誰もいない。」
確かにそうだ。
学校も開いていない。
しばらくすると、体育館から一人の女性が出てきた。
「すみません。今日そばの炊出しに来たのですが・・・。
ご担当の方いらっしゃいますか?」
すると女性は、何となく聞いていたかの様で、
「あーそういえばなんか言ってたわ。」
僕はその言葉を聞き、正直・・・辛かった。
求めていたわけじゃない。
でも・・・もう少し歓迎されると思っていた。
それは、同行した2名もそうだった。
でも現実です。だからと言って手は抜けない。
自分にできることを「やる!!」だけだ。

そば打ち場所を、下駄箱の前に設置した。
そこで黙々とそばを打つ。
すると体操着を着た中学生の姿がちらほら。
話を聞くと、この子たちは、吹奏楽部で、
地震後初めての部活だそうだ。
この子達にも、蕎麦を食べさせたいと思い、
声をかけた。
皆楽しみだと喜び、
12時に下駄箱前に集合と声をかけた。
・・・耳を澄ませば
あの子達の心地よい音楽が聞こえる。
静かに・・。
「ふるさと」
・・・が私の耳に届いた。
涙が止まらなかった
この現状の中、頑張っている子供たちがいる。
私は蕎麦打ちにさらに気持ちを込めた。
時間もお昼時。
計60食を打ち上げた。

まずは子供たちに蕎麦をふるまう。
すごく喜んでくれた。
顧問の先生も、大喜びだった。
この子達の笑顔が、私達に力を与えてくれた。

次に避難所の方々。。。
疲れ切った様子のご年配の方、涙を流して受け取ってくれる若い方。
一人一人の気持ちが痛いほど伝わった。
「なんでもいい・・・。ホントなんでもいい。」
少しでも、少しでも美味しいと思ってくれればそれでいい。
食べ終わった皆さんの顔を見た時、僕はそう思ったんだ。
一通り片付けをすませる。
改めて避難所の体育館に足を運び、挨拶をした。
来た時とは違い、みな笑顔で見送ってくれた。
少しは、少しだけは元気になってもらえたのかな・・・。
そして私達は次なる避難所へ向かう。
続く・・・。
次回予告避難所2ヶ所目
汐見ヶ丘小学校
出発
朝4時起床
外はまだ薄暗い。
雨が降る中、僕たちは川口からいわき市を目指した。
気合いとモチベーションは十分。
徐々にいわき市へ近づくにつれ、気持ちが高ぶる。
常磐道は、地震の影響か、道路が波を打ってやや車がはねた。
走ること3時間・・・ようやく目的地のいわき市勿来地区へ到着。
今回は、手打ちそばのかけそばと、Sさんの提案で炊き込みご飯を提供する。
避難所1・・・勿来第二中学校
ナビを頼りに、本日最初の避難所へ。
7時過ぎに学校へ到着し、辺りを見渡す。
「誰もいない。」
確かにそうだ。
学校も開いていない。
しばらくすると、体育館から一人の女性が出てきた。
「すみません。今日そばの炊出しに来たのですが・・・。
ご担当の方いらっしゃいますか?」
すると女性は、何となく聞いていたかの様で、
「あーそういえばなんか言ってたわ。」
僕はその言葉を聞き、正直・・・辛かった。
求めていたわけじゃない。
でも・・・もう少し歓迎されると思っていた。
それは、同行した2名もそうだった。
でも現実です。だからと言って手は抜けない。
自分にできることを「やる!!」だけだ。

そば打ち場所を、下駄箱の前に設置した。
そこで黙々とそばを打つ。
すると体操着を着た中学生の姿がちらほら。
話を聞くと、この子たちは、吹奏楽部で、
地震後初めての部活だそうだ。
この子達にも、蕎麦を食べさせたいと思い、
声をかけた。
皆楽しみだと喜び、
12時に下駄箱前に集合と声をかけた。
・・・耳を澄ませば
あの子達の心地よい音楽が聞こえる。
静かに・・。
「ふるさと」
・・・が私の耳に届いた。
涙が止まらなかった
この現状の中、頑張っている子供たちがいる。
私は蕎麦打ちにさらに気持ちを込めた。
時間もお昼時。
計60食を打ち上げた。

まずは子供たちに蕎麦をふるまう。
すごく喜んでくれた。
顧問の先生も、大喜びだった。
この子達の笑顔が、私達に力を与えてくれた。

次に避難所の方々。。。
疲れ切った様子のご年配の方、涙を流して受け取ってくれる若い方。
一人一人の気持ちが痛いほど伝わった。
「なんでもいい・・・。ホントなんでもいい。」
少しでも、少しでも美味しいと思ってくれればそれでいい。
食べ終わった皆さんの顔を見た時、僕はそう思ったんだ。
一通り片付けをすませる。
改めて避難所の体育館に足を運び、挨拶をした。
来た時とは違い、みな笑顔で見送ってくれた。
少しは、少しだけは元気になってもらえたのかな・・・。
そして私達は次なる避難所へ向かう。
続く・・・。
次回予告避難所2ヶ所目
汐見ヶ丘小学校
2011年05月13日
震災後の支援として~パート1
2011年3月11日・・・。
東北地方太平洋沖地震発生。
それぞれの想い・・・
私はすぐにでも駆けつけたかった。
あの映像を見て、恐ろしいと思った反面、
「故郷福島県に行きたい!」
私は心で強く思っていた。
しかし、すぐに行っても役には立たないと冷静になり、
しばらく落ち着いたら、そば打ちの炊き出しに行こうと決めた。
多くの絆が重なり合う
その意志に、多くの仲間や先輩、家族が支援してくれた。
お金、食料、什器備品。
何よりも嬉しかったのが、mixiマイミクでワーゲン乗りの方(Sさん)が、
手伝っていただけるということ、
この方は、実際に避難所に炊き出しに行った経験があり、とても頼もしかった。
そして、義兄も賛同してくれ、一緒に行くこととなった。
炊出し場所
私達3人は、いわき市勿来地区の比較的小規模の避難所
計3ヶ所、約200名のそば打ちが計画された。
日程は4月22日~23日
何を待っていけば良いのか、不安もありながら、
とにかく準備し、私達は現地へ向かうのである・・・。
4月21日 いざ出発の日
この日は移動日ということで、
定時で仕事を終え、Sさんの拠点である川口まで雨の中、車を走らせた。
複雑な想い・・・。
実際行けることとなり、頑張ろう!と思っていたのに、
本当に喜んでもらえるものだろうか・・・?
慣れ親しんだあの海沿いの景色・・・。見て来れるのだろか・・・?
車中ではそんな会話だった。
川口まで約4時間。
ようやく着いたこの町は、桜が散り始めていた。
「初めまして」
Sさんとは初対面であったが、本当に温かく迎えてくれた。
Sさんは、都内で居酒屋を経営している。
それとは別に、ケータリングもやっている。(3台 内1台ワーゲンバス)
なんとも笑顔が素敵で、熱い方だ。
明日の段取り、仕込みをし、時計の針は午前2時を回っていた。
不安や興奮もある中、明日からの事を考え、
我々は床に就いた。
続く・・・。
次回予告
炊出し初日
訪れるトラブル
そして現地の方との対面・・・。
複雑な感情が重なり合う
その時、私達は・・・。
東北地方太平洋沖地震発生。
それぞれの想い・・・
私はすぐにでも駆けつけたかった。
あの映像を見て、恐ろしいと思った反面、
「故郷福島県に行きたい!」
私は心で強く思っていた。
しかし、すぐに行っても役には立たないと冷静になり、
しばらく落ち着いたら、そば打ちの炊き出しに行こうと決めた。
多くの絆が重なり合う
その意志に、多くの仲間や先輩、家族が支援してくれた。
お金、食料、什器備品。
何よりも嬉しかったのが、mixiマイミクでワーゲン乗りの方(Sさん)が、
手伝っていただけるということ、
この方は、実際に避難所に炊き出しに行った経験があり、とても頼もしかった。
そして、義兄も賛同してくれ、一緒に行くこととなった。
炊出し場所
私達3人は、いわき市勿来地区の比較的小規模の避難所
計3ヶ所、約200名のそば打ちが計画された。
日程は4月22日~23日
何を待っていけば良いのか、不安もありながら、
とにかく準備し、私達は現地へ向かうのである・・・。
4月21日 いざ出発の日
この日は移動日ということで、
定時で仕事を終え、Sさんの拠点である川口まで雨の中、車を走らせた。
複雑な想い・・・。
実際行けることとなり、頑張ろう!と思っていたのに、
本当に喜んでもらえるものだろうか・・・?
慣れ親しんだあの海沿いの景色・・・。見て来れるのだろか・・・?
車中ではそんな会話だった。
川口まで約4時間。
ようやく着いたこの町は、桜が散り始めていた。
「初めまして」
Sさんとは初対面であったが、本当に温かく迎えてくれた。
Sさんは、都内で居酒屋を経営している。
それとは別に、ケータリングもやっている。(3台 内1台ワーゲンバス)
なんとも笑顔が素敵で、熱い方だ。
明日の段取り、仕込みをし、時計の針は午前2時を回っていた。
不安や興奮もある中、明日からの事を考え、
我々は床に就いた。
続く・・・。
次回予告
炊出し初日
訪れるトラブル
そして現地の方との対面・・・。
複雑な感情が重なり合う
その時、私達は・・・。
2011年05月10日
決意表明
私は現在、会社員という立場で、そばに関わる仕事をしています。
21歳でそば打ちに出逢い、今年で9年目を迎えます。
今までそば打ちを通して、本当に多くの出逢いや経験をさせていただきました。
将来はそば屋を開業する夢を追い求めながら。
そんな時、あの大地震が起こりました。
未曾有の大震災で、私の故郷福島県は、今も大変なことになっています。
私にできる事は何か?今回の地震で色んなことを考えさせられました。
と同時に、自分の無力さを感じました。
本当にカズキという人間に、何ができるかと。
悩んだ末に出した答えが『そば屋の開業』です。
私は、そば打ちを通して得られたことは、人生のかけがえのないものとなりました。
このそば打ちを通して、今度は自分がみんなに恩返しがしたいと思いました。
「人と人のつなぎ役になる」
この湧き上がる熱い気持ちから、開業を決意しました。
それが私のできる事です。小さな事かもしれませんが、
小さなところから発信していきたいと思います。
今年で私は30歳になります。自分の節目の年ととらえ、大きな一歩を踏み出します。
不安もありますが、それでも前に進みたい。
今は、育ててくれた、関わってくれた人たちに、心から感謝しております。
まだまだ未熟者ではございますが、これからもご指導ご鞭撻をお願いいたします。
追伸:初めてのブログで、不慣れな点がありますが、どうぞお付き合いください。
21歳でそば打ちに出逢い、今年で9年目を迎えます。
今までそば打ちを通して、本当に多くの出逢いや経験をさせていただきました。
将来はそば屋を開業する夢を追い求めながら。
そんな時、あの大地震が起こりました。
未曾有の大震災で、私の故郷福島県は、今も大変なことになっています。
私にできる事は何か?今回の地震で色んなことを考えさせられました。
と同時に、自分の無力さを感じました。
本当にカズキという人間に、何ができるかと。
悩んだ末に出した答えが『そば屋の開業』です。
私は、そば打ちを通して得られたことは、人生のかけがえのないものとなりました。
このそば打ちを通して、今度は自分がみんなに恩返しがしたいと思いました。
「人と人のつなぎ役になる」
この湧き上がる熱い気持ちから、開業を決意しました。
それが私のできる事です。小さな事かもしれませんが、
小さなところから発信していきたいと思います。
今年で私は30歳になります。自分の節目の年ととらえ、大きな一歩を踏み出します。
不安もありますが、それでも前に進みたい。
今は、育ててくれた、関わってくれた人たちに、心から感謝しております。
まだまだ未熟者ではございますが、これからもご指導ご鞭撻をお願いいたします。
追伸:初めてのブログで、不慣れな点がありますが、どうぞお付き合いください。