2013年04月30日
「福岡の木曽路」!「長野の木鶏」!
◆仕事を通じて・・・
私は現在、そばの品種から、生産、販売までを手掛ける会社に勤めています。
そのおかげで、全国のそば屋さんへ営業に出掛け、
良き関係を築かせてもらっています。
先日も営業で、西日本のそば屋さんへ出掛けました。
私が行くことを伝えると、皆さんとても楽しみだと言って下さるのです。
◆一軒目 岡山県「一心庵」

ここのご主人は、私が入社する前から取引があり、
東京の展示会で始めてお逢いして以来、深い交流を重ねています。
岡山市内から、高速道路で1時間の山間にある木材の街「真庭市」に、
この「一心庵」さんはあります。
ご主人の守廣さんは、そば打ち歴30年の大ベテランです。
多い日には、朝方3時から10時まで、300食を打ち上げるすご腕です。
器も大のコレクターで、今頑張っている若手を応援したいと、
備前焼の作家さんから、直接購入していらっしゃいます。
「遠くから来てくれてありがとね!」
そういって、私に備前焼のそばちょこをプレゼントして下さいました。
守廣さん!いつもありがとうございます!
【一心庵】
住 所:岡山県真庭市三田131
電 話:0867-44-2733
地 図:「ここをクリック」
詳 細:「ここをクリック」

◆二軒目 福岡県「そば 木曽路」

木曽路さんは、大将(お父さん)と若大将(息子さん)のお二人を中心に、
息の合ったコンビネーションで、お店を運営されています。
もともとは、大将が街のそば屋さん的な形で、出前などもやっておられ、
地元になくてはならない存在でした。
しかし、時代の流れとともに、本格的なお店に進化していきます。
まずは、息子さんが東京の日本料理屋に修業へ出掛けます。
その技術をもとに、そば屋で日本酒の飲める料理を展開。
さらには、自家製粉も取り入れ、福岡でも美味しいそばが食べられる名店になったのです。

木曽路さんとは、本当に取引先を超えた関係を築かせて頂いてます。
いつも伺うたびに、福岡の美味しいところを紹介して下さいます。
今回も屋台ラーメンをご馳走して頂きました。


やっぱり、本場モノは違いますね!最高っす!

木曽路さんは、最高の親子関係を築いていらっしゃると思います。
大将が若大将を、また若大将さんが大将を尊重し合っています。
親子関係の中にも、ちゃんと認め合う関係が、
このお店の素敵な所だと私はいつも学ばせて頂いてます。

また、若大将の猛さんとは「福岡の木曽路」「長野の木鶏」と言われるように、
お互いに、切磋琢磨していきましょうと話をしています。
自分も、早くスタートに立たなくては!木曽路さん!いつもありがとうございます!

【そば 木曽路】
住 所:福岡県福岡市中央区 1丁目10−13 ルエメゾンロワール西公園Ⅲ−Ⅰ 1F
電 話:092-712-8253
地 図:「ここをクリック」
H P:「ここをクリック」
追伸:
私はこうして、全国のそば屋さんとの交流を深めています。
もちろん仕事もしています。当然ですが会社にも感謝しています。
「人は人から物を買う」
この関係を、ずっと繋いでいきたいですね!
私は現在、そばの品種から、生産、販売までを手掛ける会社に勤めています。
そのおかげで、全国のそば屋さんへ営業に出掛け、
良き関係を築かせてもらっています。
先日も営業で、西日本のそば屋さんへ出掛けました。
私が行くことを伝えると、皆さんとても楽しみだと言って下さるのです。
◆一軒目 岡山県「一心庵」

ここのご主人は、私が入社する前から取引があり、
東京の展示会で始めてお逢いして以来、深い交流を重ねています。
岡山市内から、高速道路で1時間の山間にある木材の街「真庭市」に、
この「一心庵」さんはあります。
ご主人の守廣さんは、そば打ち歴30年の大ベテランです。
多い日には、朝方3時から10時まで、300食を打ち上げるすご腕です。
器も大のコレクターで、今頑張っている若手を応援したいと、
備前焼の作家さんから、直接購入していらっしゃいます。
「遠くから来てくれてありがとね!」
そういって、私に備前焼のそばちょこをプレゼントして下さいました。
守廣さん!いつもありがとうございます!
【一心庵】
住 所:岡山県真庭市三田131
電 話:0867-44-2733
地 図:「ここをクリック」
詳 細:「ここをクリック」
◆二軒目 福岡県「そば 木曽路」
木曽路さんは、大将(お父さん)と若大将(息子さん)のお二人を中心に、
息の合ったコンビネーションで、お店を運営されています。
もともとは、大将が街のそば屋さん的な形で、出前などもやっておられ、
地元になくてはならない存在でした。
しかし、時代の流れとともに、本格的なお店に進化していきます。
まずは、息子さんが東京の日本料理屋に修業へ出掛けます。
その技術をもとに、そば屋で日本酒の飲める料理を展開。
さらには、自家製粉も取り入れ、福岡でも美味しいそばが食べられる名店になったのです。
木曽路さんとは、本当に取引先を超えた関係を築かせて頂いてます。
いつも伺うたびに、福岡の美味しいところを紹介して下さいます。
今回も屋台ラーメンをご馳走して頂きました。
やっぱり、本場モノは違いますね!最高っす!
木曽路さんは、最高の親子関係を築いていらっしゃると思います。
大将が若大将を、また若大将さんが大将を尊重し合っています。
親子関係の中にも、ちゃんと認め合う関係が、
このお店の素敵な所だと私はいつも学ばせて頂いてます。
また、若大将の猛さんとは「福岡の木曽路」「長野の木鶏」と言われるように、
お互いに、切磋琢磨していきましょうと話をしています。
自分も、早くスタートに立たなくては!木曽路さん!いつもありがとうございます!
【そば 木曽路】
住 所:福岡県福岡市中央区 1丁目10−13 ルエメゾンロワール西公園Ⅲ−Ⅰ 1F
電 話:092-712-8253
地 図:「ここをクリック」
H P:「ここをクリック」
追伸:
私はこうして、全国のそば屋さんとの交流を深めています。
もちろん仕事もしています。当然ですが会社にも感謝しています。
「人は人から物を買う」
この関係を、ずっと繋いでいきたいですね!
タグ :木鶏
2013年04月23日
「小澤征爾」!「中村勘三郎」!ん?「塙和貴」???
◆頑張っぺ!カズキ!~作家への道のり~?
今年2月のことです。
私は、ある方からエッセイを書いてみないかと、お声を掛けて頂きました。
その方は、松本が誇る文化の発信基地「まつもと市民芸術館」にお勤めの今井さんです。
今井さんとの出逢いは、2月に松本市で行われた蕎麦会がきっかけでした。
【蕎麦会の詳細は⇒「ここをクリック」】
この蕎麦会に参加されたあと、
今井さんから直接メッセージを頂戴したのです。
はじめは悩みましたが、今井さんが「福島と長野と蕎麦」について語ってください、
と提案して頂いたので、これも何かの縁かなと思い承諾しました。
掲載して頂ける媒体は「まつもと市民芸術館」が、
年に4回発行している「幕があがる。」です。

(過去の表紙です。立派ですねー!)
この「幕が上がる。」は、主に「まつもと市民芸術館」の広報誌ですが、
ただの広報誌ではないことを、過去のものを送って頂き初めて知りました。
◆身震いしちゃいそうです・・・。
「幕があがる。」には、あのウィーン国立歌劇場の音楽監督を務められた、
日本人として最も世界的に成功した音楽家、「小澤征爾」さんも登場しています。

さらに、昨年惜しまれながらお亡くなりになられた、
歌舞伎界の巨星、「中村勘三郎」さんも、掲載されています。

お二人とも、この「まつもと市民芸術館」には、
とても深い繋がりを持っていらっしゃいます。
「小澤征爾」さんは、毎年8月、9月に松本市で行われる音楽祭、
「サイトウキネン・フェスティバル松本」で、
長年指揮を揮っていらっしゃいます。
「中村勘三郎」さんは「平成中村座 信州まつもと大歌舞伎」を通じて、
松本市に歌舞伎の素晴らしさを伝えて下さいました。
こんなにも素晴らしい「まつもと市民芸術館」の広報誌に、
私のエッセイを掲載して頂けるとは、とんだ筋違いだと思いました。
しかし、与えられたチャンスを逃すのは、カズキらしくありません。
私は、自分自身を見つめ直しながら、
気持ちを改めて、原稿を作成していきました。
エッセイなんて初めての試みでしたが、
意外に楽しく、夜中ずっと書き続けていました。
文章はなんとなく頭に浮かび始め、
集中して書き続けていけたのです。
そして、何度か今井さんにアドバイスを頂戴しながら、
この度、無事にOKが出て、広報誌に掲載して頂けることが決まりました。
◆タイトル 『蕎麦がつなぐ絆』
このエッセイには、私がなぜ松本市に移り住んだのか?蕎麦を通じてどんなことをしていきたいのか?などを、自分なりに表現させて頂きました。
イラストに、私のお気に入りのシャツが描かれたのも嬉しかったです。
今回の学びは、人に伝える難しさを改めて実感しました。
人間の言葉には、声のトーンや表情から、ある程度感じ取ることが出来ます。
料理も、見た目、香り、味、温度など表現することが出来ます。
しかし、文字には温度がありません。
人によっては、捉え方が180度異なることがあります。
だから難しいなって、本気で思いました。
この記事は、決して高飛車になって書いたつもりはありません。
(書かせて頂いて嬉しいという気持ちはありました)
少しでも、福島と信州の活動に共感して頂きたいから書きました。
あなたの心には、どう感じられたでしょうか?
ご意見ご感想をお待ちしております。
(出来れば実名でお願いします)
ここに至るまでの道のりに、多くの方々が携わって頂けたことを、
改めて感謝いたします。

(クリックすると画像が拡大されます)
この「幕があがる。」は、「まつもと市民芸術館」はもちろんのこと、松本市内公共施設、
松本市内飲食店、県内ホールなどでも手に入れることが出来るようです。
今回の表紙はこちらです↓↓↓

お恥ずかしながら、手に取って頂ければ幸いです。
機会を与えて下さった「まつもと市民芸術館」の今井さん!
貴重な体験をありがとうございました!
これからも、この記事のように、
蕎麦で人と人の心を繋いでいきたいと思います!!
「砂粒みたいな活動も続ければきっと嵐は起きる!」
【ご協力】
名 称:まつもと市民芸術館
住 所:松本市深志3丁目10番1号
電 話:0263-33-3800
H P:「ここをクリック」
まつもと市民芸術館は、今年で10周年を迎えられるようです。
ここから、様々な文化が発信されています。
ぜひ一度訪れてみて下さい。

頑張っぺ!カズキ!
今年2月のことです。
私は、ある方からエッセイを書いてみないかと、お声を掛けて頂きました。
その方は、松本が誇る文化の発信基地「まつもと市民芸術館」にお勤めの今井さんです。
今井さんとの出逢いは、2月に松本市で行われた蕎麦会がきっかけでした。
【蕎麦会の詳細は⇒「ここをクリック」】
この蕎麦会に参加されたあと、
今井さんから直接メッセージを頂戴したのです。
はじめは悩みましたが、今井さんが「福島と長野と蕎麦」について語ってください、
と提案して頂いたので、これも何かの縁かなと思い承諾しました。
掲載して頂ける媒体は「まつもと市民芸術館」が、
年に4回発行している「幕があがる。」です。

(過去の表紙です。立派ですねー!)
この「幕が上がる。」は、主に「まつもと市民芸術館」の広報誌ですが、
ただの広報誌ではないことを、過去のものを送って頂き初めて知りました。
◆身震いしちゃいそうです・・・。
「幕があがる。」には、あのウィーン国立歌劇場の音楽監督を務められた、
日本人として最も世界的に成功した音楽家、「小澤征爾」さんも登場しています。
さらに、昨年惜しまれながらお亡くなりになられた、
歌舞伎界の巨星、「中村勘三郎」さんも、掲載されています。

お二人とも、この「まつもと市民芸術館」には、
とても深い繋がりを持っていらっしゃいます。
「小澤征爾」さんは、毎年8月、9月に松本市で行われる音楽祭、
「サイトウキネン・フェスティバル松本」で、
長年指揮を揮っていらっしゃいます。
「中村勘三郎」さんは「平成中村座 信州まつもと大歌舞伎」を通じて、
松本市に歌舞伎の素晴らしさを伝えて下さいました。
こんなにも素晴らしい「まつもと市民芸術館」の広報誌に、
私のエッセイを掲載して頂けるとは、とんだ筋違いだと思いました。
しかし、与えられたチャンスを逃すのは、カズキらしくありません。
私は、自分自身を見つめ直しながら、
気持ちを改めて、原稿を作成していきました。
エッセイなんて初めての試みでしたが、
意外に楽しく、夜中ずっと書き続けていました。
文章はなんとなく頭に浮かび始め、
集中して書き続けていけたのです。
そして、何度か今井さんにアドバイスを頂戴しながら、
この度、無事にOKが出て、広報誌に掲載して頂けることが決まりました。
◆タイトル 『蕎麦がつなぐ絆』
このエッセイには、私がなぜ松本市に移り住んだのか?蕎麦を通じてどんなことをしていきたいのか?などを、自分なりに表現させて頂きました。
イラストに、私のお気に入りのシャツが描かれたのも嬉しかったです。
今回の学びは、人に伝える難しさを改めて実感しました。
人間の言葉には、声のトーンや表情から、ある程度感じ取ることが出来ます。
料理も、見た目、香り、味、温度など表現することが出来ます。
しかし、文字には温度がありません。
人によっては、捉え方が180度異なることがあります。
だから難しいなって、本気で思いました。
この記事は、決して高飛車になって書いたつもりはありません。
(書かせて頂いて嬉しいという気持ちはありました)
少しでも、福島と信州の活動に共感して頂きたいから書きました。
あなたの心には、どう感じられたでしょうか?
ご意見ご感想をお待ちしております。
(出来れば実名でお願いします)
ここに至るまでの道のりに、多くの方々が携わって頂けたことを、
改めて感謝いたします。
(クリックすると画像が拡大されます)
この「幕があがる。」は、「まつもと市民芸術館」はもちろんのこと、松本市内公共施設、
松本市内飲食店、県内ホールなどでも手に入れることが出来るようです。
今回の表紙はこちらです↓↓↓

お恥ずかしながら、手に取って頂ければ幸いです。
機会を与えて下さった「まつもと市民芸術館」の今井さん!
貴重な体験をありがとうございました!
これからも、この記事のように、
蕎麦で人と人の心を繋いでいきたいと思います!!
「砂粒みたいな活動も続ければきっと嵐は起きる!」
【ご協力】
名 称:まつもと市民芸術館
住 所:松本市深志3丁目10番1号
電 話:0263-33-3800
H P:「ここをクリック」
まつもと市民芸術館は、今年で10周年を迎えられるようです。
ここから、様々な文化が発信されています。
ぜひ一度訪れてみて下さい。

頑張っぺ!カズキ!
2013年04月19日
風の噂が仙台まで届きました!
◆10年以上逢ってないのに・・・
先日、私の携帯電話に一本の電話が入りました。
それは、仙台に住む先輩から2年ぶりくらいの電話でした。
その方とのお付き合いは、自分が二十歳前後のことだったと思います。
当時の私は、毎日毎晩ふらふら出歩き、親にも迷惑をかけてばかりでした。
(今もある意味ふらふらしていますが・・・)
仙台に住むその方とは、友人を介して知り合いました。
仙台に友人と出掛けては、お酒をたらふくご馳走になり、
あーでもないこーでもないと、バカな話をしていた事を思い出します。
そんな中でもその方は、人生の先輩として、
色んなアドバイスをして下さいました。
当時の私では、きっと理解できないことばかりだったと思います。
その先輩も、波乱万丈な人生を歩まれていました。
しかし現在では、お客さんの笑顔を第一に、
震災復興もかねて、仕事をされていらっしゃるようです。
「お客様の笑顔を第一に」
この言葉は、どこでも耳にすることです。
でも、本当にそう思って仕事をしている人は、
はたしてどのくらいいるのでしょうか?
この先輩の言葉には、とても説得力がありました。
きっと言葉では語りつくせないほどのご経験があったからだと思います。
「頑張っているようだね!話は仙台まで届いているよ!何かあったら頼ってきてな!いつでも動くから!」
最後にお逢いしたのは、10年以上前のことだと思います。
こんな私を、ちゃんと気に掛けて下さっていることが、本当に有り難かったです。
また、自分がぶれ始めようとしているタイミングで、
いいアドバイスをしてくれるんですよねー(笑)
よし!大丈夫だ!このまま続けていこう!
そう思えた一日でした。
追伸:
先輩は私に言ってくれました。
「あの時、あの仲間の中では一番やんちゃだったのにな!今では一番筋が通っている気がするよ!目先の利益ばかり追求する仕事ばかりしていたら、やっぱり人間だめになるって!今のスタンスで変わらずに頑張ってな!」
10年以上逢っていないのに、この先輩は自分を側で見てくれているかのような言葉でした。フェイスブックなどで新しい出逢いを作る事も大事なことです。でも、本当に心から繋がっている方を大事にすることは、もっともっと大切にしなければなりません。
きっと何かの教えだったような気がします。
時間や期間は関係ない。
大事なのはその人と過ごした中身。
いつか信州を訪れてくれることを約束しました。
今からとても楽しみにしています!
先日、私の携帯電話に一本の電話が入りました。
それは、仙台に住む先輩から2年ぶりくらいの電話でした。
その方とのお付き合いは、自分が二十歳前後のことだったと思います。
当時の私は、毎日毎晩ふらふら出歩き、親にも迷惑をかけてばかりでした。
(今もある意味ふらふらしていますが・・・)
仙台に住むその方とは、友人を介して知り合いました。
仙台に友人と出掛けては、お酒をたらふくご馳走になり、
あーでもないこーでもないと、バカな話をしていた事を思い出します。
そんな中でもその方は、人生の先輩として、
色んなアドバイスをして下さいました。
当時の私では、きっと理解できないことばかりだったと思います。
その先輩も、波乱万丈な人生を歩まれていました。
しかし現在では、お客さんの笑顔を第一に、
震災復興もかねて、仕事をされていらっしゃるようです。
「お客様の笑顔を第一に」
この言葉は、どこでも耳にすることです。
でも、本当にそう思って仕事をしている人は、
はたしてどのくらいいるのでしょうか?
この先輩の言葉には、とても説得力がありました。
きっと言葉では語りつくせないほどのご経験があったからだと思います。
「頑張っているようだね!話は仙台まで届いているよ!何かあったら頼ってきてな!いつでも動くから!」
最後にお逢いしたのは、10年以上前のことだと思います。
こんな私を、ちゃんと気に掛けて下さっていることが、本当に有り難かったです。
また、自分がぶれ始めようとしているタイミングで、
いいアドバイスをしてくれるんですよねー(笑)
よし!大丈夫だ!このまま続けていこう!
そう思えた一日でした。
追伸:
先輩は私に言ってくれました。
「あの時、あの仲間の中では一番やんちゃだったのにな!今では一番筋が通っている気がするよ!目先の利益ばかり追求する仕事ばかりしていたら、やっぱり人間だめになるって!今のスタンスで変わらずに頑張ってな!」
10年以上逢っていないのに、この先輩は自分を側で見てくれているかのような言葉でした。フェイスブックなどで新しい出逢いを作る事も大事なことです。でも、本当に心から繋がっている方を大事にすることは、もっともっと大切にしなければなりません。
きっと何かの教えだったような気がします。
時間や期間は関係ない。
大事なのはその人と過ごした中身。
いつか信州を訪れてくれることを約束しました。
今からとても楽しみにしています!
タグ :木鶏
2013年04月16日
未来のスタッフへの手紙
◆人生は一度きりです。
今からする話は、私の実体験を基に、
あなたに生きることの楽しさを伝えたいと思い、この手紙にしました。
決して難しい話ではありませんので、少しだけ素直に聞いてください。
なぜ福島県出身の私が、縁もゆかりもない長野県で、
蕎麦屋を開業できたのか、興味はありませんか?
それは、私がある時期から大切にしていたことが、
今の自分を作ってくれたのだと信じています。
21歳のとき、私は故郷福島県の蕎麦屋で修業を始めました。
そして2年が経過した頃、信州そばで名高い長野県に、
友人とそばの食べ歩き旅行に出掛けたのです。
長野県はとても良いところでした。
アルプスの山々がそびえ立つ雄大な大自然と、
福島県に似た食文化、さらには歴史的建造物の素晴らしさです。
私はすぐに長野県を惚れてしまいました。
「ここに住みたい!」
この強い想いこそが、移住するきっかけとなりました。
そして、たまたま入った焼き鳥屋さんで、
運命の出会いが待ち受けていました。
カウンターしかない小さなお店です。
私は友人と旅の思い出を語りました。
その様子に興味を示してくれた大将は、私たちに声をかけてくれます。
「君たちはどこから来たんだい?」
と・・・。
私は自己紹介もかねて、長野への熱い想いを語り出しました。
「自分は、福島でそば打ちの修業をしているものです。今回、長野に信州そばを食べに来て、とても感動しました!このそばの本場である信州で、そば打ちの修業をしてみたいのですが、どこかお店はありませんかね?チャレンジしてみたいんです!」
と伝えました。
その様子に、大将はとても気にいって下さいました。
「面白い兄ちゃんだな!よし!とりあえず連絡先だけでも交換するか!」
となり、お互いに名刺交換をさせて頂きました。
福島県に戻った私は、ずっと長野県に想いを募らせていました。
そしてじっとしていられず、あの焼き鳥屋の大将に、
お礼状を書き、自分で打ったそばを贈ったのです。
あなただったら、どうしたでしょうか?
その後、すぐに大将から連絡を頂きました。
「なかなかいいそばを打つじゃないか。実は、私の知り合いに、蕎麦屋を経営している社長がいる。話を聞いたら、職人を一人募集しているそうだ。話だけでも聞いてみないか?」
私は、正直に言うと、驚きを隠せませんでした。
今度は、一人で長野県に向かい、蕎麦屋の社長とお逢いしたのです。
「君が塙くんか。ちょうどお店のリニューアルを考えていて、若い力が欲しかったんだよ。本気で来る気はあるのかい?」
と、社長の想いをお聞きしました。
そしてここが決断の時でした。
とてつもない不安やプレッシャーに襲われたのを、今でも覚えています。
それらを払いのけ、私は長野県に移住することを決断したのです。
こんなことが起きるとは、あなたも驚いたのではないのでしょうか?
この時から、私は出逢いの素晴らしさを実感しました。
ここから第二のそば道の始まりです。
私は誰も知らない土地に住み、毎日が孤独でした。
だから、初めて会う一人ひとりが、とてもありがたく、
その出逢いに感謝をしていったのです。
それを繰り返していくにつれて、徐々に仲間が増え、
小さな和は大きな和に変わり始めました。
そんな中、友人の一人がある女性を紹介してくれました。
それが現在の私の妻というわけです。
今では、三人の子供に恵まれ、充実した日々を送っています。
まさか自分が、何も知らない土地で、多くの仲間に恵まれ、
結婚をし、家庭を持てるとは、夢にも思っていませんでした。
これもすべて人のご縁です。感謝してもしきれないでいます。
そして今、あなたは私のお店のスタッフになってくれました。
人が一生に出逢う人数は、とても限られています。
こうしてあなたに出逢えたことも、
奇跡といっても過言ではありません。
本当にありがとう!
私のお店作りのテーマは「人と人を繋ぐそば屋」です。
お客様はもちろん、スタッフ同士が心から通じ合える、
「チーム」を作りたいと考えています。
私はあなたと一緒に、その素晴らしい「チーム」を作って行きたいのです。
長文を読んでくれてありがとう。
最後に私があなたに伝えたいのは、
人と人の繋がりの大切さです。
人はどこでどう繋がるか分かりません。
大事なのは、一期一会の心だと信じています。
その一瞬の出逢いを大切にすれば、
可能性は無限に広がると思います。
人生は一度きりです。
私はダイナミックに生きたいと考えています。
人生を楽しむことも、平凡で生きることもあなた次第です。
あなたは「自分にできるかな・・・」と、
不安に思っているかもしれません。
でも、怖がる必要はありません。
一人ではなく「チーム」として、
そして仲間として一緒に頑張りましょう!
一期一会の心さえ身に付けてしまえば、
どんな土地でも、どんな社会であっても生きていけると思います。
そしてなにより、人生がもっと楽しくなります。
あなたの将来が、素敵な人生になることを心から願っています。
そば打ち人
塙 和貴
今からする話は、私の実体験を基に、
あなたに生きることの楽しさを伝えたいと思い、この手紙にしました。
決して難しい話ではありませんので、少しだけ素直に聞いてください。
なぜ福島県出身の私が、縁もゆかりもない長野県で、
蕎麦屋を開業できたのか、興味はありませんか?
それは、私がある時期から大切にしていたことが、
今の自分を作ってくれたのだと信じています。
21歳のとき、私は故郷福島県の蕎麦屋で修業を始めました。
そして2年が経過した頃、信州そばで名高い長野県に、
友人とそばの食べ歩き旅行に出掛けたのです。
長野県はとても良いところでした。
アルプスの山々がそびえ立つ雄大な大自然と、
福島県に似た食文化、さらには歴史的建造物の素晴らしさです。
私はすぐに長野県を惚れてしまいました。
「ここに住みたい!」
この強い想いこそが、移住するきっかけとなりました。
そして、たまたま入った焼き鳥屋さんで、
運命の出会いが待ち受けていました。
カウンターしかない小さなお店です。
私は友人と旅の思い出を語りました。
その様子に興味を示してくれた大将は、私たちに声をかけてくれます。
「君たちはどこから来たんだい?」
と・・・。
私は自己紹介もかねて、長野への熱い想いを語り出しました。
「自分は、福島でそば打ちの修業をしているものです。今回、長野に信州そばを食べに来て、とても感動しました!このそばの本場である信州で、そば打ちの修業をしてみたいのですが、どこかお店はありませんかね?チャレンジしてみたいんです!」
と伝えました。
その様子に、大将はとても気にいって下さいました。
「面白い兄ちゃんだな!よし!とりあえず連絡先だけでも交換するか!」
となり、お互いに名刺交換をさせて頂きました。
福島県に戻った私は、ずっと長野県に想いを募らせていました。
そしてじっとしていられず、あの焼き鳥屋の大将に、
お礼状を書き、自分で打ったそばを贈ったのです。
あなただったら、どうしたでしょうか?
その後、すぐに大将から連絡を頂きました。
「なかなかいいそばを打つじゃないか。実は、私の知り合いに、蕎麦屋を経営している社長がいる。話を聞いたら、職人を一人募集しているそうだ。話だけでも聞いてみないか?」
私は、正直に言うと、驚きを隠せませんでした。
今度は、一人で長野県に向かい、蕎麦屋の社長とお逢いしたのです。
「君が塙くんか。ちょうどお店のリニューアルを考えていて、若い力が欲しかったんだよ。本気で来る気はあるのかい?」
と、社長の想いをお聞きしました。
そしてここが決断の時でした。
とてつもない不安やプレッシャーに襲われたのを、今でも覚えています。
それらを払いのけ、私は長野県に移住することを決断したのです。
こんなことが起きるとは、あなたも驚いたのではないのでしょうか?
この時から、私は出逢いの素晴らしさを実感しました。
ここから第二のそば道の始まりです。
私は誰も知らない土地に住み、毎日が孤独でした。
だから、初めて会う一人ひとりが、とてもありがたく、
その出逢いに感謝をしていったのです。
それを繰り返していくにつれて、徐々に仲間が増え、
小さな和は大きな和に変わり始めました。
そんな中、友人の一人がある女性を紹介してくれました。
それが現在の私の妻というわけです。
今では、三人の子供に恵まれ、充実した日々を送っています。
まさか自分が、何も知らない土地で、多くの仲間に恵まれ、
結婚をし、家庭を持てるとは、夢にも思っていませんでした。
これもすべて人のご縁です。感謝してもしきれないでいます。
そして今、あなたは私のお店のスタッフになってくれました。
人が一生に出逢う人数は、とても限られています。
こうしてあなたに出逢えたことも、
奇跡といっても過言ではありません。
本当にありがとう!
私のお店作りのテーマは「人と人を繋ぐそば屋」です。
お客様はもちろん、スタッフ同士が心から通じ合える、
「チーム」を作りたいと考えています。
私はあなたと一緒に、その素晴らしい「チーム」を作って行きたいのです。
長文を読んでくれてありがとう。
最後に私があなたに伝えたいのは、
人と人の繋がりの大切さです。
人はどこでどう繋がるか分かりません。
大事なのは、一期一会の心だと信じています。
その一瞬の出逢いを大切にすれば、
可能性は無限に広がると思います。
人生は一度きりです。
私はダイナミックに生きたいと考えています。
人生を楽しむことも、平凡で生きることもあなた次第です。
あなたは「自分にできるかな・・・」と、
不安に思っているかもしれません。
でも、怖がる必要はありません。
一人ではなく「チーム」として、
そして仲間として一緒に頑張りましょう!
一期一会の心さえ身に付けてしまえば、
どんな土地でも、どんな社会であっても生きていけると思います。
そしてなにより、人生がもっと楽しくなります。
あなたの将来が、素敵な人生になることを心から願っています。
そば打ち人
塙 和貴

2013年04月10日
妻も認めた男女関係です。(健全です)
◆義理がありますから!

私は、どうしても応援したい女性がいます。
その女性は、竹細工職人の「田中瑞波」さんと言います。
私と瑞波さんの関係は、私が開業のために、
「そばザル」を作って頂いたことから始まりました。

【そばザル誕生秘話は⇒「ここをクリック」】
その瑞波さんから、3月に連絡がありました。
「私に協力して頂けませんか?」
詳しくお話をお聞きすると、5月に駒ヶ根市のギャラリーにて、
単独で個展を開催されるようなのです。
そこで、私に蕎麦を提供してもらえないかといった相談でした。
私は、すぐに承諾しました。
なぜなら瑞波さんには、義理があるからです。
早速打合せに行って、場所のイメージを作りました。
中庭もあり、とても雰囲気の良い空間です。

このギャラリーのオーナーである清水さんも、
とても素敵な方でした。
「私は瑞波さんの竹細工に惚れました。この素晴らしい伝統工芸に少しでも触れて頂きたいです。」
と、今回の作品展に想いを寄せて下さっています。
また瑞波さんからは、
「初めての長期個展です。竹の魅力を色んな面からお伝えしたいです。」
と、意気込みを語って下さいました。
◆妻の理解
今回の作品展の開催期間は、5月3日~5月19日です。
そのうちの5日だけ、蕎麦を提供する予定です。
しかし世間はゴールデンウィーク真っ只中です。
もちろん私も休みに入ります。
妻に事情を説明したところ、快く認めてもらえました。
さらには、妻もこの日に手伝ってくれることになったのです。
「頑張っている人を応援しなくちゃ!!!」
よし!塙家一同、瑞波さんを全力で応援させて頂きます!
◆「田中 瑞波 竹細工展」
期 間:5月3日(金)~5月19日(日)
時 間:11:00~17:00
場 所:ギャラリー「ワーズワース」~バラの庭から
住 所:駒ヶ根市赤穂4556-5(赤穂小の北側です)
地 図:「ここをクリックして下さい」
◆ 5月5日(日)
そば処「木鶏」@ワーズワース
11:00~
瑞波さんの竹細工を器に使わせて頂きます。
・十割蕎麦(長野県産)
・季節の天ぷら
・デザート&コーヒー or 紅茶
1800円(税込)
30名限定!予約は不要です!
先着順とし、なくなり次第、終了とさせて頂きます。
売上の一部は、会場の維持管理費として活用させて頂きます。
◆ 5月10日(金)
ワークショップ「瑞波さんと竹皿作り」
13:00~
5~8名限定です!(材料費・お茶付き)
こちらは要予約です!
今すぐスケジュール帳を確認の上、
ぜひご予定くださいね!
この個展に関するすべてのお問合せは↓↓↓
「0265-83-7910」
ギャラリー「ワーズワース」オーナー清水さんまでお願い致します。
どんな一日になるか、今から楽しみです!
頑張っぺ!瑞波さん!
追伸:
今回は、あくまでも裏方に徹します。
主役は、瑞波さんの竹細工展です。
この個展が、瑞波さんの更なる飛躍になりますように・・・。
私は、どうしても応援したい女性がいます。
その女性は、竹細工職人の「田中瑞波」さんと言います。
私と瑞波さんの関係は、私が開業のために、
「そばザル」を作って頂いたことから始まりました。

【そばザル誕生秘話は⇒「ここをクリック」】
その瑞波さんから、3月に連絡がありました。
「私に協力して頂けませんか?」
詳しくお話をお聞きすると、5月に駒ヶ根市のギャラリーにて、
単独で個展を開催されるようなのです。
そこで、私に蕎麦を提供してもらえないかといった相談でした。
私は、すぐに承諾しました。
なぜなら瑞波さんには、義理があるからです。
早速打合せに行って、場所のイメージを作りました。
中庭もあり、とても雰囲気の良い空間です。
このギャラリーのオーナーである清水さんも、
とても素敵な方でした。
「私は瑞波さんの竹細工に惚れました。この素晴らしい伝統工芸に少しでも触れて頂きたいです。」
と、今回の作品展に想いを寄せて下さっています。
また瑞波さんからは、
「初めての長期個展です。竹の魅力を色んな面からお伝えしたいです。」
と、意気込みを語って下さいました。
◆妻の理解
今回の作品展の開催期間は、5月3日~5月19日です。
そのうちの5日だけ、蕎麦を提供する予定です。
しかし世間はゴールデンウィーク真っ只中です。
もちろん私も休みに入ります。
妻に事情を説明したところ、快く認めてもらえました。
さらには、妻もこの日に手伝ってくれることになったのです。
「頑張っている人を応援しなくちゃ!!!」
よし!塙家一同、瑞波さんを全力で応援させて頂きます!
◆「田中 瑞波 竹細工展」
期 間:5月3日(金)~5月19日(日)
時 間:11:00~17:00
場 所:ギャラリー「ワーズワース」~バラの庭から
住 所:駒ヶ根市赤穂4556-5(赤穂小の北側です)
地 図:「ここをクリックして下さい」
◆ 5月5日(日)
そば処「木鶏」@ワーズワース
11:00~
瑞波さんの竹細工を器に使わせて頂きます。
・十割蕎麦(長野県産)
・季節の天ぷら
・デザート&コーヒー or 紅茶
1800円(税込)
30名限定!予約は不要です!
先着順とし、なくなり次第、終了とさせて頂きます。
売上の一部は、会場の維持管理費として活用させて頂きます。
◆ 5月10日(金)
ワークショップ「瑞波さんと竹皿作り」
13:00~
5~8名限定です!(材料費・お茶付き)
こちらは要予約です!
今すぐスケジュール帳を確認の上、
ぜひご予定くださいね!
この個展に関するすべてのお問合せは↓↓↓
「0265-83-7910」
ギャラリー「ワーズワース」オーナー清水さんまでお願い致します。
どんな一日になるか、今から楽しみです!
頑張っぺ!瑞波さん!
追伸:
今回は、あくまでも裏方に徹します。
主役は、瑞波さんの竹細工展です。
この個展が、瑞波さんの更なる飛躍になりますように・・・。
2013年04月08日
密会なので、情報は拡げないで下さい(笑)
◆なにかが始まるよー!!!
ん?ここはどこだ?

おしゃれな空間だなー!

高そうな雛人形だな・・・。

え?何?
何?
何なのよーーーー???

密会の詳細は近日公開!
追伸:
密会なので、情報は拡げないで下さい(笑)
(じゃーブログにするなよーーー!)
すみません。
ん?ここはどこだ?
おしゃれな空間だなー!
高そうな雛人形だな・・・。
え?何?
何?
何なのよーーーー???
密会の詳細は近日公開!
追伸:
密会なので、情報は拡げないで下さい(笑)
(じゃーブログにするなよーーー!)
すみません。
タグ :ワーズワース
2013年04月04日
三日坊主始めます!
◆信州の朝を楽しみながら・・・
ここ数ヶ月、様々なことが重なり、
なかなか自分の時間を作ることが出来ませんでした。
もちろんすべて自分で選んだ道なので、
一切の後悔はしていません。
子供の出産、子育て、イベント、仕事、開業準備などなど。
すべては自分のためにあり、
意味があって起きていることだと思います。
ここ最近の生活スタイルは、朝6時半起床、
7時半出社、8時~19時まで会社勤め。
19時~21時まで夕飯や子供達との時間。
それからイベントの打合せや、
読書などを0時近くまで行ってきました。
さすがに知らず知らず身体は疲れ始め、
色んなものに集中できずにいました。
これではいかん!と思い、この度朝方生活を始めます。
21時就寝、3時起床。
朝の寒さも和らいできました。
信州の朝を楽しみながら、妻と頑張ってみようと思います。

追伸:
よく、継続できない人を「三日坊主」と言います。
三日しか続かなくて四日目で、
「三日しか続かなかった。やっぱりだめだった。」
と思うより、三日しか続かなくて四日目で、
「三日も続いた、一日空いちゃったけど、またやってみよう!」
と思うゆとりでチャレンジしてみます。
大切なのは、楽しく継続することです。

たまに継続してるかどうか、尻を叩いて下さいね(笑)
ここ数ヶ月、様々なことが重なり、
なかなか自分の時間を作ることが出来ませんでした。
もちろんすべて自分で選んだ道なので、
一切の後悔はしていません。
子供の出産、子育て、イベント、仕事、開業準備などなど。
すべては自分のためにあり、
意味があって起きていることだと思います。
ここ最近の生活スタイルは、朝6時半起床、
7時半出社、8時~19時まで会社勤め。
19時~21時まで夕飯や子供達との時間。
それからイベントの打合せや、
読書などを0時近くまで行ってきました。
さすがに知らず知らず身体は疲れ始め、
色んなものに集中できずにいました。
これではいかん!と思い、この度朝方生活を始めます。
21時就寝、3時起床。
朝の寒さも和らいできました。
信州の朝を楽しみながら、妻と頑張ってみようと思います。
追伸:
よく、継続できない人を「三日坊主」と言います。
三日しか続かなくて四日目で、
「三日しか続かなかった。やっぱりだめだった。」
と思うより、三日しか続かなくて四日目で、
「三日も続いた、一日空いちゃったけど、またやってみよう!」
と思うゆとりでチャレンジしてみます。
大切なのは、楽しく継続することです。

たまに継続してるかどうか、尻を叩いて下さいね(笑)
タグ :早寝早起き
2013年04月01日
福島と愛知をつなぐ男たち!
◆アースデイいわき in なごや2013
~愛知meets福島~

そば屋開業へのキーワード「つなぐ」を求めて・・・。
3月23日~24日の二日間、名古屋でイベントがありました。
このイベントを主催している代表の方は、
「吉田拓也」さんといいます。
吉田さんは、いわき市のご出身で、東日本大震災をきっかけに、
愛知県へ自主避難をされていらっしゃいます。
震災前は、いわき市でインディアンテント「ティピー」の、
制作、販売、レンタルを手掛ける事業をされていました。
さらには、社会貢献活動の一環として、地元の街づくりと人づくりの一環として取り組んでいた、
「村づくり」を実現するために「NPO法人インディアン・ヴィレッジ・キャンプ」を立ち上げられました。
それがこの大震災を機に生活が一変。
故郷を離れることを決められ、後ろめたさを感じ、
自問自答しながらも日々を送っていらしたようです。
そんな吉田さんが、なぜ名古屋でイベントを開催しようとしたのか?
私は、この想いに心を揺さぶられ、ぜひお逢いしたいと思ったのです。
以下、吉田さんのお言葉をお借りします。↓↓↓
私は夫婦で決断し、幼い我が子と一緒に3人で自主避難する道を選択しました。
決して金銭的にも時間にも余裕があったから自主避難できたわけでもありません。
突然、転勤の辞令をもらったのとは訳も違って、軌道に乗っていた事業や活動を中断し、
たくさんの"想い"を故郷に残したまま愛知県に移住してきました。
こちらに親戚や友人など頼る人がいたからではなく、
なんとなく辿り着いた未知の地が愛知県でした。
故郷を離れたことで仲間や友人、親戚や親を裏切る気持ちと募る故郷への想い。
「自分だけ逃げられていいね」
「故郷を捨てた!」
「落ち着いたらのこのこ帰ってくるつもり?」
誰から直接聞いたわけでも、言われたわけでもないのに、様々な想いに葛藤するあまり、
そんな聞こえない声が聞こえ始め、"自主批難"をする日が続きました・・・。
そんなある日、愛知で開催された被災者交流会で、
同じ境遇で自主避難してきたあるご家族に出会いました。
厳しい現状を涙ながらに訴えつづけ、子供の前で泣いているお父さんの姿を見た瞬間に、
「親父の頑張る姿を子供に見せなくてはいけない!」と私の心のスイッチが入りました。
福島で自分がやっていた「インディアン村づくり」をここ愛知で続けることが結局、
被災地に気持ちを向けてもらえる活動になることにようやく気付きました。
「2009年 アースデイいわきの起源インディアン村づくり開始」
何もない山の中で人を元気にするようなイベントができないか?
あえて何もない不便な場所・・会場づくりからはじめるイベントができないか?
そして、荒れ果て放置林となっていた山を手に入れました。
この荒れた大地をみんなで開墾して、みんなが自然と戯れて自然から、
何かを学べるようなそんな場所を作ろう!
そうだ!名付けて「インディアン村づくり」福島県いわき市の山の中。
「みんなで鍬を持って地球と挌闘するイベントがあってもいいじゃないか!
一緒にインディアン村をつくろう!」
そんな呼びかけから、私たちの活動は始まりました。
何もない荒れ果てた山の中に、まずは道をつくることから始めました。
重機などは使用せず、人間の力だけでどこまで自然に挑戦できるか!
この活動が「アースデイいわき」のはじまりでした。
お金もありませんでしたので、たった一人で鍬とツルハシを持って始めた山の開墾作業でしたが、一人、一人と徐々に賛同し、手伝ってくれる人が増えていきました。
そして、「アースデイいわきinインディアン村2010」開催。
たった一人で始めた活動でしたが、そこにはたくさんの仲間ができていました。
子供たちと一緒に荒れた大地に植林活動もしました。
自然エネルギーでも電気が作れることを伝えるため、
太陽光発電と風力発電装置がついた発電所付きの村役場も完成しました。
翌年のアースデイいわき開催に向けて、今度は「井戸掘り」をはじめました。
いっぱい大きな石が出てきて大変でしたが、重機は使わず人間力で井戸掘りを続けました。
「アースデイいわきinインディアン村2011」
告知するポスターも完成し、開催まで着々と準備は整っていきました。
そして、開催を10日後に控えた、その準備中に大震災が発生しました。
インディアン村にも、原発事故による放射性物質が降り注ぎました。
イベントは中止。
外で活動することすらままならない状況。
当時、ひまわりの種が大地をキレイにしてくれると聞きました。
もう一度笑顔をもどしたい一心で、一心不乱にひまわりの種を植えました。
でも、後にそれはあまり効果がないことを知り、自主避難しました。
原発事故により、様々な葛藤や行動、想いを巡らし、
被災した人それぞれがそれぞれの地でその時を刻んでいきます。
自主避難生活が半年を過ぎた2011年11月頃、いわき市の仲間から連絡がありました。
来月12月開催の、いわき市民との集会の壇上で「インディアン村づくりをしていた頃の講演してくれないか?」と依頼をいただきました。
久しぶりに仲間と再会できるチャンスでしたが、凱旋気分とは違い、故郷を離れたことで活動が中断してしまっていることや故郷を離れた負い目を感じながら、キリキリと胃が痛くなるような帰省となりました。
「おかえり!」
今までと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる仲間たち。
「おかえり」という言葉がこんなにもあったかい言葉なんだと、
生まれて初めて認識し実感できた瞬間でした。
偉そうに過去の活動を発表させていただきましたが、
恥ずかしながら新天地での一歩がうまく踏み出せていない正直な気持ちを伝えました。
すると、いわきを去る時に「行かないでくれ!」と、
必死で引き留めてくれた仲間からこんなことを言われました。
「あの時、いわきを去る!と聞いた時は、行かないでくれ!と本気で思った。でも今は違う!同じ立場ならきっと同じ行動をしていたと思う。だから、胸を張って今まで通り愛知でも活動をつづけてくれ!!おまえの意思を継いで俺たちが帰ってくる場所は残しておくからもう心配するな!そして、いつか故郷に戻ってくる時には、今度は愛知の人たちから「帰らないでくれ!」と逆に言われるくらい恩返しをして帰ってこい!!」
と背中を押されました。
そこで、一度は心が折れそうになり、中止になっていた活動「アースデイいわき」、
そして「インディアン村づくり」を、今度は「愛知」で開催することに決めました。
しかし、お金はないし、仲間もいない。
村づくりの拠点となる場所もまだみつかっていないけど、できない言い訳を続けて何もしないより、少しずつでも今何ができるか?を考えて行動することにしました。
これが「アースデイいわきinなごや~愛知meets福島~」を開催するきっかけです。
アースデイいわき開催を福島の仲間に伝えると、
当日は福島から愛知に応援に行くから!と言ってくれました。
開催に向けて準備を進めていくうちに、
愛知には東北に向けて支援をしている人がたくさんいることを知りました。
文字通り愛知県でたくさんの愛を知ることができました。
そして、今ようやく私がやるべき役割に気付きました。
愛知でも、再び挑戦を続けてインディアン村をつくってみよう。
福島県でやっていたインディアン村づくりという活動が面白かった。
再び無謀と言われた村づくりに挑戦することで愛知の方とも交流できるし、
自主避難した人も、気軽に遊びに来ることができる集いの場所にもなるかもしれない。
愛知インディアン村に興味を持った人が、私にも興味を持ってくれて、その私が実は福島から自主避難してきた境遇を知れば、愛知県に今現在も自主避難をしてきている人たちの実情に目が向くかも知れない。
そして、福島県にインディアン村の本拠地があると知ってくれれば、
福島県にも心を寄せてくれて、福島を応援する人が増えるかもしれないし、
もしかしたら、出向いてくれる人が一人でも増えるかもしれない。
そうしたら被災地を忘れないでください!なんてわざわざ言わなくても気持ちが向いてくれる!
この活動を続けることが愛知と福島をつなぐ私の役目だと思っています。
「震災から約2年」
故郷福島では今何が起きているのか?
福島ではどんな活動をつづけているのか?
故郷を離れた人たちはどんな想いで生活をしているのか?
福島では、いまだに「残るべきか?」「避難すべきか?」
模範解答もない難問に苦悩している人も多いそうです。
地震、津波、原発事故、風評被害など今も現在進行形の最中で、
踏ん張っている仲間の前向きな姿を知ってもらいたい。
そして、何より私と同じように故郷を離れ負い目や無力感を、
感じてしまっている人に少しでも勇気を与えたい。
福島でキーマンとなって活動している仲間に、
愛知で東北に向けて活動をつづけている方を知ってもらい、繋がってもらいたい。
彼らに愛知で感じたことを被災地に伝えてもらうことで、
愛知と福島がまた一歩近くなると思っています。
そして、県外に避難することを決意した方も、このイベントを通じてイベント当日に、福島からはるばるやってくる仲間と繋がることで、彼らを頼りにして福島に帰りやすくなると思います。
「おまえが帰ってくるまで故郷は俺らが守っておくから!そして、おまえの帰る場所は残しておくから心配するな!」
私の背中を押して送りだしてくれたように、
今度はきっと彼らが、故郷であたたかく迎えてくれる仲間になるはずです。
私は愛知でたくさんのご支援をいただきました。
みんな被災地を応援してくれています。
地球のことを考えて行動する日「アースデイ」
このイベントを通じて交流を深めていきます。
故郷への愛が強いため、みな自分で選択した道なのに悩んでいます。
様々な考えや行動があります。
私が言うのも生意気ですが、どの道も正しい道なのだと思います。
今回の震災はあまりにも難問過ぎて、模範解答など最初からなく、
すべての考えや行動が正解なのだと思います。
それでも答えが出せずに悩んでいる人がいるとしたら、
その答えを出すきっかけに、このイベントを利用してください。
これから私が挑戦するインディアン村づくりに協力してください。
私と同じように県外避難を選択した人が少しでも故郷を感じ、
故郷への一歩が近づくきっかけになればと考えております。
◆集う!熱き有志達!
私は、このイベントに参加するもう一つの理由がありました。
吉田さんの友人でもあり、以前いわき市でともに活動をされていた、
「佐々直幸」さんの存在です。
佐々さんもまた、東日本大震災をきっかけに、
長野へ自主避難をされた方の一人です。
佐々さんとの出逢いは、昨年の夏に行われた、
「福島と長野をつなぐ大バーベキュー大会」でした。
【イベントの様子は⇒「ここをクリック」】
この佐々さんも、名古屋のイベントに参加し、
福島復興シリコンバンドの販売を行って下さると言うのです。
会場は、名古屋のテレビ塔の下の「久屋大通公園」です。
午前7時、会場に着くと、とても大きな規模に、気持ちがワクワクしました。

まもなくして、吉田さんといわきから駆けつけた湯淺さん、
酒井さん、島村さんとお逢いすることができました。
思っていた通りの方たちで、朝から熱い出逢いを果すことができたのです。
準備がスタートすると、ボランティアスタッフの方たちが次々と会場に到着します。
皆さんは口々に、東北のために何か自分の出来ることをやりたくて来たとおっしゃっていました。
早速、シリコンバンドにご協力頂きました。
佐々さん!湯淺さん!田中くん!小山さん!ありがとうございます!

さらには、被災地へ出向き、写真で震災を伝えるグループの皆さんにもお逢いできました。
「3.11 忘れないPHOTO PROJECT」
【ブログは⇒「ここをクリック」】

洋子さん!浩明さん!登也さん!トモミさん!ありがとう!

このグループの中に、ひときわ若い男の子がいました。

「辻彩登」くんは、まだ中学生です。震災当時は小学5年生でした。
おじさんが写真をやっていたと言うことをきっかけに、
自分自身も被災地へ足を運び、現場の写真を撮り続けてきました。
そして、各地で写真展を開き、震災を伝えようと活動しているのです。
私はとても感激しました。
被災地を思う気持ちに、年齢は関係なく、またその想いに、
周りの大人たちがサポートしているのです。
彩登くん!ありがとう!力をもらったよ!

また、驚きの再会もありました。
福島市のそば屋でお世話になっていた地ビール、
「みちのく 福島路ビール」の吉田さんです。
なんと、10年ぶりの再会でした!

◆何が人の心を動かすのでしょうか?
このイベントに参加し、私は多くのことを学びました。
代表の吉田さんが一人始めようと動き出し、
終わってみれば2日間で、2万人もの来場者が訪れました。
これはもの凄いことです。
私は出来るだけ吉田さんの動きを見たり、
協力者の方たちとお話をしたりして時間を費やしました。
「何が人の心を動かすのでしょうか?」
それは、やっぱり人の心じゃないでしょうか。
吉田さんの伝えたい想いを、周りの人たちが共感し、
自然と協力者が拡がっていく。
そして、もう一つ大事なのが「感謝」です。
吉田さんは、会場をまわりながら、出来る限りの人たちと挨拶を交わし、
その人たちに、しっかりと心から感謝を伝えていらっしゃいました。
これはテクニックではありません。
人として当たり前な「感謝」の気持ち。
そこに人々は、心を打たれるのかもしれません。
この出逢いに、どんな意味があるかはまだ分かりません。
しかし、間違いなく「素敵な出逢い」だったことは間違いありません。
吉田さん!本当にありがとうございました!

追伸:
名古屋で「福島」を感じられたことに、私はとても励まされました。
みんな何かをしたいと思っていても、実際にどうしていいか分からないだけで、
東北を想う気持ちは、力強いものがあります。
自分には、そば打ちがあります。
そば打ちを通して、まだまだ出来ることはある!
頑張っぺ!カズキ!
【アースデイいわきinなごや イベントの詳細は⇒「ここをクリック」】
~愛知meets福島~

そば屋開業へのキーワード「つなぐ」を求めて・・・。
3月23日~24日の二日間、名古屋でイベントがありました。
このイベントを主催している代表の方は、
「吉田拓也」さんといいます。
吉田さんは、いわき市のご出身で、東日本大震災をきっかけに、
愛知県へ自主避難をされていらっしゃいます。
震災前は、いわき市でインディアンテント「ティピー」の、
制作、販売、レンタルを手掛ける事業をされていました。
さらには、社会貢献活動の一環として、地元の街づくりと人づくりの一環として取り組んでいた、
「村づくり」を実現するために「NPO法人インディアン・ヴィレッジ・キャンプ」を立ち上げられました。
それがこの大震災を機に生活が一変。
故郷を離れることを決められ、後ろめたさを感じ、
自問自答しながらも日々を送っていらしたようです。
そんな吉田さんが、なぜ名古屋でイベントを開催しようとしたのか?
私は、この想いに心を揺さぶられ、ぜひお逢いしたいと思ったのです。
以下、吉田さんのお言葉をお借りします。↓↓↓
私は夫婦で決断し、幼い我が子と一緒に3人で自主避難する道を選択しました。
決して金銭的にも時間にも余裕があったから自主避難できたわけでもありません。
突然、転勤の辞令をもらったのとは訳も違って、軌道に乗っていた事業や活動を中断し、
たくさんの"想い"を故郷に残したまま愛知県に移住してきました。
こちらに親戚や友人など頼る人がいたからではなく、
なんとなく辿り着いた未知の地が愛知県でした。
故郷を離れたことで仲間や友人、親戚や親を裏切る気持ちと募る故郷への想い。
「自分だけ逃げられていいね」
「故郷を捨てた!」
「落ち着いたらのこのこ帰ってくるつもり?」
誰から直接聞いたわけでも、言われたわけでもないのに、様々な想いに葛藤するあまり、
そんな聞こえない声が聞こえ始め、"自主批難"をする日が続きました・・・。
そんなある日、愛知で開催された被災者交流会で、
同じ境遇で自主避難してきたあるご家族に出会いました。
厳しい現状を涙ながらに訴えつづけ、子供の前で泣いているお父さんの姿を見た瞬間に、
「親父の頑張る姿を子供に見せなくてはいけない!」と私の心のスイッチが入りました。
福島で自分がやっていた「インディアン村づくり」をここ愛知で続けることが結局、
被災地に気持ちを向けてもらえる活動になることにようやく気付きました。
「2009年 アースデイいわきの起源インディアン村づくり開始」
何もない山の中で人を元気にするようなイベントができないか?
あえて何もない不便な場所・・会場づくりからはじめるイベントができないか?
そして、荒れ果て放置林となっていた山を手に入れました。
この荒れた大地をみんなで開墾して、みんなが自然と戯れて自然から、
何かを学べるようなそんな場所を作ろう!
そうだ!名付けて「インディアン村づくり」福島県いわき市の山の中。
「みんなで鍬を持って地球と挌闘するイベントがあってもいいじゃないか!
一緒にインディアン村をつくろう!」
そんな呼びかけから、私たちの活動は始まりました。
何もない荒れ果てた山の中に、まずは道をつくることから始めました。
重機などは使用せず、人間の力だけでどこまで自然に挑戦できるか!
この活動が「アースデイいわき」のはじまりでした。
お金もありませんでしたので、たった一人で鍬とツルハシを持って始めた山の開墾作業でしたが、一人、一人と徐々に賛同し、手伝ってくれる人が増えていきました。
そして、「アースデイいわきinインディアン村2010」開催。
たった一人で始めた活動でしたが、そこにはたくさんの仲間ができていました。
子供たちと一緒に荒れた大地に植林活動もしました。
自然エネルギーでも電気が作れることを伝えるため、
太陽光発電と風力発電装置がついた発電所付きの村役場も完成しました。
翌年のアースデイいわき開催に向けて、今度は「井戸掘り」をはじめました。
いっぱい大きな石が出てきて大変でしたが、重機は使わず人間力で井戸掘りを続けました。
「アースデイいわきinインディアン村2011」
告知するポスターも完成し、開催まで着々と準備は整っていきました。
そして、開催を10日後に控えた、その準備中に大震災が発生しました。
インディアン村にも、原発事故による放射性物質が降り注ぎました。
イベントは中止。
外で活動することすらままならない状況。
当時、ひまわりの種が大地をキレイにしてくれると聞きました。
もう一度笑顔をもどしたい一心で、一心不乱にひまわりの種を植えました。
でも、後にそれはあまり効果がないことを知り、自主避難しました。
原発事故により、様々な葛藤や行動、想いを巡らし、
被災した人それぞれがそれぞれの地でその時を刻んでいきます。
自主避難生活が半年を過ぎた2011年11月頃、いわき市の仲間から連絡がありました。
来月12月開催の、いわき市民との集会の壇上で「インディアン村づくりをしていた頃の講演してくれないか?」と依頼をいただきました。
久しぶりに仲間と再会できるチャンスでしたが、凱旋気分とは違い、故郷を離れたことで活動が中断してしまっていることや故郷を離れた負い目を感じながら、キリキリと胃が痛くなるような帰省となりました。
「おかえり!」
今までと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる仲間たち。
「おかえり」という言葉がこんなにもあったかい言葉なんだと、
生まれて初めて認識し実感できた瞬間でした。
偉そうに過去の活動を発表させていただきましたが、
恥ずかしながら新天地での一歩がうまく踏み出せていない正直な気持ちを伝えました。
すると、いわきを去る時に「行かないでくれ!」と、
必死で引き留めてくれた仲間からこんなことを言われました。
「あの時、いわきを去る!と聞いた時は、行かないでくれ!と本気で思った。でも今は違う!同じ立場ならきっと同じ行動をしていたと思う。だから、胸を張って今まで通り愛知でも活動をつづけてくれ!!おまえの意思を継いで俺たちが帰ってくる場所は残しておくからもう心配するな!そして、いつか故郷に戻ってくる時には、今度は愛知の人たちから「帰らないでくれ!」と逆に言われるくらい恩返しをして帰ってこい!!」
と背中を押されました。
そこで、一度は心が折れそうになり、中止になっていた活動「アースデイいわき」、
そして「インディアン村づくり」を、今度は「愛知」で開催することに決めました。
しかし、お金はないし、仲間もいない。
村づくりの拠点となる場所もまだみつかっていないけど、できない言い訳を続けて何もしないより、少しずつでも今何ができるか?を考えて行動することにしました。
これが「アースデイいわきinなごや~愛知meets福島~」を開催するきっかけです。
アースデイいわき開催を福島の仲間に伝えると、
当日は福島から愛知に応援に行くから!と言ってくれました。
開催に向けて準備を進めていくうちに、
愛知には東北に向けて支援をしている人がたくさんいることを知りました。
文字通り愛知県でたくさんの愛を知ることができました。
そして、今ようやく私がやるべき役割に気付きました。
愛知でも、再び挑戦を続けてインディアン村をつくってみよう。
福島県でやっていたインディアン村づくりという活動が面白かった。
再び無謀と言われた村づくりに挑戦することで愛知の方とも交流できるし、
自主避難した人も、気軽に遊びに来ることができる集いの場所にもなるかもしれない。
愛知インディアン村に興味を持った人が、私にも興味を持ってくれて、その私が実は福島から自主避難してきた境遇を知れば、愛知県に今現在も自主避難をしてきている人たちの実情に目が向くかも知れない。
そして、福島県にインディアン村の本拠地があると知ってくれれば、
福島県にも心を寄せてくれて、福島を応援する人が増えるかもしれないし、
もしかしたら、出向いてくれる人が一人でも増えるかもしれない。
そうしたら被災地を忘れないでください!なんてわざわざ言わなくても気持ちが向いてくれる!
この活動を続けることが愛知と福島をつなぐ私の役目だと思っています。
「震災から約2年」
故郷福島では今何が起きているのか?
福島ではどんな活動をつづけているのか?
故郷を離れた人たちはどんな想いで生活をしているのか?
福島では、いまだに「残るべきか?」「避難すべきか?」
模範解答もない難問に苦悩している人も多いそうです。
地震、津波、原発事故、風評被害など今も現在進行形の最中で、
踏ん張っている仲間の前向きな姿を知ってもらいたい。
そして、何より私と同じように故郷を離れ負い目や無力感を、
感じてしまっている人に少しでも勇気を与えたい。
福島でキーマンとなって活動している仲間に、
愛知で東北に向けて活動をつづけている方を知ってもらい、繋がってもらいたい。
彼らに愛知で感じたことを被災地に伝えてもらうことで、
愛知と福島がまた一歩近くなると思っています。
そして、県外に避難することを決意した方も、このイベントを通じてイベント当日に、福島からはるばるやってくる仲間と繋がることで、彼らを頼りにして福島に帰りやすくなると思います。
「おまえが帰ってくるまで故郷は俺らが守っておくから!そして、おまえの帰る場所は残しておくから心配するな!」
私の背中を押して送りだしてくれたように、
今度はきっと彼らが、故郷であたたかく迎えてくれる仲間になるはずです。
私は愛知でたくさんのご支援をいただきました。
みんな被災地を応援してくれています。
地球のことを考えて行動する日「アースデイ」
このイベントを通じて交流を深めていきます。
故郷への愛が強いため、みな自分で選択した道なのに悩んでいます。
様々な考えや行動があります。
私が言うのも生意気ですが、どの道も正しい道なのだと思います。
今回の震災はあまりにも難問過ぎて、模範解答など最初からなく、
すべての考えや行動が正解なのだと思います。
それでも答えが出せずに悩んでいる人がいるとしたら、
その答えを出すきっかけに、このイベントを利用してください。
これから私が挑戦するインディアン村づくりに協力してください。
私と同じように県外避難を選択した人が少しでも故郷を感じ、
故郷への一歩が近づくきっかけになればと考えております。
◆集う!熱き有志達!
私は、このイベントに参加するもう一つの理由がありました。
吉田さんの友人でもあり、以前いわき市でともに活動をされていた、
「佐々直幸」さんの存在です。
佐々さんもまた、東日本大震災をきっかけに、
長野へ自主避難をされた方の一人です。
佐々さんとの出逢いは、昨年の夏に行われた、
「福島と長野をつなぐ大バーベキュー大会」でした。
【イベントの様子は⇒「ここをクリック」】
この佐々さんも、名古屋のイベントに参加し、
福島復興シリコンバンドの販売を行って下さると言うのです。
会場は、名古屋のテレビ塔の下の「久屋大通公園」です。
午前7時、会場に着くと、とても大きな規模に、気持ちがワクワクしました。

まもなくして、吉田さんといわきから駆けつけた湯淺さん、
酒井さん、島村さんとお逢いすることができました。
思っていた通りの方たちで、朝から熱い出逢いを果すことができたのです。
準備がスタートすると、ボランティアスタッフの方たちが次々と会場に到着します。
皆さんは口々に、東北のために何か自分の出来ることをやりたくて来たとおっしゃっていました。
早速、シリコンバンドにご協力頂きました。
佐々さん!湯淺さん!田中くん!小山さん!ありがとうございます!

さらには、被災地へ出向き、写真で震災を伝えるグループの皆さんにもお逢いできました。
「3.11 忘れないPHOTO PROJECT」
【ブログは⇒「ここをクリック」】
洋子さん!浩明さん!登也さん!トモミさん!ありがとう!

このグループの中に、ひときわ若い男の子がいました。

「辻彩登」くんは、まだ中学生です。震災当時は小学5年生でした。
おじさんが写真をやっていたと言うことをきっかけに、
自分自身も被災地へ足を運び、現場の写真を撮り続けてきました。
そして、各地で写真展を開き、震災を伝えようと活動しているのです。
私はとても感激しました。
被災地を思う気持ちに、年齢は関係なく、またその想いに、
周りの大人たちがサポートしているのです。
彩登くん!ありがとう!力をもらったよ!

また、驚きの再会もありました。
福島市のそば屋でお世話になっていた地ビール、
「みちのく 福島路ビール」の吉田さんです。
なんと、10年ぶりの再会でした!

◆何が人の心を動かすのでしょうか?
このイベントに参加し、私は多くのことを学びました。
代表の吉田さんが一人始めようと動き出し、
終わってみれば2日間で、2万人もの来場者が訪れました。
これはもの凄いことです。
私は出来るだけ吉田さんの動きを見たり、
協力者の方たちとお話をしたりして時間を費やしました。
「何が人の心を動かすのでしょうか?」
それは、やっぱり人の心じゃないでしょうか。
吉田さんの伝えたい想いを、周りの人たちが共感し、
自然と協力者が拡がっていく。
そして、もう一つ大事なのが「感謝」です。
吉田さんは、会場をまわりながら、出来る限りの人たちと挨拶を交わし、
その人たちに、しっかりと心から感謝を伝えていらっしゃいました。
これはテクニックではありません。
人として当たり前な「感謝」の気持ち。
そこに人々は、心を打たれるのかもしれません。
この出逢いに、どんな意味があるかはまだ分かりません。
しかし、間違いなく「素敵な出逢い」だったことは間違いありません。
吉田さん!本当にありがとうございました!

追伸:
名古屋で「福島」を感じられたことに、私はとても励まされました。
みんな何かをしたいと思っていても、実際にどうしていいか分からないだけで、
東北を想う気持ちは、力強いものがあります。
自分には、そば打ちがあります。
そば打ちを通して、まだまだ出来ることはある!
頑張っぺ!カズキ!
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