2011年09月30日

受け入れられない事実・・・

8月6日 午前5時頃・・・

突然福島の父から電話が入った。

『親方が今朝、亡くなったそうだ・・・』

あまりにも突然の電話で、私も事態を把握できず、
何度も何度も父に聞きなおした。

しかし、事態は変わることなく、私はその事実を受け止めた。
そしてすぐに身支度をし、一人福島県に帰ったのだ。

福島への道中、まだ信じられない自分がいて、
気持ちを抑えることが出来なかった。

涙が止まらず、今まで教えていただいた事など、
ただただ思い出すのだった。

片道6時間・・・高速道路を飛ばし、
ようやく福島の実家に着き、父と一緒に親方の下へ。

そこには、女将さんを始め、親方のご家族、
修業時代お世話になった親方の親しい仲間達がいた。

私はようやくこの事実を受け止めることが出来た。

『間に合わなかった・・・』

最後に親方とお逢いしたのは、今年の5月下旬のこと。
開業すると決め、親方に相談に帰ったのが最後だった。

当初は、秋ぐらいに挨拶に行こうとしていた。
それを、早いうちに来いと急かしていたのは、
自身の死期が、分かっていたのかもいれない。

もう一つの目的として、閉めていたお店の食器や、
什器などを、親方が譲って下さるという話も、事前に頂いていたので、
荷物を取りに行っていたのだ。
【参照:お店の名前を発表します→http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e775627.html

「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」

私はその日、自分のお店の名前を、一番初めの修業先である『木鶏』と名乗りたくて、親方にお願いした。
私がそば打ちを始めた基盤のお店だったことと、『木鶏』の精神を受け継ぎたかったからだ。

親方は、少し笑みを浮かべ、了解してくれたのだ。

「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」

それが私にしてくれた最後の助言であった。

私は、何とか間に合わせたかった。
親方が生きているうちに、お店をオープンさせ、招待状を出したかった。

「こんなお店が出来ましたよ!」

「あのどうしようもない自分でも、親方のおかげでここまでこれました!」

「親方!久しぶりにいっぱいやりましょうよ!」


まだまだいっぱい伝えたいことがあった。
まだまだお聞きしたいこともあった。

でも間に合わなかった。

『親方すみません!間に合いませんでした・・・。』

悔しくて悲しくて涙が止らなかった。
何度も何度も頭を下げ、あふれる涙を抑えきれず、
親方に謝っていた。

そこへ、女将さんが声を掛けてくれた。

「カズキくん、わざわざ長野から来てくれてありがとうね。
 間に合わなかったなんて気にしなくていいのよ。
 それよりも、カズキはちゃんと家族と話が出来て、
 進めていけてるのか?って心配してたわよ。」

・・・最後まで心配をかけてしまっていた。
情けない弟子だ。

私は少しずつ気持ちを落ち着かせ、
皆さんと一緒に親方を偲んで、と献杯させてもらった。

親方の生き方

思えば、色んな事があった。
夢多き親方は、やると決めたらとことんやる!
どんなことにも常にチャレンジし続けていた。

拓殖大学冒険部の部長も務め、世界中を旅した話も聞いた。
アイディアが豊富で、いつも親方の周りには、人がいた。

私が修業していたときは、
こだわりの大豆生産農家と手を組み、スローフードこそ生命の源だと、
大粒の納豆を作ったり、(その名も、大バカ納豆)

釣りが大好きな親方に連れられ、ワカサギ釣りに行ったり、
有名蕎麦店に、視察に行ったりと、話は尽きない。

21歳から今まで8年間のお付き合いだったが、
長野に行ってからも、会う度に温かく迎えて下さり、
よく一緒に、日本酒を飲みながら、深い話をしてくれたものだ。

この日は、早めに切り上げ、実の父と昔を思い出しながら、
酒を飲み、気がつくと私は寝むっていた。

『納棺・・・』

次の日は納棺であった。
私は、会社もなかなか休みが取れず、この日を最後にし、親方に別れを告げることとした。
本当なら、最後までお見送りをしたかったが、お顔を拝見できたことで十分だった。

「本当に、本当にお世話になりました。絶対素敵なお店を作って見せます。
 自分らしく、自分の道を切り開いていきます。親方のように・・。」

「後はゆっくりと休んで下さい。そして天国から見守っていて下さい!」


私は最後の挨拶をした。
不思議なことに自然と涙は出なかった。

いつまでもくよくよしていられない。
そんなこと親方は望んでいないはずだから。

そして、女将さんにも挨拶をし、私は長野に戻った。

空は雲一つない夏の空、まるで長野に初めて行った時のようだった。


追伸:

人の死をブログに書くことは、本当にためらいました。

しかし、今の私がいるのは他でもない、『木鶏の親方』の存在がとても大きかったのです。
そのことだけは分かって頂きたいと思い、今回ブログにすることにしました。


蕎麦打ちに出逢い、蕎麦打ちの基礎を打ちこまれ、
自分の信念を持てと教えて下さった親方。

今はただご冥福を祈るばかりです。

本当にお世話になりました。

これからも、親方の生き方は、
私の心の中に生き続けると思います。


ありがとうございました・・・。


人の出逢いは、どこでどう繋がりを持つかは分かりませんね。

私は・・・

私の原点である一期一会の心をもっと大事にしていきたい!

そう思いました。

※過去の写真を探していたら、一枚だけ親方との2ショット写真が出てきました。
写真を好まない親方との、貴重な写真です。



受継ぐ・・・受継がれる・・・。
大事なことですね・・・。

そして四十九日も過ぎた・・・
月日が経つのは早いものです。
  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)家族

2011年09月28日

宮城県石巻市へ一緒に行ってもらえませんか?

私のブログでもご紹介した、
NPO いいだこどもゆめクラブ代表の矩(かね)君から、
依頼がありました。

【過去ブログ参照⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e785550.html
         http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e785553.html

最後の東北支援として、10月の9日~11日に石巻に行くようなのですが、
一緒にボランティアに行って下さる方を募集したいとのことです。

以下、矩君からの手紙です。

NPO いいだこどもゆめクラブ

宮城県石巻市へ一緒に行ってもらえませんか?

始めまして!
NPO いいだこどもゆめクラブの代表で 矩 宏彰(かね ひろあき) と申します。

普段は小学生、中学生に勉強を教える家庭教師や学童保育に携わる仕事をしています。

そんな中、東日本大震災が起き、震災後、支援を開始し、二ヶ月後にようやく、直接被災地に入ることができ、それからは日曜日の休みを使い、これまでに8回程、宮城県石巻市渡波小学校という被災地の避難所に入り、主に子供達との遊びや、学習面のサポートの支援を続けてきました。

石巻市の中でも二番目に被害がひどかったと言われる場所で、二ヶ月目に現地入りした際は、ガレキで町が覆われていましたが、ここ最近は遅れていたガレキ処理も進展し、さら土地が広がるように変化してきました。

また、仮設住宅の建設に伴い、当初は700人近い住民が避難して身を寄せ合っていた、渡波小学校の避難所も月を追う事に人数が減り、来月10月11日の七ヶ月目の区切りの日に、避難所が閉鎖になる予定です。

その日に合わせて10月、9日10日11日の三日間、現地入りを計画していますが、いつも、交代運転手をしてくれている方が、今回は仕事の都合がつかず、行くことが出来ません。

つきましては、交代運転手と現地での避難所閉鎖に伴うお手伝いのボランティアさんを、
和貴さんを介して募集させていただければと思います。

現地までは長野から出発して、約8時間の車の旅になります。

それで、保険の関係上、26歳から30代くらいの方で、マニュアル車が運転できる方。
男女は問いません。同行して下さる方がおられましたら、下記までご連絡頂けますか?

出発は8日土曜日の夜7時頃、帰りが12日水曜日の未明頃になるかと思います。


尚、使用するのは私の自家用車で、セダンのミッション車です。
交通費は当然こちらで準備します。しかし予算上、向こうでの食費等に関しては、
申し訳ございませんが、ご負担して頂ければと考えております。

ボランティアと言うことで、基本的に報酬はありません。
しかし、人生に置ける経験値としての報酬はあると思います。

それらを、ご理解頂いた上で、ご協力していただける方、どうか宜しくお願いします。

あなたからの、熱い想いをお待ちしております!

連絡先
NPO いいだこどもゆめクラブ代表
矩 宏彰(かね ひろあき)
09093546537
gakudou-nizi-@ezweb.ne.jp


少しでも、熱い想いになった方は、今すぐ彼に電話をしてあげて下さい!
そして、彼をサポートしてあげて下さい!


とても情に熱く、行動力のある方です。
私からもお願い出来ればと思います。

私も行きたかったのですが、松本城のそば祭があり、
出店をしなければなりません。(すみません)

あなたからの勇気ある想いと行動を、お待ちしております。

追伸:

復興には一人の力じゃなく、こうやって皆の力が集まっているんだなと、
改めて感じました。

半年が過ぎましたが、今も現地ではたくさんの問題があります。
一日も早い復興を願うばかりです。

  


Posted by カズキ at 10:00Comments(0)東北支援

2011年09月27日

第二の故郷 長野へ帰る!

9月18日

すべての予定を終え、いざ長野へと帰る。

ここ近年だが、『帰る』と言うことが、そこに私の居場所があるんだと、改めて感謝する。
私もすっかり長野に馴染んだものだ。
(心は福島魂だが・・・)

高速道路の帰路、私とヒロは、今回の福島への旅を振り返った。

私は、3つの目標があった。

1.開業準備のために蕎麦屋の親方より買った、厨房機器と什器を取りに行く!

2.福島の食材について、自分の目で調べる!

3.長野県で出来た私の親友『ヒロ』を福島に連れて行きたい


まず、1については、父の協力もあり、スムーズにできた。
それはまた、親は子の為なら、何か協力したいと常に思ってくれているという事も分かった。


2については、やはり自分の目で確認しなければならない実感がある。

メディアに流され『風評被害だ』と言われているが、何が風評被害なのか?
現地はどうなっているのか?
本当はどうなのか?

やはり自分の目や肌で感じなければ、責任ある発言は出来ないと思った。

何があってどう対応しているのか?

生で感じなくてはならない。

今回、シャモの生産農家さんと逢えたのは、本当に私にとって大事な時間となった。


3についてはどうだろうか?

ヒロは何度も

『福島に行けて良かった良かった!』

と言ってくれた。

彼にとって一番良かったのは、私の新友である、
『太鼓のこーちゃん』と話が出来たことのようだ。

それはそれで嬉しい。

彼の奥底は、彼にしか分からないが、彼に同行してもらえて、
私も本当に助かったし、嬉しかった。

そんな会話をしながら、気が付けば、長野。

ここまでよく付き合ってくれたものだ。

あなたも必ず出来る!

私も出来るとも思っていなかった。

何も知らない土地で、いい年になってから、
昔から何でも知っているような親友という形が作れるんだ!
ということ。

それには、

『新しく人と出逢うことに、ちょっとした勇気と、
それを許す心のゆとり』


が必要になると思う。

そして最後に

『一期一会』

の心が重要である。

たまたまその歯車に出逢い、
お互い似たもの同士がお互いを応援し合う。

私はヒロに多くのものを与えてもらった。

人という、掛けがえのない 『財産』 だ。

お金では決して買えないもの。

単身福島を飛び出し、恐怖を乗り越え長野にきて得た私の 『財産』 は、
一生大切なものになるだろう。

本当にありがとう!
そして、これからも宜しく頼む!



追伸:福島への旅シリーズはこれで終わりです。
   最後までご覧になって頂き、ありがとうございます!  


Posted by カズキ at 10:00Comments(0)同志

2011年09月25日

福島の街に飲みにいぐべ!

続き・・・。

川俣シャモのリサーチを終えた私とヒロは、
一度実家の飯坂へ戻った。

なんせ3時間しか寝ていなく、体を休めることにした。

兄との再会

実家で休んでいると、
兄家族が顔を出してくれた。

兄は板金を業としており、震災の影響から、
瓦屋根から、とたん屋根に切り替える家が増え、
仕事が忙しいようだ。

だから、私も何度か実家に帰ってきてはいるが、
兄と会うのはこの日が久しぶりである。

何を話すわけではない。
表情を見れば、お互い会話は要らなかった。

「何かに使え!」

兄は、そっと私にお金を包んで渡してくれた。
こんな粋な兄が、私は大好きだ。



毎年この時期は、けんか祭りの話題になるが、
今年は、私も帰ってこれないので、兄に託したい。



「飲みに行ぐべ!!!」

荷物の運び出しの慰労も兼ねて、私とヒロと実父で、街中に飲みに行った。
飯坂電車の揺られながら、約20分の福島の車窓から・・・(笑)。

なじみのある景色に、私は懐かしさを感じた。



驚くことに、駅前に着くと、とても賑わっていた!!!
長野よりも活気があるかもしれない。

早速私達は、父の友人とも合流し、
4人でお店へと向かった。

「串焼き こころ」



私が、福島に帰ったら、必ず立ち寄る店。
というのも、私の親友が経営をしている。

ヒロに紹介したいと言うのもあり、
いつものカウンター席で乾杯した。

するとどうであろうか?

奥座敷に、中学校の同級生達が飲んでいた。

「久しぶり!」

気さくに声をかけ、乾杯をした。
昔は、粋がっていたので、こんな風に会話なんてしたかったけど、
お互い、いろいろ経験して、そんなことはどうでも良かったのかもしれない(笑)。

さらに!

親友が一人駆け付けてくれ、
そのあとすぐに、別口で、中学校の同級生が入店してきた。

極めつけは!!

私が福島に帰って来ていることを知って、
美女が二人顔を出してくれた。

この二人は、私が修業時代に、内緒でやっていた居酒屋の仲間で、
それはそれは可愛がってもらった先輩である。



お客の70%が顔見知りって!!!

私が「持っている」のではなく、
このお店が良いお客さんを「持っている」のだろう。

とても楽しいお酒をご馳走になった。(ありがとう)

ヒロも普段あまり飲めないのだが、
ついついその美味さに、酒が進んでしまったようだ。(何回美味いと言っていただろうか・・・)

皆さんも福島においでの際は、是非お立ち寄り頂きたい。

・串焼きこころ
 福島市置賜町4-1バラビル1F
 ℡024-524-0474

【こころの面白い動画を発見した:今すぐクリック⇒http://www.youtube.com/watch?v=7lAtH7x-9Xk

一同飯坂へ・・・

福島で飲んだ後、再び地元飯坂温泉で飲み直そうということになり、
いつものお店へと向かった。

「楽屋」



飯坂の若者が集まるお店。
ちょっとしたライブも出来るスペースがあり、
週末は、何かしらのイベントがある。

ん・・・?

楽屋にいたお客さんを見ると、どこかで見たグループがいた。

実は、この日の昼間に、飯坂を探索中に、
ある古民家屋敷で、ライブの準備をしていた。

私とヒロも音楽をやるので、ちょっと見ていきたかったが、
時間がなく断念したのだ。

ちょうどそこにいたメンバーが、今目の前にいた。
もちろん早速話をかけ、仲良くなったのは言うまでもない。

嬉しい事に、曲をプレゼントしてくれた。



話によると、全国を飛び回っているとのこと。
これは長野に呼ぶしかない!

ということで、連絡先を交換した。

この続きが生まれるかは、後の楽しみにしていてほしい(笑)

というわけで、私もヒロもほどよく飲めたので、お利口に自宅へと帰った。

追伸:この日もたくさんの笑顔に逢えた。しかし、どことなくカラ元気にも見えた。
   父は冗談で、どこ産だ?どこ産だ?と聞く・・・。
   しかし、福島の人間は負けない!

『福島は福島の人間で盛り上げる!』



サラリーマンの後ろ姿から、私は勢いを感じた。

続く・・・。

≪次回予告≫

第二の故郷 長野へ帰る!


帰りの車中では、お互いの想いを語りあった・・・。  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)福島のこと

2011年09月23日

鶏を愛する男の話!

飯坂の共同浴場(鯖湖湯)で、
亀の子タワシの被害にあった二人が向かった先は、
私が長年修業時代から取引きのある
『川俣しゃも』の生産地である。

伊達郡川俣町


福島市内から車で20分。
そこは、古きよき古民家が立ち並ぶ人口1万5千人の小さな町。

昔は、養蚕業・絹織物業が盛んで「絹の里」として知られていた。
最近では、新たな特産物として「川俣シャモ」が評判を呼んでおり、

PR事業として始めた「世界一長い焼き鳥」の記録争いを、
山口県長門市・和歌山県日高川町と繰り広げている。



私と川俣シャモの出逢いは、福島県で修業していた蕎麦屋『木鶏』で使っていたことが始まりだ。
『木鶏』では、蕎麦屋で良く見かける「カモ」の代わりに「シャモ」を使っていた。
そして、蕎麦ともう一つの名物料理となっていたのが・・・

親子丼である。


シャモの特徴は、肉質がしっかりとしていて、歯ごたえが良く、
脂の甘みが口いっぱいに広がる。

「鶏臭くて鶏肉は苦手だ」という方でも、「シャモ」なら食べられると喜んでいた。

私も、川俣シャモは大好きである。
長野県に行ってから勤めた蕎麦屋で、
シャモ料理(親子丼、すき焼き、水炊きなど)を提供し、
松本市サラリーマンから美味しいと評判となった。

また、ゆかいな仲間たちとも、シャモのすき焼きパーティーを開催し、
3人で1㎏のもも肉と、あまりの美味さに日本酒を2升空けたこともあった(笑)

飼育農家に会いに行く!

今回の目的の一つ

「福島の食材について、自分の目で調べる!」

事前に業者さんに連絡を取り、
川俣シャモを育てている方に会うことができた。

幹線道路から5分ほど離れた所に、そのシャモの養鶏場はあった。

出迎えて下さった武藤さんは、笑顔がとても素敵な方で、
私達をとても歓迎してくれた。

川俣シャモとの対面・・・



広々とした養鶏場は、家畜臭さもなく、とても綺麗にされていた。
そこには約600羽のシャモ達が、元気良く飛び回っていた。

話によると、もうすぐ集荷予定だそうだ。

シャモを前にして、私は、いくつか質問した。

『放射能』の影響について

原発事故があってから、取り仕切っている「川俣町農業振興公社」が主体となり、
即座にシャモの検査を始め、肉はもちろん、養鶏場の土壌なども検査を行っている。

検査機関は、東京都にある「無添加食品販売協同組合検査センター」と
福島県にある「福島県原子力センター福島支所」の二箇所。
検査データはこちら↓↓↓



このようにして、証明書を出して出荷している。

牛肉と違い、飼料は「川俣シャモ」専用でブレンドされており、
材料は外国産を使っている。



また、外での放し飼いは即座に止め、室内での飼育のみに切り替えた。

「川俣シャモ」と「ブロイラー」の違いについて

一般的に流通している食用の鶏肉は「ブロイラー飼育」といって、
効率よく食肉にするために工夫をされた飼育方法を用い、
約45日で、加工される。

それに比べ、「川俣シャモ」は、120日と約3倍弱の時間と愛情を注ぐ。
より自然に近い方法で、養鶏場を放し飼いにし、ストレスを与えない。

一番気を使う瞬間は、専門機関で孵化させてから、ある程度大きく育て、
各生産農家の養鶏場に引き渡しになるのだが、
そこになれるまで、えさを食べなかったり、馴染めなかったりすることもあるそうだ。

馴染んでしまえば、後は我がもの顔で、歩き回るという(笑)
この話をしているときも、後ろでオス同士が戦っていた。  さすが軍鶏!

最後にご自宅でお茶を一杯頂いた。

そこには、お婆さんとお爺さんも一緒だった。
お茶を頂きながら、色々話が聞けた。

3.11 PM2:46

お婆さんは、丁度庭にいたそうだ。
丘の上にあるこの家は、庭の下が、斜面になっている。

お婆さんはその時、必死で近くにあった木にしがみついたそうだ。

「もうダメだと思った・・・。」

それは思い出すだけでも嫌だという、
今までに体験したことのない揺れだったそうだ。

「ただ、シャモ達から放射能が検出されず、出荷が出来ることが何より嬉しい!」

私はこの言葉に胸を熱くした。
本当に、本当に大切に育ててるんだなって思った。

私はシャモは食べない!

色々雑談をしていた所、シャモの美味しさについて話が盛り上がった。

「やっぱり親子丼だ!」
「鍋も美味い!脂が美味いんだよー」
「煮ても焼いても美味い!」


そこで、私が「木鶏」直伝のふわトロ親子丼の作り方を教えた。
玉子の溶き方、かけ方などのポイントを伝え、肉無しで実践した。

「よし!夕飯はシャモの親子丼にしよう!」
「お前さん、肉を買ってきてよ!」


お婆さんが、嬉しそうに話をした。

私は冗談半分で、

「お肉ならそこにシャモがいるじゃないですか(笑)たまには処理しないんですか?」

と話を切り替えした。

もちろん処理は出来るそうだ。
しかし、武藤さん宅では、他所で育てられたシャモは食べても、
自分のところで育てたシャモは、一切食べないという。 

なぜかって・・・?

「可愛くて、可愛くて食べられないんだよ!」

私は、申し訳ないなと思いつつ、この瞬間でも、シャモに愛情を注いでいるんだなと、とても感心した。

今回、こうやって実際に武藤さんとお逢いできて、本当によかった。

現地に来て、生の声を聞くこと

これが、どれだけ大切なことか改めて分かった。

使用するかは、もう少し慎重に考えるとして、
川俣シャモの良さを、私は今まで以上に感じることが出来た。

そして私は抱きしめた!

お前達!幸せものだなー!



なぜかシャモがよく似合う男 ヒロ



そして生産者の武藤さんとツーショット



良い人は顔に出る!
ありがとうございました!

一期一会に感謝・・・。

続く・・・。


≪次回予告≫

福島の街さ飲みにいぐべない!

そこはまさにカズキワールド!

「まさかここでこうなるとは・・・」  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)福島のこと

2011年09月22日

『けんか祭』という名の奇祭

早めに荷物の積み込みを終えた私達は、
癒しを求めて、飯坂温泉街へと向かう。

ちょっとブレイク!

親友のヒロが、私の生まれた街を見たいということで、
飯坂温泉街を案内することにした。

飯坂小学校、大鳥中学校、
そして私が大好きなお祭が行われる飯坂八幡神社。



【飯坂けんか祭】という名の奇祭

けんか祭ダイジェスト版 【動画】↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=MEYxdvPcp84
けんか祭を知りたかったら、是非見てもらいたい!

毎年10月の第2土曜日に行われる
八幡神社例大祭。

私も福島にいた時は、毎年参加していた。
もちろん長野に行ってからも、何回か参加している。

ちょうど、その神社に寄ってみたら、神輿の組み上げを行っていた。



この祭にかける飯坂の男衆の意気込みは、とてつもない。
実際に私も、人が変わってしまう(笑)

「おー!カズキ!祭りで帰ってきたのか!」
(まだ二週間先です(笑))

いつでも、いつ帰っても出迎えてくれる飯坂の人達。
本当に温かい人達ばかりだ。

数年前、結婚してすぐに、長野の家族を連れて見てもらったが、
みんな喜んでくれた。



この日ばかりは、大人も子供も関係なく、街も見物客も一丸となって楽しむ。
しかし今年は、原発事故の影響で、子供は参加は、原則的に出来なくなってしまったようだ。
いつかまた、長野の家族、仲間達を連れて来たい。

今年は、ダイドードリンコさんの応援もあるそうで、
大々的に撮影を行うようだ。

http://www.dydo-matsuri.com/list/iizaka/
(ダイドーさんに感謝)


日本最古の木造建築共同浴場~鯖湖湯(さばこゆ)



次に向かったのは、あの【奥の細道】で有名な松尾芭蕉さんも入ったと言われる『鯖湖湯』である。

ヒロと私は、面白い常連さんに遭遇した。
飯坂弁バリバリのおじさんは、とても気さくで、
若い私達に話をかけてきた。

長野から来たことなど、話をしているうちに、
「背中を流してやるから、こっちへ来い」
と言うことで、早速お願いしたのだが・・・。


(本人許可)

なにで洗ってくれたかと言うと、

なんと 亀の子タワシ である(笑)

痛いのかと思いきや、これがまた気持ちよく、
ヒロも私もやみつきになりそうだった。

この日は、夏のような陽気。
疲れも心も癒し、次なる目的へ向かうとする。

続く・・・。




≪次回予告≫

鶏を愛する男の話!

そして私は、抱きしめた!

乞うご期待!  


Posted by カズキ at 12:00Comments(6)福島のこと

2011年09月21日

女将さんからの贈りもの

9月17日 朝6時半起床・・・

昨夜は結局、自宅についてから、缶ビールを飲みながら、
私の古いアルバムをみて盛り上がってしまった。

寝たのは結局3時頃・・・。

重いまぶたを無理やりこじ開け、
今日は蕎麦屋から、厨房機器、什器備品を運び出す。

作業開始!!!

時間は約8時から、
人数は、私と、ヒロ、私の父、父の友人の四人である。

まずは冷凍庫!
私の父が台車を作ってくれていたおかげで、
簡単に積み込めた。

しばらく使っていなかったので、
中を掃除する。



そして、製氷機、テーブル、座布団の順に積み込めた。
思ったより時間がかからず、9時半には、作業を終えることが出来た。



<女将さんからの贈りもの>

片づけが終わり、女将さんに挨拶をした。
これでしばらく、ここへ来ることはないかもしれない。

私は、改めて感謝を伝え、別れを惜しんだ。
そして最後に女将さんが、私に話をしてくれた。

『何事も自分で決めるのよ!自分で決意をした道を進みなさい。
 分かっているとは思うけど、それくらいの覚悟がなければ、商売はうまくいかない。』

『そして、師は一人にしなさい。もし、師がいなければ、自分自身が師になることだよ。』


この言葉は、今の自分の心の奥深くに響いた。
女将さんの言いたいことが伝わった。

蕎麦屋を開業するという決意。
私は少し弱くなり始めていた心の火を、改めて灯すことが出来たのだ。

私の第2の母。

いつも気丈で、私に対し厳しい言葉をかけて下さる。
でも本当は、その言葉の裏には、とてつもない温かさがある。

いつまでも元気でいてほしい。
そして必ず招待状を届けたい。



女将さん、ありがとうございます!!

続く・・・。

≪次回予告≫

『けんか祭』という名の奇祭


あなたはこの秋、とてつもないものを目撃するかもしれない。  


Posted by カズキ at 12:00Comments(0)開業準備

2011年09月20日

福島への旅~出発編~

2011年9月16日~18日・・・故郷福島への旅

3つの目的を果たす

1.開業準備のために蕎麦屋の親方より買った、厨房機器と什器を取りに行く!
2.福島の食材について、自分の目で調べる!
3.長野県で出来た私の親友『ヒロ』を福島に連れて行きたい!


である。

前回は松本市のY田さんにお願いして帰った。
【過去ブログ参照:http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e775590.html

今回はどうしようかと考え、長野の親友である『ヒロ』を誘った。

しかし、始めは断られた。
というのも、彼は自分で車屋を開業したばかり。

「行きたいのは山々なんだけど、あと一台今月中に売っておきたい。売れたら考えるよ。」

それもそうだ。商売の邪魔しちゃいけない。

・・・そして、その一週間後に車が売れた(笑)

「ヒロ!福島行くぞーーー!!!!!」

というわけで、半ば強引に福島へと連れ出した。

9月16日 PM7:30 松本市発!

今回の旅の相棒は、4tトラック!
レンタカーである!



片道約500㎞!
気のきいた音楽と素敵な仲間がいれば、
時間などは気にならない。

この旅で、ヒロとの関係がどう変わるかも、楽しみの一つだった。

ヒロは、

「カズの生まれた土地かー。カズがどうやってこんな人間になったか、解るかもしれないな(笑)」
と、なんとも嬉しい事を言ってくれる。


松本を出て、上信越道に入り、関越道、北関東道と抜けて、最後に東北道北上!
宇都宮手前で、一度ガソリン休憩をとった。

上河内SAはとても込んでいた。
昼間以上に人がごみごみしていた。

それもそうだ。連休初日の夜。
みんなは夜のうちに安く移動しようと考えていたのだろ。
ガソリンスタンドも、やや込んでいた。

「いらっしゃいませー!」

「ゴミや吸殻はございますか?」

サービスエリアのスタンドにしては、なかなか良い。

その後も順調に車を走らせ、無事に

AM1:30 福島市飯坂町到着!

車を駐車場へ止め、ヒロから、鍵を預かった。
鍵を・・・鍵・・・鍵・・・・・・。

「アッ!」

私は一瞬凍りついた。
なぜかって?     実は・・・

レンタカーを借りたとき、自分が乗ってきた車の鍵を、煙草を吸わないから、
トラックの運転席側の灰皿に入れて置いたのだ・・・。

しかし、途中からヒロが運転を変わり、煙草を吸い始めた。
運転しながら・・・。

ここで整理すると、

1.トラックの灰皿に、車のキーを入れる
         ↓
2.宇都宮市のサービスエリアで灰皿清掃を受ける
         ↓
3.吸殻ごと車の鍵を捨てられる
         ↓
4.私が乗っていた車は、ワーゲンバスではなく、代車のビートルである
         ↓
5.ワーゲンバスを修理に出しているのは、親友の「ヒロ」である
         ↓
6.つまり、ヒロの会社の車の鍵が捨てられた


「ごめーん!鍵を捨てられた!」

ヒロに事情を説明し、給油をしたスタンドへすぐへすぐ電話した。
そうしたら・・・やはりゴミの中に鍵があったそうだ。
帰りに寄ってもらえることとなった。

こうして無事(笑)福島に着き、明日に向けて体を休めるのだった。



ビートルセーフ!!!

続く・・・。

≪次回予告≫

女将さんからの贈りもの
  


Posted by カズキ at 10:00Comments(0)開業準備

2011年09月18日

福島への旅

いつもブログをご覧頂いている皆さんへ

今回16日から18日(ただいま長野に帰ってます)まで福島に行ってきました。

内容が多いので、段階的にアップしていきます。

ただ一言。

福島に帰ると、
いつも温かい気持ちにさせられます。

ありがとう!

追伸:私が見て、感じた事をアップしますので、今しばらくお待ち下さい。  

Posted by カズキ at 12:03Comments(0)開業準備

2011年09月14日

あなたは何と読みますか?

物件探しと平行に、看板も進めます!

お店の名前は
『自家製粉十割蕎麦 木鶏』

私は名前が決まったら、ある方にデザインをお願いしようと考えていました。

『蔵巡り』という名の集い

お名前は、高坂さんです。
高坂さんとの出逢いは、今から約2年前にさかのぼります。


月に一度、駒ヶ根市の某お店で開催しているもので、全国の日本酒を取り寄せ、
お酒好きの仲間達が集まり、みんなでお酒を楽しもうという会です。

お料理も予め出るのですが、メンバーの計らいで、お酒に合う肴も集まります。

私はどうやってこの会に参加させてもらったかというと、
以前にもご紹介した、私の義兄である接骨院の院長です。

義兄は松本市から伊那谷に引っ越してきたばかりの私に
「駒ヶ根に面白い集まりがあるんだよ!みんな良い人達ばかりだから、カズ君も来てみたら?」

とお誘いを受け、メンバーに入れてもらいました。

高坂さんは、この会の主催をしています。
ご自身も料理が大好きで、燻製など持ち込んで下さります。(これがまた美味!)

そんな繋がりの中、高坂さんの素晴らしい一面を見ることが出来たのは、私の息子が誕生した時です。

『古文字の彫刻』

息子が誕生した時、高坂さんからあるプレゼントを頂きました。

それがこちら↓↓↓



あなたは何と読みますか?

実は私の息子である 巖士郎(がんじろう) と呼びます。

文字には時代によって、様々な変化をしてきました。

高坂さんは、5年ほど前から、彫刻を始め、
今ではコンクールで入賞するほどの腕前です。

先日、工房にお邪魔をして、早速打ち合わせに行きました。

南アルプスが一望できる工房は、訪れた人を癒してくれます。



中には作品がずらり!!!!



今後は、何パターンかデザイン案を書に落とし、
彫る作業に入ります。

どんな作品が出来るか、今から楽しみです♪

追伸:

私はお店を作り上げて行くにあたり、
色んな方々との繋がりに改めて感謝をしています。

看板作り一つをとっても、そこには 物語 があります。

私は、こういった物語一つを大切にお店作りを進めて行きたいと思います。


今度は、どんな物語が生まれるのでしょうか(笑)

一期一会に感謝・・・。

  


Posted by カズキ at 12:03Comments(0)開業準備

2011年09月12日

今日という日は、今しかない!

9月10日

この日は、妻のお父さんの誕生日です。

私達家族は、9月生まれが多いこともあり、
まとめてやるということが多いんです。

お父さんの誕生日会も、当初は11日にやる予定でした。

しかし待てよ・・・

それで良いのかな?

私は疑問に思い、それでも何か出来たらなと考えました。

「そうだ!ケーキは明日大きいのを食べるから、小さなロールケーキにしよう!」

私は、用事を済ませ、一人で車を走らせてケーキを買いに行きました。

「ろうそくは何本お付けしましょうか?」

「んー64本!」とは言えず、6本だけもらって来ました。

夕飯も済ませ、お茶の間で横になっていたお父さん。
誕生日会は、明日と思っているので、油断をしている様子・・・。

私と妻とお義母さん、そして私の息子でバースデーソングを歌います!

「ハッピバースデーお父さん♪・・・・」

何事だ!とビックリしていたお父さん。
でもまんざらではないご様子(笑)。

そして、皆から一言ずつお父さんのスゴイと思うことを伝えました。

皆は口々に
「頭の良いところ!」
「壊れたものを何でも直しちゃうところ」

などなど。

私は

「目標を持ち、何でもやるんだ!とやりきってしまう所を、とても尊敬しています。」

と伝えました。

とても照れくさそうに笑っていましたが、
喜んでもらえて良かったです。

今日と言う日は、今しかないから・・・

感謝の気持ちを思った時に形にする。


私は、妻の家族を自分の家族のように、
もっともっと大切にしていきたい。

お父さんおめでとうございました!

  
タグ :家族


Posted by カズキ at 12:45Comments(2)家族

2011年09月07日

福島のお酒を考える・・・

福島県産のお酒

物件探しと並行に、準備を出来るところから進めます。

私が目指すお店は、「人と人を繋ぐ蕎麦屋」を一つのコアにして、
つなぎ役となれるようにしていこうと考えています。

私の故郷である福島県は、食材の宝庫です。
酒造りもとても盛んで、自慢の酒蔵がたくさんあります。

以前にブログで紹介した通り、
私も18歳~20歳まで、酒造りを勉強していました。(かなりのバカっぷりでしたが・・・)
【過去のブログ⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e743827.html


そんなご縁があり、
久しぶりに電話をしてみました。

笹の川酒造株式会社

福島県は郡山市にある酒造会社で、
知る人ぞ知る地元密着型の酒蔵です。
【HPはこちらから⇒http://www.sasanokawa.co.jp/

お酒単品で楽しむというよりは、
お料理と一緒に飲むとうまいお酒です。

私は、質問をまとめて、早速社長にお聞きしました。

『お久しぶりです!』

何年振りだったかな(笑)。
電話の向こうの社長もとても驚いていた様子です。

長野県に住んでいること、そば打ちをしていたこと、
そして、蕎麦屋を開業予定と話をしたら、
さらに驚いてみえました(笑)

「あの塙君がねぇ!それは良かった!是非頑張ってください!」

そして早速お話をお聞きしました。

質問内容はと言うと・・・

放射能の影響はどうか?
今年の造りにどんな影響があるか?
どうゆう流通で福島県の酒を仕入れれば良いか?

社長直々にお話を伺いました。

まず、放射能の影響についてです。

笹の川で使う酒米は、山田錦がほとんどで、仕入れ先は兵庫県産だそうです。
一部は福島県産も使用しており、早場米は、放射能の値が今のところ出ていないそうで、
いけるのではないかと想定しているみたいです。

ただし、情報はしっかりと集めて、今後の様子を見ていくとのことでした。

次に流通です。

県南酒販に間に入ってもらい、個人の酒販店を通せば、仕入れは可能だと事です。

私も福島県の好きな酒造会社がいくつかあります。
そこから絞り込み、直接電話をして、詰めていきたいと思います。

あの素晴らしい福島県の日本酒を、
第二の故郷である長野県に繋げたい!


今はただ無事に造りが出来ることを祈るばかりです。

追伸:
福島県産のものを使うにあたり、想いだけではなく、
確かな情報を集めて、自分が納得したものだけを仕入れたいと考えています。

ダメなものはダメとはっきりしていきます。
もちろん良いものは積極的に取り入れたいです。

そのためにはしっかりとした流通を自分で作らねばです。
食を提供するものとしての責任だけは、大事にしたい。

先日、NHKで、福島県の農家さんが取材を受けていました。
その方たちは、行政には頼れないということで、団体を作り、
放射能の測定器を皆で購入し、独自に検査をしているそうです。

畑の土、水、野菜など、出荷するまで、何回も測定していました。
そういった農家さんもいると言うことだけでも、分かっていただきたい。
私は、何とか、そういった農家さんと繋がって、話が出来るように、
近いうち計画中です。何か情報がありましたら、コメント下さい!


※酒造会社に勤めていた頃の貴重な写真がありました。
 写真は、麹室での一コマです!



若かりし頃の自分…(笑)

懐かしい!!!


  


Posted by カズキ at 10:01Comments(2)開業準備

2011年09月03日

一枚の手紙

『二人の父親からのアドバイス』

続き‥

私は二人の父親のアドバイスを受けて、
了解を頂けたと思い、開業に向けて突っ走る。

しかし、ある時から歯車が合わなくなってきた。

開業に反対します

賛成してくれていたはずの、妻の父親からまさかの反対宣言である。

私は、開業するにあたり、期限を決めた。
それに伴い、会社にも辞めると言ったのだ。

期限を決め、自分を追い込み、進めていく覚悟を決めたからだ。

しかし妻の父親は、この事に大反対となり、関係が難しくなってしまった。

「何と無計画なんだ!お前は一人じゃないんだ!考えが甘すぎる!」
「それでもやるなら、縁を切るつもりでやれ!」


私は、
「何でそんなに言われるまで反対されなきゃいけないんだ!」
と心で反発した。

苦しくなり、悔しくなり、この気持ちをどこへ持って行けば分からなくなった。

そんな中、妻とも毎日話し合った。

感情的になった私に、会話も出来るはずもなく、
話し合いをする度に、妻との関係も悪くなっていった。


実の父親も、
「やらせてやってくれ!とお願いしてやるから!」
とまで言ってくれた。


私はどうして行けばよいか分からなくなった。

そんな時、ある人からのアドバイスを頂けた。


『自分一人で考えて決断するのは良いけど、大事なものを忘れてないかい?あなたには家族がいること。
そして一番の応援団は家族だということを、今一度感じなければならないよ。』


その言葉を聞き、私はハッとした。
妻の父親は、開業する事に反対しているのではない。

何の相談なしに、一人で進めていくことに、
憤りを持っていたのだと思った。

何より、感情だけが先走り、当時物件も何も決まっておらず、
想いだけで会話をしていた。


最終決断は、経営者の判断である。
周りの意見ばかり聞いていては、何も進まない。
けれども、この時の私は、聞く耳さえ持っていなかった。

反対するなら仕方がない。
だったら、成功して見返してやると‥。


はたしてそれで良いのか?

以前にもブログで書いたように、私も妻も家族はとても大切である。
【参照ブログ記事:妻の夢は・・・?⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e785293.html

私と妻の父親との関係が良くなければ、妻は悲しくなる。
妻が悲しければ、私も悲しい。

なぜ開業するのか?

それは、

感動を与えられるお店を作ること
元気になってもらえる拠点を作ること
人と人の繋がりの大切さを感じれるお店を作ること


そして、それによって
家族が幸せになること

だから、家族がギクシャクしては、意味がないのだ。

私は自分自身を振り返った。


今ある自分は、決して自分ひとりの力ではない。


松本市の蕎麦屋を離れ、上伊那に住み始め、もうすぐ3年。
妻の父親の紹介で、今の会社に就職させて頂いた。

蕎麦の研究から、畑の栽培など、蕎麦に係わる学び。
また、会社員としての、ビジネスのマナーや、パソコンでの仕事もそうだ。

そして、一番大きかったのが、

人との出逢い

である。


何も知らない土地に来て、
多くの会社関係の皆様をはじめ、全国の蕎麦屋さん、蕎麦の生産農家さん、
月一の飲み仲間、先輩、後輩、消防団の仲間達・・・数え切れないほどの出逢いがあった。

しかし、それらのほとんどのきっかけが『〇〇〇株式会社の塙』君だったからだ。

それもこれも、現在の環境を与えてくれた妻の父親がいたからだ。
私は、感謝が足りなかったと反省し、何かしようと考えたのである。


6月19日・・・

この日は、子供を持っているお父さんなら知っているだろう。
そう!父の日である!(忘れがちだが・・・)

私は、妻の父親に手紙を書こうと思った。
言葉ではなかなか言えないので、感謝の気持ちを手紙に綴った。
内容は、恥ずかしいからご想像にお任せする。

そして、大好きなスイーツを添えて・・・(笑)


父の日の二日後の朝。

妻の父が、満面の笑みで話しかけてくれた。

『手紙ありがとな!俺はカズキ君の仕事は認めているからな!』

突然の出来事だったが、とても嬉しかった。

こんなにも気持ちよく会話を出来たのはいつ以来だろう・・・。
今までは、何となく妻の父親を敬遠していたのかもしれない。

しかし、しっかり向き合って誠意を伝えていけば、
きっと関係は良くなると確信した。

まずは感謝だな・・。

日々の出来事を、なるべく感謝の気持ちを持って進んでいこう!

そして、私の大切な妻の大切な両親と家族を、
自分の家族のように大切にしていきたいと思った。


まずは感謝の想いを形にする。
あなたも家族に感謝の手紙を書いてみてはいかがだろうか?(笑)

照れくさいが・・。

追伸:それから私は積極的にコミュニケーションと、
   実家の農作業を手伝った。
   
   感謝の気持ちを行動に変えるため!






  


Posted by カズキ at 07:23Comments(2)家族

2011年09月02日

二人の父親からのアドバイス

二人の父親

私には二人の父親がいる。
別に母親が離婚をして再婚した新しい父親がいるわけではない。

一人は、私を育ててくれた実の父親。
もう一人は、私の妻の父親である。


私の二人の父親は、両極端である。

実の父親は、私が小学二年生の時に、仕事を辞め、
自分で独立をして、仕事を始めた。

妻の父親は、長年勤め人であり、一つの事をやり遂げ、
今では一つの事業を立ち上げた会社にとっては、
なくてはならない存在である。

私は二人の父親をとても尊敬している。

実の父親は、建設関係の仕事をし、時代の波にもまれながらも、
それを乗り越え、20年以上会社を経営している。

妻の父親は、時代に合わせた商品を開発し、会社を大きくした。

私は開業にあたり、二人の父親に相談をした。

実の父親は、
『そうか!ようやく決意をしたのだな。やれるだけやってみればいい。』

妻の父親は
『そうか!その気持ちは分かったよ。ただ焦らず、計画的に進めなさい。』


私はこの二人の父親のアドバイスを受けて、
了解を頂けたと思い、開業に向けて動き出した。

しかし、ある時から歯車が合わなくなってきた。

それは、私の未熟さから始まった。

続く‥

【次回予告】

私にとって家族とは‥

追伸:

家族のあり方を、あなたはどう感じていますか?

  
タグ :開業家族


Posted by カズキ at 12:02Comments(0)家族

2011年09月01日

冷静と情熱の間

ここら辺で、物件探しについて触れておきます。

開業を決意し、まず私が取った行動は、

コンセプトを設計する

でした。

開業準備用のノートを作り、



開業への想い、顧客ターゲット、希望立地条件、物件の大きさ、
商品コンセプト、など自分のお店の核を書き出し、
それを持って不動産屋に行きました。

ドキドキです!

そして数軒紹介してもらったので、
早速周ってみました。

また、親身になってくれた先輩方からも、物件を紹介して頂きました。

その中から2軒ほど良いなと思える物件があり、条件、中を見てみました。
気持ちは高ぶり、私はすぐに決めそうになりました。

ここが問題です。

この2軒は両極端です。

一つは駅前。
一つは郊外のロードサイド。


私は悩みました。

箱は確かに良かった。
しかし、そこに来るお客様が完全に違うということ。

こんなに早く出会ってしまい、これはチャンスなのか?

私は悩みに悩んで妻に相談しました。
冷静に考えると、どこかドキドキしない感がありました。

結局駅前は、仕事帰りに通い続け、全く人が通らない場所でした。
箱が良くても、これではかなわない。

ロードサイドは家賃が高すぎて、試算をしていくと、
蕎麦屋だけでは、難しいという結論でした。

開業しなきゃと焦りもあり、客観的に冷静に判断が出来ていなかったというのが結論です。

もう一度、私がやりたい蕎麦屋のコンセプトを考え直し、
もう少し物件を見て回るようにしたのです。

情熱は大切です。

しかし、冷静な判断力も必要です。


なかなか進まない現状に苛立ちを感じながら、
出来ることを一つ一つ固めていきなさい!
と教えられた気がします。

大事なのは行動し続けること。

現在は、仕事帰りや休みの日に、街を歩きながら、
肌で土地の空気や、人の流れなどを感じていこうと思います。

追伸:

後は覚悟だ!  


Posted by カズキ at 10:09Comments(2)開業準備