2011年09月30日
受け入れられない事実・・・
8月6日 午前5時頃・・・
突然福島の父から電話が入った。
『親方が今朝、亡くなったそうだ・・・』
あまりにも突然の電話で、私も事態を把握できず、
何度も何度も父に聞きなおした。
しかし、事態は変わることなく、私はその事実を受け止めた。
そしてすぐに身支度をし、一人福島県に帰ったのだ。
福島への道中、まだ信じられない自分がいて、
気持ちを抑えることが出来なかった。
涙が止まらず、今まで教えていただいた事など、
ただただ思い出すのだった。
片道6時間・・・高速道路を飛ばし、
ようやく福島の実家に着き、父と一緒に親方の下へ。
そこには、女将さんを始め、親方のご家族、
修業時代お世話になった親方の親しい仲間達がいた。
私はようやくこの事実を受け止めることが出来た。
『間に合わなかった・・・』
最後に親方とお逢いしたのは、今年の5月下旬のこと。
開業すると決め、親方に相談に帰ったのが最後だった。
当初は、秋ぐらいに挨拶に行こうとしていた。
それを、早いうちに来いと急かしていたのは、
自身の死期が、分かっていたのかもいれない。
もう一つの目的として、閉めていたお店の食器や、
什器などを、親方が譲って下さるという話も、事前に頂いていたので、
荷物を取りに行っていたのだ。
【参照:お店の名前を発表します→http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e775627.html】
「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」
私はその日、自分のお店の名前を、一番初めの修業先である『木鶏』と名乗りたくて、親方にお願いした。
私がそば打ちを始めた基盤のお店だったことと、『木鶏』の精神を受け継ぎたかったからだ。
親方は、少し笑みを浮かべ、了解してくれたのだ。
「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」
それが私にしてくれた最後の助言であった。
私は、何とか間に合わせたかった。
親方が生きているうちに、お店をオープンさせ、招待状を出したかった。
「こんなお店が出来ましたよ!」
「あのどうしようもない自分でも、親方のおかげでここまでこれました!」
「親方!久しぶりにいっぱいやりましょうよ!」
まだまだいっぱい伝えたいことがあった。
まだまだお聞きしたいこともあった。
でも間に合わなかった。
『親方すみません!間に合いませんでした・・・。』
悔しくて悲しくて涙が止らなかった。
何度も何度も頭を下げ、あふれる涙を抑えきれず、
親方に謝っていた。
そこへ、女将さんが声を掛けてくれた。
「カズキくん、わざわざ長野から来てくれてありがとうね。
間に合わなかったなんて気にしなくていいのよ。
それよりも、カズキはちゃんと家族と話が出来て、
進めていけてるのか?って心配してたわよ。」
・・・最後まで心配をかけてしまっていた。
情けない弟子だ。
私は少しずつ気持ちを落ち着かせ、
皆さんと一緒に親方を偲んで、と献杯させてもらった。
親方の生き方
思えば、色んな事があった。
夢多き親方は、やると決めたらとことんやる!
どんなことにも常にチャレンジし続けていた。
拓殖大学冒険部の部長も務め、世界中を旅した話も聞いた。
アイディアが豊富で、いつも親方の周りには、人がいた。
私が修業していたときは、
こだわりの大豆生産農家と手を組み、スローフードこそ生命の源だと、
大粒の納豆を作ったり、(その名も、大バカ納豆)
釣りが大好きな親方に連れられ、ワカサギ釣りに行ったり、
有名蕎麦店に、視察に行ったりと、話は尽きない。
21歳から今まで8年間のお付き合いだったが、
長野に行ってからも、会う度に温かく迎えて下さり、
よく一緒に、日本酒を飲みながら、深い話をしてくれたものだ。
この日は、早めに切り上げ、実の父と昔を思い出しながら、
酒を飲み、気がつくと私は寝むっていた。
『納棺・・・』
次の日は納棺であった。
私は、会社もなかなか休みが取れず、この日を最後にし、親方に別れを告げることとした。
本当なら、最後までお見送りをしたかったが、お顔を拝見できたことで十分だった。
「本当に、本当にお世話になりました。絶対素敵なお店を作って見せます。
自分らしく、自分の道を切り開いていきます。親方のように・・。」
「後はゆっくりと休んで下さい。そして天国から見守っていて下さい!」
私は最後の挨拶をした。
不思議なことに自然と涙は出なかった。
いつまでもくよくよしていられない。
そんなこと親方は望んでいないはずだから。
そして、女将さんにも挨拶をし、私は長野に戻った。
空は雲一つない夏の空、まるで長野に初めて行った時のようだった。
追伸:
人の死をブログに書くことは、本当にためらいました。
しかし、今の私がいるのは他でもない、『木鶏の親方』の存在がとても大きかったのです。
そのことだけは分かって頂きたいと思い、今回ブログにすることにしました。
蕎麦打ちに出逢い、蕎麦打ちの基礎を打ちこまれ、
自分の信念を持てと教えて下さった親方。
今はただご冥福を祈るばかりです。
本当にお世話になりました。
これからも、親方の生き方は、
私の心の中に生き続けると思います。
ありがとうございました・・・。
人の出逢いは、どこでどう繋がりを持つかは分かりませんね。
私は・・・
私の原点である一期一会の心をもっと大事にしていきたい!
そう思いました。
※過去の写真を探していたら、一枚だけ親方との2ショット写真が出てきました。
写真を好まない親方との、貴重な写真です。

受継ぐ・・・受継がれる・・・。
大事なことですね・・・。
そして四十九日も過ぎた・・・
月日が経つのは早いものです。
突然福島の父から電話が入った。
『親方が今朝、亡くなったそうだ・・・』
あまりにも突然の電話で、私も事態を把握できず、
何度も何度も父に聞きなおした。
しかし、事態は変わることなく、私はその事実を受け止めた。
そしてすぐに身支度をし、一人福島県に帰ったのだ。
福島への道中、まだ信じられない自分がいて、
気持ちを抑えることが出来なかった。
涙が止まらず、今まで教えていただいた事など、
ただただ思い出すのだった。
片道6時間・・・高速道路を飛ばし、
ようやく福島の実家に着き、父と一緒に親方の下へ。
そこには、女将さんを始め、親方のご家族、
修業時代お世話になった親方の親しい仲間達がいた。
私はようやくこの事実を受け止めることが出来た。
『間に合わなかった・・・』
最後に親方とお逢いしたのは、今年の5月下旬のこと。
開業すると決め、親方に相談に帰ったのが最後だった。
当初は、秋ぐらいに挨拶に行こうとしていた。
それを、早いうちに来いと急かしていたのは、
自身の死期が、分かっていたのかもいれない。
もう一つの目的として、閉めていたお店の食器や、
什器などを、親方が譲って下さるという話も、事前に頂いていたので、
荷物を取りに行っていたのだ。
【参照:お店の名前を発表します→http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e775627.html】
「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」
私はその日、自分のお店の名前を、一番初めの修業先である『木鶏』と名乗りたくて、親方にお願いした。
私がそば打ちを始めた基盤のお店だったことと、『木鶏』の精神を受け継ぎたかったからだ。
親方は、少し笑みを浮かべ、了解してくれたのだ。
「カズキはカズキらしく、自分の木鶏の道を進みなさい。」
それが私にしてくれた最後の助言であった。
私は、何とか間に合わせたかった。
親方が生きているうちに、お店をオープンさせ、招待状を出したかった。
「こんなお店が出来ましたよ!」
「あのどうしようもない自分でも、親方のおかげでここまでこれました!」
「親方!久しぶりにいっぱいやりましょうよ!」
まだまだいっぱい伝えたいことがあった。
まだまだお聞きしたいこともあった。
でも間に合わなかった。
『親方すみません!間に合いませんでした・・・。』
悔しくて悲しくて涙が止らなかった。
何度も何度も頭を下げ、あふれる涙を抑えきれず、
親方に謝っていた。
そこへ、女将さんが声を掛けてくれた。
「カズキくん、わざわざ長野から来てくれてありがとうね。
間に合わなかったなんて気にしなくていいのよ。
それよりも、カズキはちゃんと家族と話が出来て、
進めていけてるのか?って心配してたわよ。」
・・・最後まで心配をかけてしまっていた。
情けない弟子だ。
私は少しずつ気持ちを落ち着かせ、
皆さんと一緒に親方を偲んで、と献杯させてもらった。
親方の生き方
思えば、色んな事があった。
夢多き親方は、やると決めたらとことんやる!
どんなことにも常にチャレンジし続けていた。
拓殖大学冒険部の部長も務め、世界中を旅した話も聞いた。
アイディアが豊富で、いつも親方の周りには、人がいた。
私が修業していたときは、
こだわりの大豆生産農家と手を組み、スローフードこそ生命の源だと、
大粒の納豆を作ったり、(その名も、大バカ納豆)
釣りが大好きな親方に連れられ、ワカサギ釣りに行ったり、
有名蕎麦店に、視察に行ったりと、話は尽きない。
21歳から今まで8年間のお付き合いだったが、
長野に行ってからも、会う度に温かく迎えて下さり、
よく一緒に、日本酒を飲みながら、深い話をしてくれたものだ。
この日は、早めに切り上げ、実の父と昔を思い出しながら、
酒を飲み、気がつくと私は寝むっていた。
『納棺・・・』
次の日は納棺であった。
私は、会社もなかなか休みが取れず、この日を最後にし、親方に別れを告げることとした。
本当なら、最後までお見送りをしたかったが、お顔を拝見できたことで十分だった。
「本当に、本当にお世話になりました。絶対素敵なお店を作って見せます。
自分らしく、自分の道を切り開いていきます。親方のように・・。」
「後はゆっくりと休んで下さい。そして天国から見守っていて下さい!」
私は最後の挨拶をした。
不思議なことに自然と涙は出なかった。
いつまでもくよくよしていられない。
そんなこと親方は望んでいないはずだから。
そして、女将さんにも挨拶をし、私は長野に戻った。
空は雲一つない夏の空、まるで長野に初めて行った時のようだった。
追伸:
人の死をブログに書くことは、本当にためらいました。
しかし、今の私がいるのは他でもない、『木鶏の親方』の存在がとても大きかったのです。
そのことだけは分かって頂きたいと思い、今回ブログにすることにしました。
蕎麦打ちに出逢い、蕎麦打ちの基礎を打ちこまれ、
自分の信念を持てと教えて下さった親方。
今はただご冥福を祈るばかりです。
本当にお世話になりました。
これからも、親方の生き方は、
私の心の中に生き続けると思います。
ありがとうございました・・・。
人の出逢いは、どこでどう繋がりを持つかは分かりませんね。
私は・・・
私の原点である一期一会の心をもっと大事にしていきたい!
そう思いました。
※過去の写真を探していたら、一枚だけ親方との2ショット写真が出てきました。
写真を好まない親方との、貴重な写真です。
受継ぐ・・・受継がれる・・・。
大事なことですね・・・。
そして四十九日も過ぎた・・・
月日が経つのは早いものです。