2011年07月28日

自分に良く似た情熱の男~パート2

続き・・・・



『自然の恐怖と素晴らしさ』

7月・・・

興奮した様子で、彼から電話があった。

塙さん!長野県で被災地の子供達を呼んで、キャンプをやります!」

今度は逆にこちらで遊んでもらおうという考えだ。

この企画の想いは、

『この大震災で、自然の恐怖を思い知らされたけど、やっぱり自然の素晴らしさは偉大だ。その大自然を感じてもらいたい。』

ということ。

今回は、スポンサーもいて、協力してくれる人達もいる。
夏休みの思い出として、きっと喜んでもらえるはずだ!意気込んでいた!

日程は7月末
場所は中川村のキャンプ場

私も何か協力しようと、一日間の手伝いと、食材の提供を持ち込んだ。
早速食材は、別の仲間から、お米30kg協賛してもらった。

全ては順調!

後は応募人数を待つのみ!


『予期せぬ展開・・・』

応募者は、なんと0人。

誰一人として、参加の意志を伝えてこなかった。

なぜだろうか?

彼は、こんなことを私に伝えた。

今回の失敗の原因は主に2つ

1つ目は、現地の子供達とのコミュニケーションに過信し過ぎたために、
子供が「行きたい」と言えば、親は出してくれると思っていた。
子供達との関係に、自信があったのだが、保護者との接点が甘かったこと。
そのため、親は当然ながら、どこの誰とも分からない人に子供を預けることは出来ない。
ということ。

2つ目は、現地中学生の活動のリサーチ不足。
今まさに、新しい一歩を踏み出そうと、3者面談や、部活の強化練習などが行われていて、
キャンプ期間中と重なってしまったことである。

彼は、残念がっていた。

意気込みも十分だったために、そのショックは大きいだろう。
何度も誤っていたが、私は彼の行動力を称えたい。

確かに今回はうまくいかなかった。
しかし、チャレンジして改めて気がついたこともあると思う。

相手の立場になって考える。
そして、自分にはこんなにも支えてくれる仲間いるということ。

この経験は、行動していかなければ絶対に分からない。
彼は、どこか自分に似ている。

情で動き、情熱だけで考え、行動していく。
それはすごく大切なこと。絶対に必要だ。

でもそれだけではダメなこともある。
その気付きが出来たのは、今回の良い教訓だったと思う。

私は、こういう男が好きだ。

年齢も近いし、今後も付き合っていければと思う!

『失敗から学べるものは大きい。大事なのはチャレンジすること』

ボランティア活動の協力者求む
また話を聞きたい人は、彼に電話をしてやって下さい。

NPOいいだこどもゆめクラブ~代表 矩 宏彰(かねひろあき)
℡090-9354-6537
  


Posted by カズキ at 15:10Comments(2)同志

2011年07月27日

自分に良く似た情熱の男~パート1

今も活動的に被災地に行って、
ボランティアをしている仲間を紹介する。

~NPOいいだこどもゆめクラブ~ 代表 矩 宏彰 



彼とは、5月に中川村である野外イベントで知り合った。

その時、私は4月に行ってきた福島県いわき市の炊き出しの様子を、
写真で紹介していた。

声をかけてきたのは、彼の方から。

「被災地に行って来られたのですか?自分は、飯田市で子供達を支援する仕事をしています。
 是非被災地にボランティアに行きたいのですが、何か情報をいただけないでしょうか?」

情熱をむき出しに、ぎらぎらしている彼を見ていると、
なんとなく自分に似ている気がして、ほっとけなかった。

ここから彼との付き合いが始まる。

彼はすぐに行動を起こした。実際に現地に行き、ボランティアを始めたのだ。
それも一度だけではない。定期的に、一箇所を通っていった。



6月に入り、彼から一本の電話があった。

「被災地で何かイベントをしたい。できれば協力をしてほしい!」
とのこと。

彼の気持ちはよくわかる。

現地に行けば行くほど「情」が芽生え、何かしてあげたくなるのだ。
私もそうである。

ボランティアは
『してあげる』ではなく『させてもらう』
と考えなければいけない。

何か見返りを求めてしまうと、どうしても気持ちにズレが生じる。

本当に現地にとって、「今」必要なことは何か?
を考えなければならない。

それが、必要ならやるべきである。
しかし、お祭り騒ぎをするだけでは、意味がない。
そこは、2人とも分かっていた。

そのバランスが、とても難しい。
結局、現地でのイベントは、他の大きな組織がやることになったそうだ。

私は彼に、その運営方法や、現地での様子をしっかりと見て、
タイミングが着たら、自分達でやろうということにした。

私は、本当に彼を尊敬している。
「絶対に長期的になる!」
彼はそう言い続けて今も頑張っている。

現地の団体とうまくいかなかった時もあったそうだ。
自分の想いがうまく伝わらず、悔しかったこともあったそうだ。
それでも彼は、通い続けていた。

そんなある日、彼から一本の電話があった。

「塙さん!お久しぶりです!実は面白い企画が出来そうです」

続く・・・。

追伸:

人の心を動かすのは、情熱!



彼から学ぶことは大いにある。  


Posted by カズキ at 12:03Comments(2)同志

2011年07月24日

妻の夢は・・・?

『自家製粉十割そば 木鶏』

蕎麦屋の名前も決まり、いよいよ現実的になってきた開業への道。

しかし、実はまだ解決しなければならない大きな問題があった。


『家族とカズキ』

私は現在、結婚をし、妻と可愛い子供が2人いる。 (親バカである)

開業するにあたって、妻は昔から賛成してくれていた。
だからそこに問題があるとは、少しも感じていなかった。

しかし、現実的になると、やはり不安になるであろう。

家族は?
場所は?
収入は?
生活スタイルは?
私は働くの?


基本的なことである。

私は独身じゃない。家族がいる。

私の夢は「蕎麦屋の開業」

じゃあ妻の夢は「・・・蕎麦屋の開業?」

この日、私と妻は、滅多にしない大喧嘩をした。

いつしか私の夢が、妻の夢であると勘違いしていたのかもしれない。

ここで一つ、私が感じたこと。


『まずは聞く』

コミュニケーションは、相手がいて初めて成り立つ。
自分の意見を伝え、相手の意見を聞き、どうしていくか考える。

しかし、今の自分はどうだろうか?
自分の意見を伝えているだけではないだろうか?

妻の意見に耳を傾けないわけではない。
しかし、自分主体の考え方の方が強いのではないか?

そう感じた私は、この日を境に、
まずは妻の意見を聞くことに徹底した。
何が不安か?どんな気持ちか?どうしたいか?希望かあるか?
など、徹底的にうんうんと聞いた。

すると妻はどうだろうか?
話をしていくうちに、表情が良くなっていくのが分かった。
そのうち、前向きな発言に変わっていくのである。

そして、

「じゃあそのためにはどうするか?」

となる。

難しく考える必要は無い。その不安な部分や問題を紙に書き出して、
じゃあどうすればいいか、解決していけば良いのである。

問題というのは、大きいものも小さいものもある。
しかし、決して解決できないものはないのである。

一つ一つ何が「問題」なのかを明確にして、
「じゃあどうするか」
と解決法を見つければ良いのだから。

もう一つ私がやろうと決めたことがある。
それは、家事、育児を手伝うこと。
簡単に言うと、

「妻が気持ち良い環境を作るということ」

そうすれば、自然と考え方がプラス思考になるのだから。

人は、ストレスや不安があると、ネガティブな考え方しか生まれないと思う。
だから私は、まずは妻の居心地の良い環境を作ることに徹底した。

なぜそこまでするの?
尻に敷かれているだけじゃない?
そんなの男じゃない!男は黙って自分の道を突き進め!


など言われるかもしれない。
しかし、私に場合は、家族の絶対的な支えが必要だから。

なぜ開業をするのか?

それは、お客様に

感動を与えられるお店を作ること
元気になってもらえる拠点を作ること
人と人の繋がりの大切さを感じれるお店を作ること


そして、それによって
家族が幸せになること

だから、家族とギクシャクして商売を始めても
なんの意味もないのである。

私が好きなことをやらせてもらえるのだから、
私が一番頑張ればよい!

しかし、不思議なもので、そう考えて行動を続けていくと、
妻が全面的に協力をしてくれるようになった。

すると、開業について話し合いが、
今まで以上にスムーズになる。

結果、開業へのスピードが上がるのである。

コミュニケーションの大切さ

「まずは与える」
「自分の考えを押し付けない」


すると必ず返ってくる。

私と妻は、また新しい絆で結ばれた。

「今に不満があるのなら、今を変えよう。今を変えたければ、
 自分が変わらなければならない。まずは行動あるのみ!」



追伸:

この考えは私の考えである。
強要はしない。
   
しかし、夫婦間、家族間、友達との付き合いで
何か不満があるなら、実践してみてはどうだろうか?

『まずは与える』

大事なのはやってみること。




やっぱり家族は良いものだ!  


Posted by カズキ at 15:50Comments(3)開業準備

2011年07月13日

お店の名前を発表します!

『私は決めていたことがある』

Y田さんとのドンちゃん騒ぎの翌日。
今日は長野に帰る日である。

私は、改めて木鶏に寄らせてもらった。

私には想いがある。
それは、ずっと昔から想っていた事でもある。


私が長野に行くと決めた時、
親方は、木鶏の2号店を考えて下さっていた。


私が長野に行って、結婚をした時、
今のお店をやらないか?と言って下さった。


親方が、お店をたたんだ時、
周りの人から、店を継いだらどうだと・・・。


そうやって言って下さることが、本当に有難かった。
故郷の福島へ帰ろうと思った事もある。
しかし、私は福島に帰らなかった。

「私は決めていたことがある」

ゼロから築いていった長野県でチャレンジしたい!

あんなにどうしようもなかった男でも、やれば出来ることを証明したい!

遠く離れた土地で頑張っている自分の姿を見てもらいたい!


私は地元にいると甘えてしまう。それが怖かったのも一つである。


『木鶏とは・・・』

木鶏(もっけい)とは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
詳細は:以前のブログより
そば屋の修業~【川俣シャモ料理と手打ちそば・木鶏】~
http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e751895.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どんな時でも動じない。
その様を木鶏に例えている。

私は、ずっと昔から、独立をするときに考えていたことがある。
私もその境地へ進みたい。木鶏を目指して、そば屋を続けていきたい。

並大抵のことではない。今の私は、周りの声ばかり気にするところもある。
反省することばかりだった。
今回の開業についても、多々あった。


しかし、それでは何も進まない。何も始まらない。そして・・・周りを気にしすぎては、

『自分じゃなくなってしまう』

と言うこと。

これは、周りの意見を聞かないという意味ではない。
周りに言われて、それを上手に吸収して、

自分のものにしていく。
自分の信念を作り上げていく。
中々難しいのだが・・・。


私は親方にお願いしたのだ・・・。


『木鶏の名前を自分のお店に使わせて下さい!』


その言葉に、親方は笑顔でうなずいた。

親方「名前は自由に使えば良い。カズキが木鶏に成れるかどうかだがな。(笑)
   カズキはカズキの木鶏を探せば良い。残念だが、俺には出来なかったからな・・・。」

そして隣にいた女将さんは、泣きながら喜んで下さった。
  「カズキ君ありがとう。嬉しいわよ。ただ絶対に気持ちだけは負けちゃダメよ!」
  「絶対にやり遂げる『覚悟』を忘れないように!』

私も嬉しかった。泣けてしまう。
こうやって想いが繋がっていけること。

私は親方と女将さんの想いも大切にして
私なりの【木鶏】を目指す。

時間はかかるかもしれないが、始めから出来る人間はいない。
みんな始めはゼロからだから。
大事なのは、始めること。

最後に、親方から、長年使用してきた「木鶏」の暖簾をいただいた。

これで私のお店の名前が決まった。

『自家製粉十割そば 木鶏(もっけい)』

どうぞ宜しくお願いします。


追記:
全て予定していたことを済ませ、
私とY田さんは長野県に帰る。

ちょうど台風が来て、道路は土砂降り・・・
Y田さんには本当に感謝している。

一人では、精神的にも、肉体的にも辛かったと思う。
帰りの車内では、色んな事を話が出来た。
こんなにゆっくり話をしたのは、初めてかもしれない。

いつも、飲んでいるけれど(笑)
いつも冷静に自分を見ていてくれる。

「あー長野県でも、こういう先輩が出来たんだなー!」
私は改めて幸せを感じた。

想いがあれば、人は繋がる。
一期一会に感謝・・・。


バスの後ろはパンパン・・・(^_^;)
  


Posted by カズキ at 12:06Comments(6)開業準備

2011年07月10日

「ぬるま湯」につかり過ぎていたかもしれない・・・

『さかっささっかさっか飯坂へ~♪』

今回の目的はもう一つある。

それは、私が長野県で作った仲間に、
故郷福島県を見てもらいたかった。

そこへ付いてきて下さったのが、
「Y田S士」さん(長野の仲間にはバレバレでしょう・・・。)

Y田さんは、ブログでも紹介させてもらった
ワーゲンイベント「八ヶ岳トレッフェン」の代表で、ワーゲンを通して知り合った先輩である。


いつも可愛がって下さり、今回も、
「一人じゃ大変だろうから、付いてってやるよ!」
と言うことで、同行して頂いた。

器の片付けも終わり、慰労も兼ねて温泉へ行く事となった。

私の生まれ故郷は、福島市の【飯坂温泉】
私達は疲れを癒すため、ひとっ風呂頂きに共同浴場へ向かった。

・・・とその前に、行きつけだったラーメン屋で一杯!!!

本気でうまかった・・(涙)。

『湯温・・45℃の世界』

久しぶりの温泉である。
場所は『鯖湖湯』という共同浴場。
元禄2年(1689年)奥の細道の途中、飯坂に立ち寄った松尾芭蕉が、
湯につかったと伝えられる名湯である。


「熱い・・・。こんなに熱かったか・・・?ここは熱湯コマーシャルか・・・?」

私は長野である意味
『ぬるま湯』につかり過ぎていたかもしれない(笑)。

Y田さんも全身真っ赤になりながら必死だ!!!

温泉から上がり、今度は私の友人が経営している焼き鳥屋で、
一杯飲みに行くこととなった。


『ぶらーり途中下車』
今回は福島県福島市にある私鉄「福島交通」。
福島駅から、飯坂温泉まで約30分で運んでくれる。

通学に使っていた懐かしの電車「いいでん」

(中学時代の後輩が運転手になっていてビックリ!)

今日は、長野からお越しのY田さんを乗せ、福島の繁華街までぶらーり途中下車♪

親友の店『串焼き こころ』

いつもありがとう!

親父も参入!そこへ同級生も参入!

美味しい焼き鳥に、日本酒・・・。
いったい何合飲んだであろうか・・・(笑)


Y田さんも楽しんで頂いたようで、
夜な夜な飲み明かしたのは言うまでも無い・・・。


追記:
大震災から2ヶ月半が経っていた。未だに原発問題は解決していない。
放射能もこの街まで届いているだろう。
   
しかし、福島市の街は元気だった。
長野県より活気があった。

それは、今まで溜まっていた憂さ晴らしかもしれない。
だが、福島市民は諦めていない。
周りから人が来ないなら、内側から元気を作る!


自分も含め、今も被害が続いているということを、決して忘れてはならない。
   

次回予告:

『お店の名前を発表します!!!』

こうご期待!!!
  


Posted by カズキ at 20:28Comments(0)開業準備

2011年07月08日

受け継ぐということ~伝統~

そろそろ開業の為に動いている話もしておこう。




開業の決意をした私は、ある場所へ行かなくては・・・と。

『手打ちそばと川俣しゃも料理~木鶏』

私が福島県でそば打ちの修業していたお店である。
目的は、親方に会って、開業の決意とご挨拶に行くためだ。

事前にアポをとり、5月下旬に福島県へ向かう事となった。
私は無謀にも、愛車の「ワーゲンバス」で福島県を目指した。
さらに、松本の先輩である「Y田氏」も一緒に同行して頂けることとなった。

片道500km・・・ワーゲンの旅

2011年5月27日・・・PM7:00 長野出発

私とY田氏は長野県から福島県を目指す。
運転する私を横目に、Y田さんは、早速助手席でウイスキーを飲み始めた。
「良いんです・・。私頑張ります!飲んじゃって下さい!!!!」

Y田さんも福島県は初めてだそうで、
行きは、そんなノリで向かったのだった。

走ること6時間・・・ようやく福島県の実家に着き初日を終えた。(ひとまず缶ビールで乾杯!)


5月28日 AM9:00

『今は無き「木鶏」の看板』


私が修業していたお店「木鶏」は、親方が体調を崩してしまったため、
現在お店をたたんでいる。私は寂しい想いでいっぱいだった。

店内に入ると、今でも自分が働いていた記憶が甦る。



早速、親方に挨拶をした。

私「お久しぶりです。この度、そば屋を開業する決意をしました。
  親方の下でそば打ちを教えていただいてから、8年が経ちました。
  お陰さまで、長野県で仕事をすることが出来、今では家族ができ、仲間に囲まれ、
  幸せに暮しています。」

親方「そうか。決めたんだな。商売は成功も失敗もある。
   でも失敗もしなければ成功はしない。その失敗も恐れない覚悟が必要だ。
   カズキの表情を見れば、俺は心配していない。大丈夫だ。」
  「ただ、リスクは最小限に抑えなさい。だからこの店で使っていた食器、什器、備品を
   持って行きなさい。俺がカズキにしてやれることはこれくらいだ。」

とてもありがたいお言葉である。
そば屋で使っていたものを一式持って行ってよいと、おっしゃって下さったのである。

いつも親方には頭が上がらない。
なおのこと、頑張らねばならないと思った。


『生きていた・・・』

早速、私とY田さんは、お店に行き、食器などの箱詰めをした。
どれも懐かしい器ばかり。また思い出が甦る。

Y田さんのお陰で、かなりの急ピッチで作業が進んだ。(助かります・・・。)



そこへ親方がやってきて、2つほど確認してみろと言われた。

その1【かえし】

かえしとは、醤油+味醂+砂糖で作るそば汁の基。
言わば、そこのお店の味である。
やり方は色々であるが。木鶏では、1/3くらいになったら、継ぎ足して継ぎ足して使っている。
恐らく、10年以上は注ぎ足しているだろう。

お店を閉めて1年以上・・・。
私はかえしが入っている一斗かめを確認した。
そうしたら、カビてもおらず、しっかりと残っていたのである。



私には私にのレシピがある。
ただし、作りたてはどうしても、醤油の角が立ってしまう。
このかえしを自分のかえしに少し加えて使おうと思った。

親方のかえしと自分のかえしが、新しいお店で重なり合う。

その2【ぬか床】

もう一つは、ぬか漬をするときに使う【ぬか床】だ。
このぬか床には思い出がある。

私が修業をしていた時、どうしてもぬか漬を覚えたくて、
女将さんに教えてもらいながら、このぬか床を作っていたのである。
毎日手を入れ、いろいろ調整をしながら漬物を漬けていた。

あれから8年は経過している。
私が辞めた後も、親方と女将さんが、使っていて下さったのだ。



私はこの【かえし】【ぬか床】を有難く頂いてきた。

「味を受け継ぐ」
「味を守る」


色んな表現があるかもしれないが、
私は、受け継ぐにも
受け渡す人の想いとしっかり受け継ぐ人の想い
その2つの想いが重なったとき、はじめて、

「味を受け継ぐ」
「味を守る」


と繋がっていく気がする。



『今は無き「木鶏」の看板』

・・・しかし、そこにはまだ「木鶏」の味が生きていたのである。



感謝・・・。
  


Posted by カズキ at 21:12Comments(2)開業準備

2011年07月06日

広げよう!ワーゲンの輪!

今から6年前・・・


私は故郷福島県から、そば打ちに磨きをかけるために、
単身で長野県にやってきた。

単身とは言うものの、私には心強い仲間がいる。


私の愛車である「VWビートル」

ご存知の方もいると思うが、なんとも可愛らしい車である。
私も当時乗り始めて2年目だったが、福島県には『仲間』がいた。

なんでも、この車に乗っている人たちは、仲間意識が高く、
悪い人がいない!(私の勝手な想い)

だから、長野県でもすぐに仲間が出来ると思っていた。


『追いかけるのだ!』

松本市に住んでしばらくしたころ、
仕事も徐々になれ、松本の夜を走っていたとき、
ついに見つけてしまった!
紛れもない「空冷ワーゲン」だ。

私はすぐに追いかけ、追いかけ、追いついて話しかけた。
「初めまして!カズキです!友達になって下さい!」
相手もビックリだが、そこはワーゲン乗り!
すぐに連絡先を交換できた。

こうして少しずつ繋がりを作っていったのである。(ありでしょ?)


『八ヶ岳トレッフェンと言う名のイベント』


松本市もだいぶ住み慣れてきた頃、ある面白い男と知り合った。名前は「ヒロ」。
大げさだが、後に自分の人生に大きく影響を及ぼしてくれる仲間になるとは、
この時は思ってもみなかった。

車屋で働いていて、歳も同じ。
何といっても、「空冷ワーゲン」が大好きだそうだ。

ちょうど自分のワーゲンがトラブルを起こし、救出してもらってから、
2人の距離が近くなった。

毎晩飲み明かし、お互いの過去を語り合い、共感しあう。
この時から、色んな仲間を紹介してもらい、
私自身も繋がりが出来はじめ、楽しくなってきた。

ヒロは、松本の「ワーゲン乗り」も知り合いが多いみたいで、
私は携帯に残してあった【ある写真】を見せた。



とても古い一台のボロいバス・・・。

その写真は、福島県のワーゲン乗りが、
「松本に行ったら、有名な人がいるから、会えたら良いね!」
と写真を送ってくれたのだ。

そしたらなんとヒロが、
「知ってるよ!電話してやるか!」
と早速連絡を取り、その日に会えることとなった。
(面白くなってきた。)

そして、焼鳥大吉に向かい、その場で、Y氏と知り合うことが出来たのだ。
話は盛り上がり、ワーゲンイベントの話になった。

Y氏は、『八ヶ岳トレッフェン』というワーゲンイベントの代表を、
大先輩から受け継ぐこととなったそうだ。

そこで面白いイベントを皆で作ろうとなり、
私が出来る手打そばも、イベントの一つにすることとなった。


2007年4月 
『八ヶ岳トレッフェン’07』開催


八ヶ岳にはまだ残雪が残り、里では桜が満開を迎えた頃、イベントは開催された。

全国から色んな「ワーゲン」達が集まり、場を作り上げていく。



私も気合が入る。


すぐに行列・・・焦る


でもみんなの協力により、イベントは盛りあがった!

私は感じた。

みんなで心を一つにして作り上げたものは、特別なものになる。

そこには、多くの『絆』が生まれ、大きな感動を呼ぶ。

私は、ワーゲンに乗っていて本当に良かった。
こんなに良き仲間達、先輩方に囲まれ、生きていく。

こうしてまた一つ『繋がり』が出来ていくのである。




『広げよう!ワーゲンの輪!』


一期一会に感謝・・・。

  


Posted by カズキ at 10:01Comments(2)ワーゲンのこと

2011年07月03日

さぁ長野に行ってみっか!

今から6年前・・
縁があって福島県から、長野県の蕎麦屋に働けることとなった。

このことを、両親、兄弟、仲間、そして蕎麦屋の親方に話をした。

「若いんだから、チャレンジしてみろ!」
みんな誰一人止めることなく、後押ししてくれた。


『激励会と感謝会』

地元福島県で、そば打ちの修業をさせてくれた
『木鶏』
最後の夜・・・

親方が、自分の両親をお店に呼んで、
おもてなしをしなさいと話して頂いた。

「二年間、安月給の中でも、飯を食べさせてくれて、面倒見てくれたんだ。
 カズキの激励会もあるが、まずは両親に感謝会だ!」

親方のおっしゃるとおりである。

2年間、本当に色々あった。
家族の理解なしでは、乗り切れなかったと思う。

そして、修業をさせていただけるのに、
お店から有難くお金を頂けた。

この修業があったからこそ、長野県で蕎麦屋の仕事を出来ることとなった。

この夜は、両親、親方、女将さんと感謝の気持ちを語りながら、
ゆっくりと過ごすことが出来た。

そして、親方から、餞別とそば打ち道具一式を頂いた。
私は、ここで働けて本当によかった。

いつまでもいつまでも・・・感謝。




平成17年11月1日

『青空とVW~不安と期待』



出発の朝。
なんとも言えない秋晴れ!

愛車のビートルに荷物を載せて、いざ長野県へ・・・ゴー!


(写真は別の時期にとったものです・・・。)

希望と不安を載せて、私のチャレンジが始まった!



  


Posted by カズキ at 23:00Comments(0)自己紹介

2011年07月02日

そして繋がる長野県

続き・・・

平成17年6月・・・1泊3日の弾丸長野ツアー

私達は、『信州そば』と言われる長野県に旅行に行った。

『松本の夜』

松本城を見学した私達は、せっかくだから、松本の街で飲もうということになり、
素泊まりの宿をとって、松本の夜を歩いた。

昼間とはまた変わって、夜の街並みもとても綺麗だった。
なんとも言えないこの空気に、私は引き込まれていったのである。


『ある一軒の焼き鳥屋さん』

ふらりふらりと歩いていると、一軒の焼き鳥屋さんが見えた。
なんとなしに気にかかり、友人とここに入ることにした。

そこは小さな焼き鳥屋。落ち着いた雰囲気が心地よく、
私達は今回の旅話を肴に酒を交わした。

「いやー、長野は良いねーーー♪ 実にいい!」
「松本城は最高だ!」

とでも言っていたかな・・・?
とにかくお酒も入って、福島弁が出てきたと思う。

そうこう話をしているうちに、焼き鳥屋の大将が面白がって、話しかけてきた。

「お兄ちゃん達、どこから来たの?」

私は、簡単に自己紹介を済ませ、今回の旅行で、松本が気にいったと話をした。

「松本は本当に良いところですね!住んでみたいです!!!!」

大将は、よっぽど私を気に行ってくれたのか、帰り際に名刺交換をした。
「いいお店だったなー!また来たい!」
そう思って、私達は宿へと帰った。

『信州旅行~最終日』

さて、最終日に向かった先は、

日本一広いワサビ農園・・・大王わさび農場


そして『牛に引かれて善光寺参り』


本当に今回の旅行で、長野県を満喫させて頂いた。
そしてまた、福島県に帰ったのである。



『お礼状とお蕎麦』

旅行から一週間が経った頃、私はふと焼き鳥屋の大将を思い出した。
「楽しい夜だったなぁ。良し!お礼にお蕎麦を送ろう!」

私は、お世話になった大将に、お礼状とお蕎麦を送ったのだ。

・・3日後、焼き鳥屋の大将から電話があった。

「美味しいお蕎麦をありがとう!なかなかいいそば打つじゃないか!」
「実はあの後、自分も君のことが気になり、調べてみたら、知り合いに蕎麦屋の社長がいて、
 ちょうど、職人を一人募集しているそうだ!もし良かったら、会ってみないか?」

・・・嬉しかった。本当に嬉しかった。こんなことがあるのだろうか・・・。
私はすぐに返事をして、松本に行くことにした。


『そして繋がる長野県』

今度は一人で松本へ向かった。

とある喫茶店で待ち合わせ。
時間になると、焼き鳥屋の大将と、蕎麦屋の社長らしき人がみえた。

「初めまして!塙です!」

改めて自己紹介をした。
蕎麦打ちへの想い、松本市への想いなど話をさせて頂いた。

そして社長は、
「本当に来る気があるのかい?」
と、
私は
「本気で来ます!是非働かせて下さい!」
とお願いした。

「良し分かった!君の熱意は伝わった!君を雇おう!」

私は、嬉しくて涙が出た。
こんなことって本当にあるのか。

つい一カ月前、旅行に来て気にいった松本市。
たまたま入った焼き鳥屋。
そして出逢った蕎麦屋。

私は、大げさだが、長野県に呼ばれている気がした。
そして、長野県で働けることとなったのである。

続く・・・。


次回予告

『激励会と感謝会』

『青空とVW~不安と期待』


一期一会・・・。  


Posted by カズキ at 09:24Comments(0)自己紹介