2011年07月08日

受け継ぐということ~伝統~

そろそろ開業の為に動いている話もしておこう。




開業の決意をした私は、ある場所へ行かなくては・・・と。

『手打ちそばと川俣しゃも料理~木鶏』

私が福島県でそば打ちの修業していたお店である。
目的は、親方に会って、開業の決意とご挨拶に行くためだ。

事前にアポをとり、5月下旬に福島県へ向かう事となった。
私は無謀にも、愛車の「ワーゲンバス」で福島県を目指した。
さらに、松本の先輩である「Y田氏」も一緒に同行して頂けることとなった。

片道500km・・・ワーゲンの旅

2011年5月27日・・・PM7:00 長野出発

私とY田氏は長野県から福島県を目指す。
運転する私を横目に、Y田さんは、早速助手席でウイスキーを飲み始めた。
「良いんです・・。私頑張ります!飲んじゃって下さい!!!!」

Y田さんも福島県は初めてだそうで、
行きは、そんなノリで向かったのだった。

走ること6時間・・・ようやく福島県の実家に着き初日を終えた。(ひとまず缶ビールで乾杯!)


5月28日 AM9:00

『今は無き「木鶏」の看板』


私が修業していたお店「木鶏」は、親方が体調を崩してしまったため、
現在お店をたたんでいる。私は寂しい想いでいっぱいだった。

店内に入ると、今でも自分が働いていた記憶が甦る。



早速、親方に挨拶をした。

私「お久しぶりです。この度、そば屋を開業する決意をしました。
  親方の下でそば打ちを教えていただいてから、8年が経ちました。
  お陰さまで、長野県で仕事をすることが出来、今では家族ができ、仲間に囲まれ、
  幸せに暮しています。」

親方「そうか。決めたんだな。商売は成功も失敗もある。
   でも失敗もしなければ成功はしない。その失敗も恐れない覚悟が必要だ。
   カズキの表情を見れば、俺は心配していない。大丈夫だ。」
  「ただ、リスクは最小限に抑えなさい。だからこの店で使っていた食器、什器、備品を
   持って行きなさい。俺がカズキにしてやれることはこれくらいだ。」

とてもありがたいお言葉である。
そば屋で使っていたものを一式持って行ってよいと、おっしゃって下さったのである。

いつも親方には頭が上がらない。
なおのこと、頑張らねばならないと思った。


『生きていた・・・』

早速、私とY田さんは、お店に行き、食器などの箱詰めをした。
どれも懐かしい器ばかり。また思い出が甦る。

Y田さんのお陰で、かなりの急ピッチで作業が進んだ。(助かります・・・。)



そこへ親方がやってきて、2つほど確認してみろと言われた。

その1【かえし】

かえしとは、醤油+味醂+砂糖で作るそば汁の基。
言わば、そこのお店の味である。
やり方は色々であるが。木鶏では、1/3くらいになったら、継ぎ足して継ぎ足して使っている。
恐らく、10年以上は注ぎ足しているだろう。

お店を閉めて1年以上・・・。
私はかえしが入っている一斗かめを確認した。
そうしたら、カビてもおらず、しっかりと残っていたのである。



私には私にのレシピがある。
ただし、作りたてはどうしても、醤油の角が立ってしまう。
このかえしを自分のかえしに少し加えて使おうと思った。

親方のかえしと自分のかえしが、新しいお店で重なり合う。

その2【ぬか床】

もう一つは、ぬか漬をするときに使う【ぬか床】だ。
このぬか床には思い出がある。

私が修業をしていた時、どうしてもぬか漬を覚えたくて、
女将さんに教えてもらいながら、このぬか床を作っていたのである。
毎日手を入れ、いろいろ調整をしながら漬物を漬けていた。

あれから8年は経過している。
私が辞めた後も、親方と女将さんが、使っていて下さったのだ。



私はこの【かえし】【ぬか床】を有難く頂いてきた。

「味を受け継ぐ」
「味を守る」


色んな表現があるかもしれないが、
私は、受け継ぐにも
受け渡す人の想いとしっかり受け継ぐ人の想い
その2つの想いが重なったとき、はじめて、

「味を受け継ぐ」
「味を守る」


と繋がっていく気がする。



『今は無き「木鶏」の看板』

・・・しかし、そこにはまだ「木鶏」の味が生きていたのである。



感謝・・・。
  


Posted by カズキ at 21:12Comments(2)開業準備