2016年06月30日

【木鶏】×【奈川在来】

◆信州奈川を訪れる!

それは、先週の月曜日の出来事です。

前日に東京巣鴨から、木鶏に来て下さっていた菊谷さんと私は、信州奈川へと向かいました。



目的は「奈川在来」の元種について、情報を掴むことです。

まずは、梓川沿いにある「そばカフェ ぐりんでる」さんへ伺いました。店主の木口さんとお逢いするのは、私も菊谷さんも2回目です。

それにもかかわらず木口さんは、親切丁寧に「奈川在来」についてや、ご自身が行ってきた栽培の取り組みなど、私たちに教えて下さいました。

これが「奈川在来」の種子です。



全国的に同様かもしれませんが、ソバを栽培して下さる方の高齢化問題は、ここ奈川でも同じようです。過疎化に加え、高齢化問題は「奈川在来」にとっても切実な問題です。

このままでは、種子が絶えてしまう…。



蕎麦を噛みしめながら、私と菊谷さんの想いは重なっていきます。

◆菊谷さんの想い


菊谷さんの狙いは、そこの問題を少しでも解決できないかということです。

前日の夜に、菊谷さんと熱く語っていた時、菊谷さんの蕎麦に対する想いをお聞きしました。

菊谷さんが、全国のそば栽培地を訪れるのは、その土地の栽培を知り、なにかお手伝いすることが出来ないかとか、そこでの出逢いを繋げていくことで、種子を守っていく動きのきっかけを創りたいという想いを持っていらっしゃいます。

木鶏では、信州大学農学部で契約栽培をさせてもらっています。品種は、北海道を主力にしている「キタワセ」です。

気候的に長野県の主力「信濃一号」よりも、野辺山では「キタワセ」が栽培に適しています。

しかし菊谷さんは、どうせやるなら、長野県本来の在来を栽培してみてはどうかと提案頂きました。

この話を、ぐりんでるの木口さんにお話ししたところ、すごく興味を持って下さいました。そして、信州大学での栽培に共感して下さったおです。

ここからが、物語の始まりです。

ぐりんでるさんをあとにした私たちは、次なる目的地「新奈川温泉 鳥屋沢」さんへ。

実は、ここのご主人、高宮澄男さんに「奈川在来」の玄そばがないかと、事前に相談していました。すると、一袋だけ持っていらっしゃるというので、特別に分けて頂きました。

これで準備は整いました。

あとは、信州大学農学部の先生へ「奈川在来」の栽培をお願いするだけです。

種子を手に入れた私は、すぐに先生へ相談しました。すると、快く栽培を引き受けて下さったのです!

この出来事は、わずか一週間で決まりました。まるでパズルのように、一つひとつがハマっていきました。

菊谷さんは最後に、

「俺はこの展開になるために、今回来たのかもね!」

と、笑顔で東京へ帰られました。



菊谷さんと出逢って、わずか半年の関係です。一年前、自分がこんな大先輩と一緒に、そばについて動いているとは、思ってもいませんでした。

菊谷さんの生き方に、私はすごく共感しています。前日に一緒に飲んでいた時に言っていた言葉。

「蕎麦屋が憧れの職業にしたい!そのためにも、我々が繋がりを創って盛り上げていかなくちゃいけない世代だよね!一緒に頼むよ!」

この言葉が、物凄く胸に響きました。自分は、自分にできる精一杯で、これからも蕎麦に関わっていきたいと思いました。

菊谷さん!!!いつも素晴らしい機会をありがとうございました!!!また7月にお逢いしましょう(笑)

◆信州大学野辺山圃場へ!

「奈川在来」を手に入れた私は、早速次のお休みに野辺山へ向かいました。宅急便で送ってもいいのですが、ちゃんと「想い」も一緒に届けたくて、車を走らせました。



そして、毎年お世話になっている先生へ、今回の「奈川在来」を栽培する経緯と想いをお伝えしました。ありがたいことに、全力で栽培に取り組んで下さるというお約束を頂きました。

いつも明るい畠中先生!


学生時代からお付合いしている関沼先生!


秋の実りが、本当に楽しみです!この畑から、また木鶏の物語が始まります!!!



追伸:

野辺山には、長女の「千珠」を連れていきました。久しぶりに二人きりデートです。

娘に弱い父は、甘えられるとなんでも買ってあげたくなっちゃいます。いろいろせがまれたけど、ソフトクリームで勘弁してな(笑)


  

Posted by カズキ at 09:30Comments(1)蕎麦のこと

2016年06月24日

弟子「カズ君」が神奈川へ帰ります!

◆皆様に大切なお知らせです!

それは、先週の月曜日のことです。
弟子のカズ君から連絡があり、なんとぎっくり腰になってしまったとのこと。

以前から、腰が痛いと言っていたので、心配はしていたのですが、無理がたたったのかもしれません。当然、お店に立つことは難しく、先週一週間は、治療に専念し、お店を休ませました。

そして、今週になって調子が出てきたとのことで、少しずつ様子を見ながら現場復帰を目指していました。まずは、仕込みだけに来てくれたり、昼営業、夜営業だけと、短時間だけの仕事に切り替え、身体の様子を見ながら、仕事していました。

しかし、昨夜の夜営業の時、再び腰痛が悪化しました。それでも、人手がなかなか足りないというのもあって、今日の昼営業は、無理してもらって出てきてもらいました。

痛い腰を我慢しながら、自分のできることを頑張っているカズ君。
その姿を見た時に、私と女将さんは考えました。

「何が一番、彼のためなのか?」

私と女将さんは、二人で話し合いをしました。

そこで私たちが出した結論は、

「実家の神奈川で療養させること」

でした。

彼は一人暮らしです。

アパートで独り療養していても、自炊したり、身の回りことは自分でやらなければなりません。
ただでさえ腰が痛いのに、あれもこれもやらなければと、気持ちは落ち着きません。

身体の調子が悪いと、心もネガティブになってしまいます。
このままでは、せっかく頑張ってきた一年がすべて水の泡です。

私たちにとっても、苦渋の決断でした。
今の木鶏のスタイルは、彼がいてのものになってきています。

それでも、彼の本当の将来のために、長い長いそば道のために、神奈川の実家で過ごすように命じました。

期間は、今のところ二週間です。

この話をした時、カズ君は目に涙を浮かべていました。
きっと、私たちには分からない色んなものを抱えていたと思います。

やりたい気持ちと、それに応えられない自分。
責任感の強い彼だからこそ、今の自分に大きなストレスを持っていたのでしょう。

これは、決して後ろ向きな話ではありません。
彼の将来を考えた、私たちの前向きな決断です。

彼がいない二週間は、私にとっても大きな成長のステージだと思っています。
木鶏のお客様には、心配と多少のご迷惑をお掛けするかと思いますが、どうかご理解のほど、宜しくお願い致します!

そして「白柳和樹」を、どうか温かく見守ってあげて下さい。私たちの大事な「家族」ですから。




そば処木鶏

店主 塙 和貴
女将 塙 操

追伸:

この木鶏の現状に、スタッフたちもできる範囲で支えてくれようとしています。

「困った時はお互い様」


こういう時こそ、チーム木鶏の力が試されています!
みんなで何とか乗り切りましょう!!!いつもありがとう!!!
  

Posted by カズキ at 21:00Comments(2)ご案内

2016年06月13日

「大人の心」と「子供の心」

◆まずは楽しむ!

そば処木鶏では、現在アフリカの生地を使った洋服や小物の展示販売をしています。
コラボレーションさせてもらっているのは、愛知県春日井市に拠点を持つ「ハミングバードデザイン」さんです!



代表の安達さんは、幼少期から物作りが大好きで、数学や国語より、工作や美術が得意だったそうです。むしろ、その特技があったから、今の道に進めたのかもしれないとおっしゃっていました。

その安達さんが、今回あえて提案されるワークショップは・・・。

「柿渋&墨染でオリジナル手拭いを創ろう!!!」

というものです!

私も事前に安達さんの工房で体感してきました。



大人になると、固定概念ばかりで、なかなか作業が進みません。



でも、安達さんが伝えたいところは・・・。

「上手くいくかいかないかではなく、どれだけ楽しめるか?」

という、心の部分です!

大人になると、どうしても周りの目が気になり、上手くいくことだけを考えがちです。その気持ちは、物凄くわかります。しかし、いざ子供たちを見てみるとどうでしょうか?

そんな周りの目を気にして、描いているでしょうか?

私も、その一言を安達さんに言われた時、ハッとしてしまいました。
自分は自分でいいじゃないか!!!

そうして、心をクリアにして、ワークショップを体感しました!
出来た作品は、また店内に飾らせてもらいます!

イメージでは、こんなに素敵な手拭いも創れますよ!!!



◆素敵なワークショップのご案内です!

日時:6月26日(日) 15時~17時
場所:そば処木鶏
定員:10名
参加費:1500円(お菓子&珈琲付き)
珈琲は、なんとわざわざ愛知から喫茶店を営んでいらっしゃる「珈琲&ギャラリー予約席」さんが、美味しい珈琲を入れて下さいます!

申込先:そば処木鶏 「0263-98-2099」

住所:長野県東筑摩郡山形村5511-7
地図:「ここをクリック」

そば処木鶏は、人と人を繋ぐそば屋を目指しています!
このワークショップで、新しい出逢いが生まれることを心から願っています!!!  

Posted by カズキ at 22:00Comments(0)ご案内

2016年06月12日

そうだ!会津へ行こう!~最終話

◆師匠の「想い」を受け継ぎたい!

そば処木鶏で使っている、
このそば猪口と徳利。



実は、今は亡き福島の木鶏の親方が長年使っていたものでした。私がお店を出したいと言った時、親方は私に想いを伝えて下さいました。

「初めはお金に余裕がない。だからお金をかけずに、この器たちを使いなさい!」

そう言って、お店の器を格安で譲って下さいました。その時すでに、親方は病気を患い、お店を閉めていました。

それから間もなく、2011年8月6日。
私の師匠、木鶏の親方は亡くなられました。

2014年4月11日。

念願のそば屋を開いた時、お客様がそばを楽しんでいるそば猪口は、親方から想いを受け継いだものなんです。私にとって、このそば猪口には、そういった意味もあり、深い思い入れがあります。

しかし、形あるもの、いつかは壊れます。お店をやっていれば、そば猪口も欠けてしまいます。

そこで、追加の器を注文すべく、実際に窯元さんへ行こう!となったのです。

◆会津本郷焼「酔月窯」

初めて訪れた焼物の街「会津本郷」。何軒も街の中には窯元が点在していました。

しばらく車を走らせると、お目当ての「酔月窯」がありました。



中に入ると、木鶏でお馴染みの絵柄がずらりと並んでいました!





早速、お店の方に話をして、対応して頂きました。ただし、当時の木鶏で使っていたそば猪口のサイズが廃盤とのこと。

今は、一回り大きなサイズになっていました。正直に申し上げると、今のサイズが気に入っているのは事実です。

私と女将さんは悩みました。

サイズが違うけど、酔月窯さんで頼むか。似たような色で、別のそば猪口を探すか。

その時、原点に返り何のためにここへ来たのか?と、自分たちに問いました。

それは、木鶏の親方の想いに触れるためでした。

きっと、親方と女将さんも、この場所で悩みながら選んでいたことでしょう。

そう考えた時、私たちはやっぱりここでお願いすることにしました。

あの雰囲気、質感、絵柄が好きで、2年間使わせてもらってきました。

インターネットなどで調べれば、きっと似たようなものはあります。でも、その選び方は私たちはしません。

少し大きいサイズは、大もりそば用にすることにしました。

ようやく訪れることが出来た「酔月窯」さん。やっぱりその場に来て、見て、触れることが、いかに大切かが分かりました!

ご丁寧に対応して下さり、ありがとうございました!!!絵柄だけは選べるので、後日、焼きあがったら木鶏に届きます!

皆さん!楽しみにしていて下さいね!!!



そば処木鶏は、人と人を繋ぐそば屋を目指しています。色んな方の「想い」を大切にすることを、これからも心掛けていきたいです。

そうだ!会津へいこう!!!  ~完~
  

Posted by カズキ at 18:00Comments(0)家族

2016年06月11日

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

◆両親との時間

朝一番に、そば道具の買い付けを済ませ、ここで家族と合流します!



実は、今回の会津への買い付けの話を、事前に女将さんに伝えると、せっかくだから福島の両親に子供たちを逢わせたいと言ってくれました。しかし、月曜日だけでは、あまりにも時間がないので、それでは土曜日に前乗りで福島に行こうかと決めました。

最初は、女将さんが一人で、公共交通機関を使って、子供四人を連れて福島まで行く!と言っていたのですが、それに見かねて、実家の父が車で長野に迎えに来てくれました。

これがどれだけ助かったことか。
父には頭が上がりません。

合流してからは、実家の両親と子供たちと時間が許す限り、会津観光をしようとなりました。

◆白虎隊と飯盛山

初めに訪れたのが、白虎隊のお墓がある飯盛山です。



白虎隊は、会津戦争の時に会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊です。

以下「ウィキペディア」より↓↓↓

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。

白虎隊は本来は予備兵力であった。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。なお、装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃、ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。

これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた(そもそも東北諸藩のほとんどは、旧式軍備の更新を行わないまま戊辰戦争に突入していた)。

会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、その上重要な進軍路であった十六橋を落とすことに失敗したという防衛戦略上の不備も重なり、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。

若年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、白虎隊は各防衛拠点へと投入された。

しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。

このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たったが、二番隊は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間、庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。

このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留め、その他19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。

途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって西本丸を守った。籠城戦は1か月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。

その後、飯沼は電信技士として維新後を生き抜き、1931年に77歳で没した。飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは晩年だったそうで、そこから白虎隊の悲劇が現在に伝わっている。

ちなみに飯沼は電信技士をしていた時期に、日清戦争が勃発し、陸軍歩兵大尉として出征して漢陽に渡った際、ピストルを携帯するように言いつけられたが、「自分は白虎隊として死んだ身である」と断ったという逸話が残っている。

飯沼の遺骨の一部は、遺言により飯盛山に眠る同志と同じ場所に埋葬された(ただし、飯沼の墓は他の隊士の墓から距離を置いて建てられている)。このほか「士中二番隊」の隊士であった酒井峰冶も生き残って精米屋を営み、没後の1993年に酒井家の仏壇の中から『戊辰戦争実歴談』が発見され、戸ノ口原の戦闘の様子が後年に残されている。


という今から、たった150年前の出来事です。ずっと訪れたかった地に、両親と子供たちと一緒に来れて、色んな気持ちになりました。

会津の方の強い精神には、心を打たれます。この地で、悲しい出来事があった事実を子供たちに伝えました。

ここで、白虎隊は鶴ヶ城をのぞみ自刃をされました。



同じ敷地内に「さざえ堂」という建物がありました。



以下、HPより↓↓↓

会津さざえ堂は、寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。

当時、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。
かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。

また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。


ということで、実際に中に入ると、本当に不思議です!一方通行なのに、すれ違うことなく、上って下りてこれるんです!



ぜひあなたも飯盛山に行った際は、ご体感くださいね!

◆会津鶴ヶ城

続いて向かった先は、飯盛山から見下ろした「鶴ヶ城」です。



私は二度目の訪問でしたが、相変わらず立派な石垣です!





最近、知り合いがお城の石垣修復の仕事をしているので、この大きな石をどうやって積んでいくのか、興味津々です!ましてや、昔は重機も何もない時代です。

そんな話をガイドさんにすると、大きな石を積むときは、その上にきれいな女性を躍らせて、男たちを鼓舞させていたとか!今も昔も男は単純ですね(笑)

普段なかなか見ることのないお城に、子供たちも大興奮!



末っ子の仁成も、とても楽しんでいましたよ!



こうして鶴ヶ城をあとにした私たちは、ずっと行きたかった食事処へ!

◆牛乳屋食堂

会津若松市内から、車で20分。芦ノ牧温泉駅の近くに、そのお店はあります。



福島にいた時から、テレビや雑誌によく取材されていて、一度は行ってみたかったお店です。

なぜ「牛乳屋食堂」なのか?

以下、HPより↓↓↓

年号が大正から昭和へと移りゆく時代。

上三寄駅(現:芦ノ牧温泉駅)に鉄道が開通することになり、馬車宿を営んでいた幸美じいちゃんとキヨノばあちゃんが2人で駅前に「牛乳屋」をはじめました。

鉄道の開通に伴い、駅には人々が集いはじめました。

そこで、初代となるキヨノばあちゃんが、当時隣に住んでいた中国人から本場の「支那そば」の技術を学び、ラーメン屋を開いたのが牛乳屋食堂のはじまりです。以来、「元祖支那そば会津ラーメン」の味を引き継いで参りました。


とあります!代々受け継がれてきた味を、私は体感したかったのです。現在の女将さんで、なんと4代目ですよ!

わたしが頼んだのは、ラーメンとソースカツ丼のセットです!



ここは、あえて深くコメントはしませんが「美味い!!!」の一言です!この地に行って、ぜひご自身の体と心で感じてみて下さいね!

食事を済ませ、そとへ出ると、平日にもかかわらず、行列ができていました。私は、会津で蕎麦を食べることも考えていましたが、あえてこのお店を選びました。

その理由は、

なぜこのお店が長年愛され、今なお繁盛店でいられるのか?

ということを体感したかったからです。

弟子のカズ君とも、なぜだと思うか?という時間を創り、彼の考え方と、私の考え方を共有し合いました。

ただ食べて美味しかったでは、なんの学びにもなりませんからね(笑)木鶏も、そんなお店になろう!と心に誓いました。

両親とは、ここでお別れです。子供たちの面倒を見てくれて、本当にありがとうございます!

今回、少しでも一緒に過ごせる時間を創れたことは本当に良かったです!またゆっくり実家にも帰りたいと思います!

≪次回予告≫

そうだ!会津へ行こう!~最終話
木鶏の親方の想いを受け継ぐ。  

Posted by カズキ at 07:30Comments(0)家族

2016年06月09日

そうだ!会津へ行こう!~そば道具編

◆「作り手」と話す意味

新潟で美味しい朝食を味わった私たちは、次なる目的地「会津若松」へと車を走らせました。市内に入ると、「会津」「福島」ナンバーが出迎えてくれて、どこか心地よい気持ちになりました。

そして、今回の旅の第一目的地の「そば道具 中村豊蔵商店」へ到着しました。



お店につくなり、ご主人が温かく出迎えて下さいました。
新調したかったのは、次の5点です。

1.のし棒 大
2.のし棒 小
3.巻取棒
4.こま板
5.切坂


元々このお店の存在は、インターネットで知っていて、何度か注文をしたことがありました。
しかし、弟子のカズ君が出来てから、直接作り手さんと逢って、道具に触れることの大切さを感じてほしくて、今回の旅を企画しました。



本来であれば、カズ君が気にいったものを購入して、使わせようと考えていましたが、自分のお気に入りがどんなものなのか、そこまで到達していない彼に、無理に選べとは言いませんでした。

今回、大将が手に入れたのし棒はこちらです。



左から、仕上げで使うのし棒です。
材質は「メイプル」で、重さと手との相性がシックリきます。

真ん中は、四つ出しまで使う太めののし棒です。
私の好みを伝えると、ご主人が裏から出して下さった秘蔵ものです!

材質は「水木」と言って、会津地方ではこけしに使われるものです。
近年、なかなか太い材がないので、この手のサイズは、公には販売できないとのこと。
これがものすごく私の手に馴染むのです!

最後の右は「桧」で作られた巻取棒です。
生地に棒の重さのストレスを与えず、ちょうどいい感じなんです!

こうして私は、新しいのし棒に出逢えました。
やはり、直接会って、自分の手で感じることは、職人として大切なことだと、改めて感じました。

弟子のカズ君には、私が長年使っていた道具を「託す」ことにしました。



私は、この道具たちと色んな場所へ旅をしました。
県内はもちろんのこと、福島や東京、神奈川にまで連れていき、その場でそば打ちをし、沢山の方たちに喜びを届けていました。

彼が将来、どんなそば職人になるか分かりませんが、私の想いを彼に託させて頂きます。

「出逢いは人を育てる」

新しく出逢った素晴らしい道具たちと一緒に、またそば打ちを一から楽しみたいと思います!



≪次回予告≫
会津を観光するのだ!!!

  

Posted by カズキ at 17:00Comments(0)家族

2016年06月08日

【麺屋 木鶏】始めます!!!

◆蕎麦屋の枠を超える蕎麦!

木鶏の限定そばファンの皆さま!大変長らくお待たせしました!ようやく納得のいくものが完成しました!



木鶏の特選素材の「ぎたろう軍鶏」の鶏ガラを、ゆっくり8時間煮込んで取ったスープに、かつおだしと薄口しょうゆのかえしで味を調えました。そこへ、ぎたろう軍鶏のチャーシューと彩り野菜の旨味が加わり、間違いなくここでしか味わえないつけ汁に!お好みで、これまたぎたろう軍鶏の卵で作った味玉をトッピングできます!どうぞご賞味くださいね!!!

「塩だれしゃもつけそば」
・・・1400円 
トッピング 味玉80円 (税別)

私は、木鶏でしか味わえない料理を常に考えています。基本的なそばを大切に、それでいてアイデアは柔軟にする。

美味しいかどうかは、まずやってみなくては分かりません。何度も何度も失敗を繰り返し、今回のメニューが誕生しました。

全ては、素材の持味をいかにして組み合わせるか?今回も沢山の学びがありました。

食べて下さったあなたが、心から喜んで頂ければ幸いです。

【そば処木鶏】

住所:長野県東筑摩郡山形村5511-7
電話:0263-98-2099

HP:http://ichigoichienococoro.com/  

Posted by カズキ at 07:00Comments(0)ご案内

2016年06月07日

そうだ!会津へ行こう!~朝活編

◆弟子と共に過ごす時間

6月6日(月)
この日は木鶏の定休日です。

以前から会津には行かなくてはならない理由がありました。その理由はさておき、私は弟子のカズ君に、会津行きの日帰り弾丸ツアーを提案しました。

彼にとっては、週に一度の貴重なお休みです。その日をどう過ごすかは、彼次第ということです。

それでも、私が提案した内容を伝えると、快く旅を共にすることになりました。

前日の日曜日のことです。

予定では、会津のある場所に10時前には着かなくてはならない状況です。その道のりは、休憩も踏まえると約5時間はかかります。

となると、早起きをして、5時には出発しなければなりません。

そのプレッシャーを感じるより、仕事終わりのまま、とりあえず新潟までは行こう!
と、私とカズ君は話し合いの結果、二人で決断をしました。

そして22時半!
信州松本を出発したのです!

道中では、仕事のことや、プライベートのことなど、普段落ち着いて話すことが出来ないので、有意義な時間になりました。

そして第一目的地の新潟市内の公園にたどり着きました。

そこから、仮眠すること約3時間。

あたりは少しずつ明るくなりつつありましたが、まだ時間があったので、海なし県に住んでいる私たちは、とりあえず浜辺を目指しました。

朝日を浴びながら、さざ波の音を身体いっぱいで感じるこの空気感!



久しぶりの海の香りに、二人のテンションはMaxです!



辺りが明るくなり始めると、見えなかったゴミが目に付くようになりました。
タバコの吸い殻、空き缶など、残念ながらたくさん落ちていました。

見過ごすこともできたけれど、そこは木鶏魂!ちゃんと拾ってきましたよ!(偽善者です)



◆非日常を食らう!

朝の運動によって、お腹がペコペコです。
そこで、目的にしていた、朝5時半から営業をしている「中央食堂」さんへ足を運びました!



さすが市場直の食堂です!
金目鯛の煮付け定食が900円ですよ!



天然ぶりのお刺身も、この分厚さ!



普段、朝からこんなにも贅沢な食事を頂くことは、まずありません。いつも頑張ってくれているカズ君へのご褒美です!

お陰様で、幸せな時間を過ごさせて頂きました!一般の方も気軽に立ち寄れるので、ぜひお出かけ下さい!

【中央食堂】

住所:新潟県新潟市江南区茗荷谷711
電話:025-257-6545
食べログ:「ここをクリック」


腹ごしらえを済ませた私たちは、運転を代わりつつ、第一目的地の会津若松市へ到着!ここで素敵な出逢いが待っていたのでした!



続く・・・。

≪次回予告≫

頑固そば道具「中村豊蔵商店」さんへ!
一本の「のし棒」との出逢い・・・。  
タグ :中央食堂


Posted by カズキ at 06:00Comments(0)家族

2016年06月04日

合言葉は?「オッケー!モッケー」です!

◆久しぶりにアルウィンに参上します!



今日は、

「松本山雅」×「ギラヴァンツ北九州」

の試合ですね!

キックオフが15時というので、久しぶりに弟子のカズ君と試合を見に行きます!

カズ君も、毎日頑張ってくれてますからね!
たまにはご褒美をあげないとね!

チケットを譲って下さったのは、木鶏のジェラートを作って下さっている「ジェラートハッチ」さんです!



今日から、8月11日のホームゲームすべてに出店されます!
販売場所は、メインスタンド裏のフードコートです!

今回、ジェラートハッチさんから、嬉しいお言葉を頂戴しました!

「アルウィンに足を運んでくれた人に喜んでもらいたい!」

ということで、店頭で「オッケー!モッケー!」と言って頂くと、なんと『全商品50円引き』にして下さるそうです!



なんともありがたいことですね!!!
ぜひこれを機に、皆さんも召し上がってみて下さいね!

ハーフタイムは、私もお店の前にいるようにしますね!

皆さん!よろしいですか?
合言葉は?

それでは、後ほどアルウィンでお逢いしましょう!!!

そば処木鶏は、ちゃんと昼も夜も営業しますからね!ご予約はお早めに!

【そば処木鶏】

住所:長野県東筑摩郡山形村5511-7
電話:0263-98-2099
HP:http://ichigoichienococoro.com  


Posted by カズキ at 07:00Comments(0)ご案内

2016年06月02日

【木鶏】×【アフリカン】

◆すべてはあの日の出逢いから!!!

2014年3月22日~23日。
愛知県モリコロパークで開催された「アースデーいわき 2014」。



このイベントの代表「インディアン吉田」こと吉田さんとは、
一年前の「アースデーいわき 2013」で出逢いました。

吉田さんは、震災後、いわき市から愛知県へと自主避難された方です。
ご紹介して下さったのは、吉田さんの同郷の友、佐々さんです。

お二人は、震災前にいわき市で色んな活動をしていた仲間でした。
しかし、震災後、小さなお子さんのことを考えて、故郷を離れるという苦渋の決断をされました。

それぞれが別の地で暮らしながらも、その地域の方への感謝の想いや、
父親としてうしろ姿を見せるべく、色んな葛藤の中、もう一度立ち上がることを決意されました。

そして、この「アースデーいわき」を愛知の地で開催されたのです。
【イベントの詳細は→「ここをクリック」

このイベントに参加していたのが、ハミングバードデザインの代表「安達真由子」さんです。
安達さんもまた、吉田さんたちの出逢いによって、自分らしい生き方を選択された一人です。

以前は、大手スポーツメーカーのデザインをされていました。
もちろん制作することが嫌になったわけではありません。

しかし、震災をきっかけに自分自身を見つめなおし、自分にしかできない、自分らしさを追い求め独立を決意されました。ちょうどその時に、このイベントで同じブースの中で、私と安達さんは出逢いました。

その後は、フェイスブックで繋がり、お互いの活動を共有していました。

そして、そば処木鶏がオープンすると、旦那様とお店に来て下さいました。
ちょうど結婚記念日という、お二人の大切な時間にです。



そこから関係は、少しずつ少しずつ深まりを増してきました。

そして今年の4月のことです。
「アースデーいわき」の仲間たちと、木鶏に来て下さった夜。

安達さんが、長野でも展示会をしてみたいと相談されました。
そこで私は、ぜひ木鶏でやってみませんか?とお誘いをしました。

その理由は、あの日の「出逢い」があったからです。

お店を始めてから、あのイベントで出逢った多くの方が、木鶏に足を運んで下さいました。
それがとても嬉しかったのです。

その場に集まるということは、やはり大切にしている共感ポイントが一緒で、皆さん出逢いを本当に大切にしてくれます。安達さんもまた、出逢いや縁を大切にしている一人でした。

その自然の流れから、今回の展示会が始まります!

「和・輪・笑 wawawa な お着楽服展 in 木鶏」


以下、安達真由子さんの想いです!

和 → なごむ、やわらぐ、互いに気が合う。木鶏の大将 塙和貴さんの名前の一文字でもあります。
輪 → 回転するもの。丸く繋がっている様子。
笑 → わらう。

お着楽服で、楽しくわははと笑いながら、和やかにいろんな人と繋がっていきたいなぁという意味を込めて、今回の個展のタイトルをつけました。

◆展示企画の内容

西アフリカの生地パーニュで作ったエプロンとお着楽服、その他小物の展示販売です!











◆お着楽服とは

体型が変わることをネガティブに捉えるのではなく、月の満ち欠けのように自然な事ととらえ、服が体に合わせる。好きな柄や色の衣服をずっと身につけられるのがコンセプトです。

女性の場合は、妊娠前後や日々の体調変化でサイズ感が変わるのは当然の事です。
ありのままの自分自身を受け止めて、あなたらしく暮らしてほしい。それが「HUMMING BIRD DESIGN」の願いです。

◆作品への想い

「HUMMING BIRD DESIGN」オリジナルデザインのお着楽服は、男女共できるだけ体型にこだわらないで着られるように設計しています。

【大人も子供も心身にハンデキャンプが有っても無くても直感的に安全に使える物】が、ユニバーサルデザインの主な定義です。(厳格な7つの定義があります。)

最初は、ユニバーサルデザインの服を作りたいと思って物作りをしていましたが、もっとゆるく、人とつながる物作りでもいいんじゃないかと、次第に思うようになり、試行錯誤の末、衣服が体型に合わせて変化する『お着楽服』が生まれました。

私自身は、高校(デザイン科)卒業後、ファッション専門学校へ進学、スポーツアパレルの企業デザイナーとして勤めた後独立。

西アフリカからのフェアトレード商品を取り扱うなかで、パーニュ生地と出会いました。ハッとする色や柄に元気をもらって、お着楽服として仕立てた時に自分らしさを表現できたと感じました。

お客様のご要望や、お誘いいただくギャラリー様からの助言で、徐々に品数が増えてきましたが、基本的なコンセプトは変わりません。

性別にこだわらない服や、その時の体調に合わせてサイズ、締め付け感を調整できる服、元気が出る色柄など、着る人が、その人らしく生活できる服をこれからも作っていきたいと思っています。

◆パーニュ生地とは

西アフリカで流通している生地で、現地の人たちが着ている服やインテリアなどに使用されています。

ギニア、マリ共和国、ガーナ、コートジボワール等のマルシェや、問屋で仕入れた生地パーニュは、とても色鮮やかで見ているだけで元気が出ます。

微妙なプリントのズレやなんじゃこれ?な柄もあったり、面白くて魅力的な生地です。西アフリカと直接やり取りを行っているフェアトレード商品を使用しています。

◆こんな人に着てほしい!

アフリカが好きな人はもちろんの事、アフリカの事をよく知らない人にも、パーニュ生地の柄の楽しさを感じてほしいです。

今回は日常に使いやすいエプロンを、男性にも女性にも身につけていただきやすいように仕立てました。和・輪・笑っと楽しんでいただけると幸いです。

安達真由子さんと楽しむ「柿渋手ぬぐいワークショップ開催」します!

日時:6月26日(日) 15時~17時
場所:そば処木鶏
参加費:1500円



先日、蕎麦会に参加された安井恭子さんが営む「予約席」の珈琲が付いています!

あなたも是非、ワークショップに参加して、出逢いを楽しみましょう!!!

ワークショップのお申し込みは↓↓↓

そば処木鶏「0263-98-2099」




そば処木鶏は、人と人をつなぐそば屋を目指しています!
この企画から、新しい出逢いが一人でも生まれることを願っています!



追伸:

作家さんの想いに触れるため、できる限りその制作現場に出掛けることにしています。
今回も、安達さんの工房を伺い、深い話をすることが出来ました。

商品には、その方の想いや人柄が溢れ、それを手にしたお客様が喜ばれたとき、初めて感動という共感が生まれると思います!ぜひお気軽に作品に触れ、安達さんの想いを感じてみて下さい!


  


Posted by カズキ at 07:00Comments(0)ご案内