2016年06月11日

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

◆両親との時間

朝一番に、そば道具の買い付けを済ませ、ここで家族と合流します!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

実は、今回の会津への買い付けの話を、事前に女将さんに伝えると、せっかくだから福島の両親に子供たちを逢わせたいと言ってくれました。しかし、月曜日だけでは、あまりにも時間がないので、それでは土曜日に前乗りで福島に行こうかと決めました。

最初は、女将さんが一人で、公共交通機関を使って、子供四人を連れて福島まで行く!と言っていたのですが、それに見かねて、実家の父が車で長野に迎えに来てくれました。

これがどれだけ助かったことか。
父には頭が上がりません。

合流してからは、実家の両親と子供たちと時間が許す限り、会津観光をしようとなりました。

◆白虎隊と飯盛山

初めに訪れたのが、白虎隊のお墓がある飯盛山です。

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

白虎隊は、会津戦争の時に会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊です。

以下「ウィキペディア」より↓↓↓

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。

白虎隊は本来は予備兵力であった。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。なお、装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃、ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。

これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた(そもそも東北諸藩のほとんどは、旧式軍備の更新を行わないまま戊辰戦争に突入していた)。

会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、その上重要な進軍路であった十六橋を落とすことに失敗したという防衛戦略上の不備も重なり、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。

若年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、白虎隊は各防衛拠点へと投入された。

しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。

このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たったが、二番隊は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間、庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。

このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留め、その他19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。

途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって西本丸を守った。籠城戦は1か月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。

その後、飯沼は電信技士として維新後を生き抜き、1931年に77歳で没した。飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは晩年だったそうで、そこから白虎隊の悲劇が現在に伝わっている。

ちなみに飯沼は電信技士をしていた時期に、日清戦争が勃発し、陸軍歩兵大尉として出征して漢陽に渡った際、ピストルを携帯するように言いつけられたが、「自分は白虎隊として死んだ身である」と断ったという逸話が残っている。

飯沼の遺骨の一部は、遺言により飯盛山に眠る同志と同じ場所に埋葬された(ただし、飯沼の墓は他の隊士の墓から距離を置いて建てられている)。このほか「士中二番隊」の隊士であった酒井峰冶も生き残って精米屋を営み、没後の1993年に酒井家の仏壇の中から『戊辰戦争実歴談』が発見され、戸ノ口原の戦闘の様子が後年に残されている。


という今から、たった150年前の出来事です。ずっと訪れたかった地に、両親と子供たちと一緒に来れて、色んな気持ちになりました。

会津の方の強い精神には、心を打たれます。この地で、悲しい出来事があった事実を子供たちに伝えました。

ここで、白虎隊は鶴ヶ城をのぞみ自刃をされました。

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

同じ敷地内に「さざえ堂」という建物がありました。

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

以下、HPより↓↓↓

会津さざえ堂は、寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。

当時、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。
かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。

また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。


ということで、実際に中に入ると、本当に不思議です!一方通行なのに、すれ違うことなく、上って下りてこれるんです!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

ぜひあなたも飯盛山に行った際は、ご体感くださいね!

◆会津鶴ヶ城

続いて向かった先は、飯盛山から見下ろした「鶴ヶ城」です。

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

私は二度目の訪問でしたが、相変わらず立派な石垣です!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

最近、知り合いがお城の石垣修復の仕事をしているので、この大きな石をどうやって積んでいくのか、興味津々です!ましてや、昔は重機も何もない時代です。

そんな話をガイドさんにすると、大きな石を積むときは、その上にきれいな女性を躍らせて、男たちを鼓舞させていたとか!今も昔も男は単純ですね(笑)

普段なかなか見ることのないお城に、子供たちも大興奮!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

末っ子の仁成も、とても楽しんでいましたよ!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

こうして鶴ヶ城をあとにした私たちは、ずっと行きたかった食事処へ!

◆牛乳屋食堂

会津若松市内から、車で20分。芦ノ牧温泉駅の近くに、そのお店はあります。

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

福島にいた時から、テレビや雑誌によく取材されていて、一度は行ってみたかったお店です。

なぜ「牛乳屋食堂」なのか?

以下、HPより↓↓↓

年号が大正から昭和へと移りゆく時代。

上三寄駅(現:芦ノ牧温泉駅)に鉄道が開通することになり、馬車宿を営んでいた幸美じいちゃんとキヨノばあちゃんが2人で駅前に「牛乳屋」をはじめました。

鉄道の開通に伴い、駅には人々が集いはじめました。

そこで、初代となるキヨノばあちゃんが、当時隣に住んでいた中国人から本場の「支那そば」の技術を学び、ラーメン屋を開いたのが牛乳屋食堂のはじまりです。以来、「元祖支那そば会津ラーメン」の味を引き継いで参りました。


とあります!代々受け継がれてきた味を、私は体感したかったのです。現在の女将さんで、なんと4代目ですよ!

わたしが頼んだのは、ラーメンとソースカツ丼のセットです!

そうだ!会津へ行こう!~会津観光編

ここは、あえて深くコメントはしませんが「美味い!!!」の一言です!この地に行って、ぜひご自身の体と心で感じてみて下さいね!

食事を済ませ、そとへ出ると、平日にもかかわらず、行列ができていました。私は、会津で蕎麦を食べることも考えていましたが、あえてこのお店を選びました。

その理由は、

なぜこのお店が長年愛され、今なお繁盛店でいられるのか?

ということを体感したかったからです。

弟子のカズ君とも、なぜだと思うか?という時間を創り、彼の考え方と、私の考え方を共有し合いました。

ただ食べて美味しかったでは、なんの学びにもなりませんからね(笑)木鶏も、そんなお店になろう!と心に誓いました。

両親とは、ここでお別れです。子供たちの面倒を見てくれて、本当にありがとうございます!

今回、少しでも一緒に過ごせる時間を創れたことは本当に良かったです!またゆっくり実家にも帰りたいと思います!

≪次回予告≫

そうだ!会津へ行こう!~最終話
木鶏の親方の想いを受け継ぐ。


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Posted by カズキ at 07:30│Comments(0)家族
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