2013年04月01日
福島と愛知をつなぐ男たち!
◆アースデイいわき in なごや2013
~愛知meets福島~

そば屋開業へのキーワード「つなぐ」を求めて・・・。
3月23日~24日の二日間、名古屋でイベントがありました。
このイベントを主催している代表の方は、
「吉田拓也」さんといいます。
吉田さんは、いわき市のご出身で、東日本大震災をきっかけに、
愛知県へ自主避難をされていらっしゃいます。
震災前は、いわき市でインディアンテント「ティピー」の、
制作、販売、レンタルを手掛ける事業をされていました。
さらには、社会貢献活動の一環として、地元の街づくりと人づくりの一環として取り組んでいた、
「村づくり」を実現するために「NPO法人インディアン・ヴィレッジ・キャンプ」を立ち上げられました。
それがこの大震災を機に生活が一変。
故郷を離れることを決められ、後ろめたさを感じ、
自問自答しながらも日々を送っていらしたようです。
そんな吉田さんが、なぜ名古屋でイベントを開催しようとしたのか?
私は、この想いに心を揺さぶられ、ぜひお逢いしたいと思ったのです。
以下、吉田さんのお言葉をお借りします。↓↓↓
私は夫婦で決断し、幼い我が子と一緒に3人で自主避難する道を選択しました。
決して金銭的にも時間にも余裕があったから自主避難できたわけでもありません。
突然、転勤の辞令をもらったのとは訳も違って、軌道に乗っていた事業や活動を中断し、
たくさんの"想い"を故郷に残したまま愛知県に移住してきました。
こちらに親戚や友人など頼る人がいたからではなく、
なんとなく辿り着いた未知の地が愛知県でした。
故郷を離れたことで仲間や友人、親戚や親を裏切る気持ちと募る故郷への想い。
「自分だけ逃げられていいね」
「故郷を捨てた!」
「落ち着いたらのこのこ帰ってくるつもり?」
誰から直接聞いたわけでも、言われたわけでもないのに、様々な想いに葛藤するあまり、
そんな聞こえない声が聞こえ始め、"自主批難"をする日が続きました・・・。
そんなある日、愛知で開催された被災者交流会で、
同じ境遇で自主避難してきたあるご家族に出会いました。
厳しい現状を涙ながらに訴えつづけ、子供の前で泣いているお父さんの姿を見た瞬間に、
「親父の頑張る姿を子供に見せなくてはいけない!」と私の心のスイッチが入りました。
福島で自分がやっていた「インディアン村づくり」をここ愛知で続けることが結局、
被災地に気持ちを向けてもらえる活動になることにようやく気付きました。
「2009年 アースデイいわきの起源インディアン村づくり開始」
何もない山の中で人を元気にするようなイベントができないか?
あえて何もない不便な場所・・会場づくりからはじめるイベントができないか?
そして、荒れ果て放置林となっていた山を手に入れました。
この荒れた大地をみんなで開墾して、みんなが自然と戯れて自然から、
何かを学べるようなそんな場所を作ろう!
そうだ!名付けて「インディアン村づくり」福島県いわき市の山の中。
「みんなで鍬を持って地球と挌闘するイベントがあってもいいじゃないか!
一緒にインディアン村をつくろう!」
そんな呼びかけから、私たちの活動は始まりました。
何もない荒れ果てた山の中に、まずは道をつくることから始めました。
重機などは使用せず、人間の力だけでどこまで自然に挑戦できるか!
この活動が「アースデイいわき」のはじまりでした。
お金もありませんでしたので、たった一人で鍬とツルハシを持って始めた山の開墾作業でしたが、一人、一人と徐々に賛同し、手伝ってくれる人が増えていきました。
そして、「アースデイいわきinインディアン村2010」開催。
たった一人で始めた活動でしたが、そこにはたくさんの仲間ができていました。
子供たちと一緒に荒れた大地に植林活動もしました。
自然エネルギーでも電気が作れることを伝えるため、
太陽光発電と風力発電装置がついた発電所付きの村役場も完成しました。
翌年のアースデイいわき開催に向けて、今度は「井戸掘り」をはじめました。
いっぱい大きな石が出てきて大変でしたが、重機は使わず人間力で井戸掘りを続けました。
「アースデイいわきinインディアン村2011」
告知するポスターも完成し、開催まで着々と準備は整っていきました。
そして、開催を10日後に控えた、その準備中に大震災が発生しました。
インディアン村にも、原発事故による放射性物質が降り注ぎました。
イベントは中止。
外で活動することすらままならない状況。
当時、ひまわりの種が大地をキレイにしてくれると聞きました。
もう一度笑顔をもどしたい一心で、一心不乱にひまわりの種を植えました。
でも、後にそれはあまり効果がないことを知り、自主避難しました。
原発事故により、様々な葛藤や行動、想いを巡らし、
被災した人それぞれがそれぞれの地でその時を刻んでいきます。
自主避難生活が半年を過ぎた2011年11月頃、いわき市の仲間から連絡がありました。
来月12月開催の、いわき市民との集会の壇上で「インディアン村づくりをしていた頃の講演してくれないか?」と依頼をいただきました。
久しぶりに仲間と再会できるチャンスでしたが、凱旋気分とは違い、故郷を離れたことで活動が中断してしまっていることや故郷を離れた負い目を感じながら、キリキリと胃が痛くなるような帰省となりました。
「おかえり!」
今までと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる仲間たち。
「おかえり」という言葉がこんなにもあったかい言葉なんだと、
生まれて初めて認識し実感できた瞬間でした。
偉そうに過去の活動を発表させていただきましたが、
恥ずかしながら新天地での一歩がうまく踏み出せていない正直な気持ちを伝えました。
すると、いわきを去る時に「行かないでくれ!」と、
必死で引き留めてくれた仲間からこんなことを言われました。
「あの時、いわきを去る!と聞いた時は、行かないでくれ!と本気で思った。でも今は違う!同じ立場ならきっと同じ行動をしていたと思う。だから、胸を張って今まで通り愛知でも活動をつづけてくれ!!おまえの意思を継いで俺たちが帰ってくる場所は残しておくからもう心配するな!そして、いつか故郷に戻ってくる時には、今度は愛知の人たちから「帰らないでくれ!」と逆に言われるくらい恩返しをして帰ってこい!!」
と背中を押されました。
そこで、一度は心が折れそうになり、中止になっていた活動「アースデイいわき」、
そして「インディアン村づくり」を、今度は「愛知」で開催することに決めました。
しかし、お金はないし、仲間もいない。
村づくりの拠点となる場所もまだみつかっていないけど、できない言い訳を続けて何もしないより、少しずつでも今何ができるか?を考えて行動することにしました。
これが「アースデイいわきinなごや~愛知meets福島~」を開催するきっかけです。
アースデイいわき開催を福島の仲間に伝えると、
当日は福島から愛知に応援に行くから!と言ってくれました。
開催に向けて準備を進めていくうちに、
愛知には東北に向けて支援をしている人がたくさんいることを知りました。
文字通り愛知県でたくさんの愛を知ることができました。
そして、今ようやく私がやるべき役割に気付きました。
愛知でも、再び挑戦を続けてインディアン村をつくってみよう。
福島県でやっていたインディアン村づくりという活動が面白かった。
再び無謀と言われた村づくりに挑戦することで愛知の方とも交流できるし、
自主避難した人も、気軽に遊びに来ることができる集いの場所にもなるかもしれない。
愛知インディアン村に興味を持った人が、私にも興味を持ってくれて、その私が実は福島から自主避難してきた境遇を知れば、愛知県に今現在も自主避難をしてきている人たちの実情に目が向くかも知れない。
そして、福島県にインディアン村の本拠地があると知ってくれれば、
福島県にも心を寄せてくれて、福島を応援する人が増えるかもしれないし、
もしかしたら、出向いてくれる人が一人でも増えるかもしれない。
そうしたら被災地を忘れないでください!なんてわざわざ言わなくても気持ちが向いてくれる!
この活動を続けることが愛知と福島をつなぐ私の役目だと思っています。
「震災から約2年」
故郷福島では今何が起きているのか?
福島ではどんな活動をつづけているのか?
故郷を離れた人たちはどんな想いで生活をしているのか?
福島では、いまだに「残るべきか?」「避難すべきか?」
模範解答もない難問に苦悩している人も多いそうです。
地震、津波、原発事故、風評被害など今も現在進行形の最中で、
踏ん張っている仲間の前向きな姿を知ってもらいたい。
そして、何より私と同じように故郷を離れ負い目や無力感を、
感じてしまっている人に少しでも勇気を与えたい。
福島でキーマンとなって活動している仲間に、
愛知で東北に向けて活動をつづけている方を知ってもらい、繋がってもらいたい。
彼らに愛知で感じたことを被災地に伝えてもらうことで、
愛知と福島がまた一歩近くなると思っています。
そして、県外に避難することを決意した方も、このイベントを通じてイベント当日に、福島からはるばるやってくる仲間と繋がることで、彼らを頼りにして福島に帰りやすくなると思います。
「おまえが帰ってくるまで故郷は俺らが守っておくから!そして、おまえの帰る場所は残しておくから心配するな!」
私の背中を押して送りだしてくれたように、
今度はきっと彼らが、故郷であたたかく迎えてくれる仲間になるはずです。
私は愛知でたくさんのご支援をいただきました。
みんな被災地を応援してくれています。
地球のことを考えて行動する日「アースデイ」
このイベントを通じて交流を深めていきます。
故郷への愛が強いため、みな自分で選択した道なのに悩んでいます。
様々な考えや行動があります。
私が言うのも生意気ですが、どの道も正しい道なのだと思います。
今回の震災はあまりにも難問過ぎて、模範解答など最初からなく、
すべての考えや行動が正解なのだと思います。
それでも答えが出せずに悩んでいる人がいるとしたら、
その答えを出すきっかけに、このイベントを利用してください。
これから私が挑戦するインディアン村づくりに協力してください。
私と同じように県外避難を選択した人が少しでも故郷を感じ、
故郷への一歩が近づくきっかけになればと考えております。
◆集う!熱き有志達!
私は、このイベントに参加するもう一つの理由がありました。
吉田さんの友人でもあり、以前いわき市でともに活動をされていた、
「佐々直幸」さんの存在です。
佐々さんもまた、東日本大震災をきっかけに、
長野へ自主避難をされた方の一人です。
佐々さんとの出逢いは、昨年の夏に行われた、
「福島と長野をつなぐ大バーベキュー大会」でした。
【イベントの様子は⇒「ここをクリック」】
この佐々さんも、名古屋のイベントに参加し、
福島復興シリコンバンドの販売を行って下さると言うのです。
会場は、名古屋のテレビ塔の下の「久屋大通公園」です。
午前7時、会場に着くと、とても大きな規模に、気持ちがワクワクしました。

まもなくして、吉田さんといわきから駆けつけた湯淺さん、
酒井さん、島村さんとお逢いすることができました。
思っていた通りの方たちで、朝から熱い出逢いを果すことができたのです。
準備がスタートすると、ボランティアスタッフの方たちが次々と会場に到着します。
皆さんは口々に、東北のために何か自分の出来ることをやりたくて来たとおっしゃっていました。
早速、シリコンバンドにご協力頂きました。
佐々さん!湯淺さん!田中くん!小山さん!ありがとうございます!

さらには、被災地へ出向き、写真で震災を伝えるグループの皆さんにもお逢いできました。
「3.11 忘れないPHOTO PROJECT」
【ブログは⇒「ここをクリック」】

洋子さん!浩明さん!登也さん!トモミさん!ありがとう!

このグループの中に、ひときわ若い男の子がいました。

「辻彩登」くんは、まだ中学生です。震災当時は小学5年生でした。
おじさんが写真をやっていたと言うことをきっかけに、
自分自身も被災地へ足を運び、現場の写真を撮り続けてきました。
そして、各地で写真展を開き、震災を伝えようと活動しているのです。
私はとても感激しました。
被災地を思う気持ちに、年齢は関係なく、またその想いに、
周りの大人たちがサポートしているのです。
彩登くん!ありがとう!力をもらったよ!

また、驚きの再会もありました。
福島市のそば屋でお世話になっていた地ビール、
「みちのく 福島路ビール」の吉田さんです。
なんと、10年ぶりの再会でした!

◆何が人の心を動かすのでしょうか?
このイベントに参加し、私は多くのことを学びました。
代表の吉田さんが一人始めようと動き出し、
終わってみれば2日間で、2万人もの来場者が訪れました。
これはもの凄いことです。
私は出来るだけ吉田さんの動きを見たり、
協力者の方たちとお話をしたりして時間を費やしました。
「何が人の心を動かすのでしょうか?」
それは、やっぱり人の心じゃないでしょうか。
吉田さんの伝えたい想いを、周りの人たちが共感し、
自然と協力者が拡がっていく。
そして、もう一つ大事なのが「感謝」です。
吉田さんは、会場をまわりながら、出来る限りの人たちと挨拶を交わし、
その人たちに、しっかりと心から感謝を伝えていらっしゃいました。
これはテクニックではありません。
人として当たり前な「感謝」の気持ち。
そこに人々は、心を打たれるのかもしれません。
この出逢いに、どんな意味があるかはまだ分かりません。
しかし、間違いなく「素敵な出逢い」だったことは間違いありません。
吉田さん!本当にありがとうございました!

追伸:
名古屋で「福島」を感じられたことに、私はとても励まされました。
みんな何かをしたいと思っていても、実際にどうしていいか分からないだけで、
東北を想う気持ちは、力強いものがあります。
自分には、そば打ちがあります。
そば打ちを通して、まだまだ出来ることはある!
頑張っぺ!カズキ!
【アースデイいわきinなごや イベントの詳細は⇒「ここをクリック」】
~愛知meets福島~

そば屋開業へのキーワード「つなぐ」を求めて・・・。
3月23日~24日の二日間、名古屋でイベントがありました。
このイベントを主催している代表の方は、
「吉田拓也」さんといいます。
吉田さんは、いわき市のご出身で、東日本大震災をきっかけに、
愛知県へ自主避難をされていらっしゃいます。
震災前は、いわき市でインディアンテント「ティピー」の、
制作、販売、レンタルを手掛ける事業をされていました。
さらには、社会貢献活動の一環として、地元の街づくりと人づくりの一環として取り組んでいた、
「村づくり」を実現するために「NPO法人インディアン・ヴィレッジ・キャンプ」を立ち上げられました。
それがこの大震災を機に生活が一変。
故郷を離れることを決められ、後ろめたさを感じ、
自問自答しながらも日々を送っていらしたようです。
そんな吉田さんが、なぜ名古屋でイベントを開催しようとしたのか?
私は、この想いに心を揺さぶられ、ぜひお逢いしたいと思ったのです。
以下、吉田さんのお言葉をお借りします。↓↓↓
私は夫婦で決断し、幼い我が子と一緒に3人で自主避難する道を選択しました。
決して金銭的にも時間にも余裕があったから自主避難できたわけでもありません。
突然、転勤の辞令をもらったのとは訳も違って、軌道に乗っていた事業や活動を中断し、
たくさんの"想い"を故郷に残したまま愛知県に移住してきました。
こちらに親戚や友人など頼る人がいたからではなく、
なんとなく辿り着いた未知の地が愛知県でした。
故郷を離れたことで仲間や友人、親戚や親を裏切る気持ちと募る故郷への想い。
「自分だけ逃げられていいね」
「故郷を捨てた!」
「落ち着いたらのこのこ帰ってくるつもり?」
誰から直接聞いたわけでも、言われたわけでもないのに、様々な想いに葛藤するあまり、
そんな聞こえない声が聞こえ始め、"自主批難"をする日が続きました・・・。
そんなある日、愛知で開催された被災者交流会で、
同じ境遇で自主避難してきたあるご家族に出会いました。
厳しい現状を涙ながらに訴えつづけ、子供の前で泣いているお父さんの姿を見た瞬間に、
「親父の頑張る姿を子供に見せなくてはいけない!」と私の心のスイッチが入りました。
福島で自分がやっていた「インディアン村づくり」をここ愛知で続けることが結局、
被災地に気持ちを向けてもらえる活動になることにようやく気付きました。
「2009年 アースデイいわきの起源インディアン村づくり開始」
何もない山の中で人を元気にするようなイベントができないか?
あえて何もない不便な場所・・会場づくりからはじめるイベントができないか?
そして、荒れ果て放置林となっていた山を手に入れました。
この荒れた大地をみんなで開墾して、みんなが自然と戯れて自然から、
何かを学べるようなそんな場所を作ろう!
そうだ!名付けて「インディアン村づくり」福島県いわき市の山の中。
「みんなで鍬を持って地球と挌闘するイベントがあってもいいじゃないか!
一緒にインディアン村をつくろう!」
そんな呼びかけから、私たちの活動は始まりました。
何もない荒れ果てた山の中に、まずは道をつくることから始めました。
重機などは使用せず、人間の力だけでどこまで自然に挑戦できるか!
この活動が「アースデイいわき」のはじまりでした。
お金もありませんでしたので、たった一人で鍬とツルハシを持って始めた山の開墾作業でしたが、一人、一人と徐々に賛同し、手伝ってくれる人が増えていきました。
そして、「アースデイいわきinインディアン村2010」開催。
たった一人で始めた活動でしたが、そこにはたくさんの仲間ができていました。
子供たちと一緒に荒れた大地に植林活動もしました。
自然エネルギーでも電気が作れることを伝えるため、
太陽光発電と風力発電装置がついた発電所付きの村役場も完成しました。
翌年のアースデイいわき開催に向けて、今度は「井戸掘り」をはじめました。
いっぱい大きな石が出てきて大変でしたが、重機は使わず人間力で井戸掘りを続けました。
「アースデイいわきinインディアン村2011」
告知するポスターも完成し、開催まで着々と準備は整っていきました。
そして、開催を10日後に控えた、その準備中に大震災が発生しました。
インディアン村にも、原発事故による放射性物質が降り注ぎました。
イベントは中止。
外で活動することすらままならない状況。
当時、ひまわりの種が大地をキレイにしてくれると聞きました。
もう一度笑顔をもどしたい一心で、一心不乱にひまわりの種を植えました。
でも、後にそれはあまり効果がないことを知り、自主避難しました。
原発事故により、様々な葛藤や行動、想いを巡らし、
被災した人それぞれがそれぞれの地でその時を刻んでいきます。
自主避難生活が半年を過ぎた2011年11月頃、いわき市の仲間から連絡がありました。
来月12月開催の、いわき市民との集会の壇上で「インディアン村づくりをしていた頃の講演してくれないか?」と依頼をいただきました。
久しぶりに仲間と再会できるチャンスでしたが、凱旋気分とは違い、故郷を離れたことで活動が中断してしまっていることや故郷を離れた負い目を感じながら、キリキリと胃が痛くなるような帰省となりました。
「おかえり!」
今までと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる仲間たち。
「おかえり」という言葉がこんなにもあったかい言葉なんだと、
生まれて初めて認識し実感できた瞬間でした。
偉そうに過去の活動を発表させていただきましたが、
恥ずかしながら新天地での一歩がうまく踏み出せていない正直な気持ちを伝えました。
すると、いわきを去る時に「行かないでくれ!」と、
必死で引き留めてくれた仲間からこんなことを言われました。
「あの時、いわきを去る!と聞いた時は、行かないでくれ!と本気で思った。でも今は違う!同じ立場ならきっと同じ行動をしていたと思う。だから、胸を張って今まで通り愛知でも活動をつづけてくれ!!おまえの意思を継いで俺たちが帰ってくる場所は残しておくからもう心配するな!そして、いつか故郷に戻ってくる時には、今度は愛知の人たちから「帰らないでくれ!」と逆に言われるくらい恩返しをして帰ってこい!!」
と背中を押されました。
そこで、一度は心が折れそうになり、中止になっていた活動「アースデイいわき」、
そして「インディアン村づくり」を、今度は「愛知」で開催することに決めました。
しかし、お金はないし、仲間もいない。
村づくりの拠点となる場所もまだみつかっていないけど、できない言い訳を続けて何もしないより、少しずつでも今何ができるか?を考えて行動することにしました。
これが「アースデイいわきinなごや~愛知meets福島~」を開催するきっかけです。
アースデイいわき開催を福島の仲間に伝えると、
当日は福島から愛知に応援に行くから!と言ってくれました。
開催に向けて準備を進めていくうちに、
愛知には東北に向けて支援をしている人がたくさんいることを知りました。
文字通り愛知県でたくさんの愛を知ることができました。
そして、今ようやく私がやるべき役割に気付きました。
愛知でも、再び挑戦を続けてインディアン村をつくってみよう。
福島県でやっていたインディアン村づくりという活動が面白かった。
再び無謀と言われた村づくりに挑戦することで愛知の方とも交流できるし、
自主避難した人も、気軽に遊びに来ることができる集いの場所にもなるかもしれない。
愛知インディアン村に興味を持った人が、私にも興味を持ってくれて、その私が実は福島から自主避難してきた境遇を知れば、愛知県に今現在も自主避難をしてきている人たちの実情に目が向くかも知れない。
そして、福島県にインディアン村の本拠地があると知ってくれれば、
福島県にも心を寄せてくれて、福島を応援する人が増えるかもしれないし、
もしかしたら、出向いてくれる人が一人でも増えるかもしれない。
そうしたら被災地を忘れないでください!なんてわざわざ言わなくても気持ちが向いてくれる!
この活動を続けることが愛知と福島をつなぐ私の役目だと思っています。
「震災から約2年」
故郷福島では今何が起きているのか?
福島ではどんな活動をつづけているのか?
故郷を離れた人たちはどんな想いで生活をしているのか?
福島では、いまだに「残るべきか?」「避難すべきか?」
模範解答もない難問に苦悩している人も多いそうです。
地震、津波、原発事故、風評被害など今も現在進行形の最中で、
踏ん張っている仲間の前向きな姿を知ってもらいたい。
そして、何より私と同じように故郷を離れ負い目や無力感を、
感じてしまっている人に少しでも勇気を与えたい。
福島でキーマンとなって活動している仲間に、
愛知で東北に向けて活動をつづけている方を知ってもらい、繋がってもらいたい。
彼らに愛知で感じたことを被災地に伝えてもらうことで、
愛知と福島がまた一歩近くなると思っています。
そして、県外に避難することを決意した方も、このイベントを通じてイベント当日に、福島からはるばるやってくる仲間と繋がることで、彼らを頼りにして福島に帰りやすくなると思います。
「おまえが帰ってくるまで故郷は俺らが守っておくから!そして、おまえの帰る場所は残しておくから心配するな!」
私の背中を押して送りだしてくれたように、
今度はきっと彼らが、故郷であたたかく迎えてくれる仲間になるはずです。
私は愛知でたくさんのご支援をいただきました。
みんな被災地を応援してくれています。
地球のことを考えて行動する日「アースデイ」
このイベントを通じて交流を深めていきます。
故郷への愛が強いため、みな自分で選択した道なのに悩んでいます。
様々な考えや行動があります。
私が言うのも生意気ですが、どの道も正しい道なのだと思います。
今回の震災はあまりにも難問過ぎて、模範解答など最初からなく、
すべての考えや行動が正解なのだと思います。
それでも答えが出せずに悩んでいる人がいるとしたら、
その答えを出すきっかけに、このイベントを利用してください。
これから私が挑戦するインディアン村づくりに協力してください。
私と同じように県外避難を選択した人が少しでも故郷を感じ、
故郷への一歩が近づくきっかけになればと考えております。
◆集う!熱き有志達!
私は、このイベントに参加するもう一つの理由がありました。
吉田さんの友人でもあり、以前いわき市でともに活動をされていた、
「佐々直幸」さんの存在です。
佐々さんもまた、東日本大震災をきっかけに、
長野へ自主避難をされた方の一人です。
佐々さんとの出逢いは、昨年の夏に行われた、
「福島と長野をつなぐ大バーベキュー大会」でした。
【イベントの様子は⇒「ここをクリック」】
この佐々さんも、名古屋のイベントに参加し、
福島復興シリコンバンドの販売を行って下さると言うのです。
会場は、名古屋のテレビ塔の下の「久屋大通公園」です。
午前7時、会場に着くと、とても大きな規模に、気持ちがワクワクしました。

まもなくして、吉田さんといわきから駆けつけた湯淺さん、
酒井さん、島村さんとお逢いすることができました。
思っていた通りの方たちで、朝から熱い出逢いを果すことができたのです。
準備がスタートすると、ボランティアスタッフの方たちが次々と会場に到着します。
皆さんは口々に、東北のために何か自分の出来ることをやりたくて来たとおっしゃっていました。
早速、シリコンバンドにご協力頂きました。
佐々さん!湯淺さん!田中くん!小山さん!ありがとうございます!

さらには、被災地へ出向き、写真で震災を伝えるグループの皆さんにもお逢いできました。
「3.11 忘れないPHOTO PROJECT」
【ブログは⇒「ここをクリック」】
洋子さん!浩明さん!登也さん!トモミさん!ありがとう!

このグループの中に、ひときわ若い男の子がいました。

「辻彩登」くんは、まだ中学生です。震災当時は小学5年生でした。
おじさんが写真をやっていたと言うことをきっかけに、
自分自身も被災地へ足を運び、現場の写真を撮り続けてきました。
そして、各地で写真展を開き、震災を伝えようと活動しているのです。
私はとても感激しました。
被災地を思う気持ちに、年齢は関係なく、またその想いに、
周りの大人たちがサポートしているのです。
彩登くん!ありがとう!力をもらったよ!

また、驚きの再会もありました。
福島市のそば屋でお世話になっていた地ビール、
「みちのく 福島路ビール」の吉田さんです。
なんと、10年ぶりの再会でした!

◆何が人の心を動かすのでしょうか?
このイベントに参加し、私は多くのことを学びました。
代表の吉田さんが一人始めようと動き出し、
終わってみれば2日間で、2万人もの来場者が訪れました。
これはもの凄いことです。
私は出来るだけ吉田さんの動きを見たり、
協力者の方たちとお話をしたりして時間を費やしました。
「何が人の心を動かすのでしょうか?」
それは、やっぱり人の心じゃないでしょうか。
吉田さんの伝えたい想いを、周りの人たちが共感し、
自然と協力者が拡がっていく。
そして、もう一つ大事なのが「感謝」です。
吉田さんは、会場をまわりながら、出来る限りの人たちと挨拶を交わし、
その人たちに、しっかりと心から感謝を伝えていらっしゃいました。
これはテクニックではありません。
人として当たり前な「感謝」の気持ち。
そこに人々は、心を打たれるのかもしれません。
この出逢いに、どんな意味があるかはまだ分かりません。
しかし、間違いなく「素敵な出逢い」だったことは間違いありません。
吉田さん!本当にありがとうございました!

追伸:
名古屋で「福島」を感じられたことに、私はとても励まされました。
みんな何かをしたいと思っていても、実際にどうしていいか分からないだけで、
東北を想う気持ちは、力強いものがあります。
自分には、そば打ちがあります。
そば打ちを通して、まだまだ出来ることはある!
頑張っぺ!カズキ!
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Posted by カズキ at 12:00│Comments(0)
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