2011年11月06日
福島の姪~表彰された作文
先日、福島の両親が来た時、
ある作文を持ってきてくれました。
「姪の作文」
私は三兄弟の末っ子です。
兄も姉も、子供が2人ずついます。
私は4人の叔父でもあるのです。
そんな中、今年の夏、そのうちの3人が、夏休みを利用し、長野に遊びに来たことは、
以前ブログでも紹介させて頂きました。
【過去ブログ参照⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e794001.html】
この夏の思い出を、姪が作文にしたところ、
なんと小学校で表彰されたそうです。
内容がとても私の胸に響きました。
ぜひ皆さんにも読んで頂ければと思い、
原稿を一部抜粋させて頂きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「長野に行った一週間」
私は、長野に一週間行ってきました。
長野のおじさんが、福島は外で遊べないから可哀想、と言ってくれて、
じいちゃんと弟といとこの四人で行ってきました。
長野に行く朝、車に乗って15分も経たないうちに、お母さんから泣きながら電話がかかってきたので、
私も泣いてしまいました。
一週間も、お父さんとお母さんと、離れることがなかったので、不安だったけど、
お母さん達も同じ気持ちだったんだなと思いました。
長野に着くと、みんなが笑顔で迎えてくれました。
でも、夜ごはんの時に、不安と緊張でご飯が食べられなくなり、
泣いてしまいました。
そしたらおじさんが、私を散歩に連れて行ってくれました。
その時おじさんが、
「言いたいことは言う!気を使わない!」
というルールを作ってくれたので、少し元気になれました。
次の日は、公園に行きました。
久しぶりの外は、気持ちがよくて、すごく楽しかったです。
家に帰ったら、私は夜ごはんのお手伝いをしました。
夜ごはんは、おじさんのおそばです。
おじさんは、おそば職人で、私がおそばを食べたいと言ったら、
そばを作ってくれました。
久しぶりに食べたそばは、やっぱり一番おいしかったです。
あと、長野では、バーベキューや花火、流しそうめんをやりました。
一週間は、あっという間にすぎ、私を少しお姉さんにしてくれたような気がします。
私は、赤ちゃんにどう接して良いかわからず、苦手だったけど、
おじさんの赤ちゃんを、抱っこしたり、遊んであげたり、お世話が出来るようになりました。
最後の夜、みんなで花火をしました。
その後、みんなで一週間思った事を、手をつないで話し合いました。
長野の一週間が楽しすぎて、明日帰ると思うと、涙が出ました。
夜が終わり、お別れの朝、やっぱり私は泣いてしまいました。
「また来るね!」
と約束をして福島に戻りました。
帰りの車は寝てしまって、あっという間に福島でした。
とても楽しい思い出が出来ました。
でもやっぱり、住みなれた福島が一番です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小学校四年生の姪です。
まだ子供だなと思っていましたが、
いつの間にか、大人になっていたのですね。
こんなことを考え、感じられるようになっていました。
私は何度も何度も作文を読み返しては、涙してしまいます。
「子供達は何も悪くない!」
私たち大人が、未来の子供たちへ繋げる大切なものを、
しっかりと築いてあげなければなりません。
「でもやっぱり、住みなれた福島が一番です」
この一文がとても心に響きました。
追伸:
兄が言っていました。
毎日不安もあるけれど、それでも生きていくしかない。
とりあえず、学校は除線が終わり、
一番安心して遊べる場所になったよ。
一日も早く、今までどおりの生活が出来ることを願っています。
こんな悲しい想いは、もうたくさんです。
ある作文を持ってきてくれました。
「姪の作文」
私は三兄弟の末っ子です。
兄も姉も、子供が2人ずついます。
私は4人の叔父でもあるのです。
そんな中、今年の夏、そのうちの3人が、夏休みを利用し、長野に遊びに来たことは、
以前ブログでも紹介させて頂きました。
【過去ブログ参照⇒http://ichigoichienococoro.naganoblog.jp/e794001.html】
この夏の思い出を、姪が作文にしたところ、
なんと小学校で表彰されたそうです。
内容がとても私の胸に響きました。
ぜひ皆さんにも読んで頂ければと思い、
原稿を一部抜粋させて頂きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「長野に行った一週間」
私は、長野に一週間行ってきました。
長野のおじさんが、福島は外で遊べないから可哀想、と言ってくれて、
じいちゃんと弟といとこの四人で行ってきました。
長野に行く朝、車に乗って15分も経たないうちに、お母さんから泣きながら電話がかかってきたので、
私も泣いてしまいました。
一週間も、お父さんとお母さんと、離れることがなかったので、不安だったけど、
お母さん達も同じ気持ちだったんだなと思いました。
長野に着くと、みんなが笑顔で迎えてくれました。
でも、夜ごはんの時に、不安と緊張でご飯が食べられなくなり、
泣いてしまいました。
そしたらおじさんが、私を散歩に連れて行ってくれました。
その時おじさんが、
「言いたいことは言う!気を使わない!」
というルールを作ってくれたので、少し元気になれました。
次の日は、公園に行きました。
久しぶりの外は、気持ちがよくて、すごく楽しかったです。
家に帰ったら、私は夜ごはんのお手伝いをしました。
夜ごはんは、おじさんのおそばです。
おじさんは、おそば職人で、私がおそばを食べたいと言ったら、
そばを作ってくれました。
久しぶりに食べたそばは、やっぱり一番おいしかったです。
あと、長野では、バーベキューや花火、流しそうめんをやりました。
一週間は、あっという間にすぎ、私を少しお姉さんにしてくれたような気がします。
私は、赤ちゃんにどう接して良いかわからず、苦手だったけど、
おじさんの赤ちゃんを、抱っこしたり、遊んであげたり、お世話が出来るようになりました。
最後の夜、みんなで花火をしました。
その後、みんなで一週間思った事を、手をつないで話し合いました。
長野の一週間が楽しすぎて、明日帰ると思うと、涙が出ました。
夜が終わり、お別れの朝、やっぱり私は泣いてしまいました。
「また来るね!」
と約束をして福島に戻りました。
帰りの車は寝てしまって、あっという間に福島でした。
とても楽しい思い出が出来ました。
でもやっぱり、住みなれた福島が一番です。
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小学校四年生の姪です。
まだ子供だなと思っていましたが、
いつの間にか、大人になっていたのですね。
こんなことを考え、感じられるようになっていました。
私は何度も何度も作文を読み返しては、涙してしまいます。
「子供達は何も悪くない!」
私たち大人が、未来の子供たちへ繋げる大切なものを、
しっかりと築いてあげなければなりません。
「でもやっぱり、住みなれた福島が一番です」
この一文がとても心に響きました。
追伸:
兄が言っていました。
毎日不安もあるけれど、それでも生きていくしかない。
とりあえず、学校は除線が終わり、
一番安心して遊べる場所になったよ。
一日も早く、今までどおりの生活が出来ることを願っています。
こんな悲しい想いは、もうたくさんです。
Posted by カズキ at 13:26│Comments(0)
│福島のこと